2013を振り返る -承認欲求と向き合いもがき続けた1年だった

気がつけば大晦日。2013をここに振り返りたい。

1月がIESEでの2nd Termの始まりであったことを思うと、この1年はとても長い時間であったように感じる。来期がFinal Termであり、あと半年程度で卒業と考えるとMBA生活をあっという間に感じる一方で。

良いことだと思っている。自分の経験から、充実している時間というのはこういうものだ。あっという間に過ぎるように感じるのと同時に途方もなく長い時間が経っているように感じるのだ。

ということで振り返る。

1. 自分の仕事の型を拡げようともがいた1年だった

知らぬ間に自分が収まっていた仕事の型を拡げようともがいた1年だった。コンサルタントとして仕事をしてきた経験が長く気がつけばそのスタイルを当たり前のものとしていた。それを、事業会社での新規事業開発やスタートアップでの必要なことを全てやる、結果をだすという経験を通じて拡げようともがいてきた。

象徴的だったのは、スタートアップの1つでパートナー候補をリスティングしその可能性を探っていたときのことだ。創業者のひとりと自分が担当となり、それぞれリストした企業を分担して進めていた。交渉材料でありその提案書は僕がつくったものだった。インターンの期間中で、彼は1社とのパートナー提携をの話を決めた。僕のアウトプットはパートナー企業ではなく、より質の良い提案書とより意思決定者に近づいたコンタクトパーソンだった。

同じインプットをもって臨み、この結果の違い。自身の仕事のスタンスを振り返りアップデートしようと思わせるには十分なものであった。

2. 自分の居場所をつくろうともがいた1年だった

自分の居場所をチームの中でどうにかつくりあげてきたことは過去の幾つかのエントリーで触れた通りだ(いつもチームに傾聴と構造をくれた)。そのに至るまでどのようなことを考え感じ何をしてきたかということは覚えているし、とても貴重な経験であったと思う。

その後、1に書いた事業会社やスタートアップでの経験でもそう、2nd yearになりチームを解散してクラス毎に新たなメンバーで動く必要があった時もそう。常に自分がそのチームにいる意味をつくりあげ周りにそう認めてもらう努力を重ねてきた。

まだ改善の余地があると感じている。周りが上手いからだ。ひいて考えると自分をどのようにマーケティングするかという話になる。多くの仲間がそれがとても上手い。中身があって初めてそれができるという話は言を俟たない。しかし中身だけあってもそれを最大限発揮するためのポジションは自然とはできあがりえない。

3. 自分が何をしたいのかを考え続けた1年だった

自分の経験を拡げる程、自分が何をしたいのか、するべきかのオプションが広がり、どうするべきなのかを考え続けた1年だった。

留学に際して考えぬいて書いたEssayのVisionとはまた異なる新たな考えはいくらでも生まれ、フットワークの軽さでありノリの良さでありを大切にしたい(テンポとノリが大切だから自分の判断基準はシンプルにしておきたい)と思うと同時に、まさに左記のエントリーの中で書いた判断基準、そしてその先にある何を自分が人生を通じて成し遂げたいのかというビジョンは定まりきっていない。

仮説を立てていくつか行動を起こしてきた、その結果が見えてきたものある、いずれにしてもMBAの卒業はひとつの節目になるだろう。モラトリアムともとれるが、立ち止まることなく考え納得の行く道を進んでいきたい。

4. 周りと違うことを楽しめた1年だった

IESEの1st yearは全て必修科目だ。1日3コマのクラスと幾つかのスペイン語のクラス、加えてキャリアに関するセミナーであったり追加のクラスが入る。結果、1st yearは多くの時間の使い道が自ずと決まってくる。しかし1st yearが終わってから、2013の秋からは一転して自由度の高いカリキュラムとなる。

1st yearとのコントラストも多分に手伝ってのこととは思うが、自分で考え、時間の使い道を決め、その機会を獲得していく、自分なりの道を歩めるということはとてもエキサイティングだ。クラスと並行して2つのスタートアップで働いたこと(2つのベンチャーで働く)もそうだし、その他にも幾つかの経験がある。

勿論これは全員に言えることだ。それぞれが異なる道を歩んでいるからこそたまに会って話をするのもまたこれまで以上に楽しくなるはずだ。

 

全てが楽しかったわけではない。その裏には苦しい思いをしたこともある。仕事の型を拡げる裏には、自分の居場所をつくってきた裏には、自分の思い通りに結果をだせず、周りを動かせず歯がゆい思いをした経験がある。自分の過去の経験によって自覚なく満たされていた他者承認欲求が満たされなくなり、自分がいかに他者に依存していたかに気づきそれに苛まれたこともある。自己承認欲求をうまく満たすことができずにそれを行動に繋げられずに感情的になったこともある。得たい機会を得られずに苦しい思いをしたこともある、そこでもやはり承認欲求はついてまわる。

こうした自分の弱さと向きあってきた経験は、(勝手ながら)他者の弱さを慮る仮説を一層深めてくれるものであるし、自分がその状況にて嬉しかったこと、突破するために効果的だったことは、他者が似た状況にいた時にどう振る舞うべきかの仮説を与えてくれるものだと思っている。

成功だけの人生はない(逆も然り)。こうした経験が、論理だけではなく人の根底に流れる感情を理解し、それと論理を整合させ本来望む道を見出してそこを進んでいくための必要なものになると思えている。

 

盛りだくさんの2013であった。もっとチャレンジしていきたいと思う。

最後に、上記の中で出会ってきた、お世話になりつながりを深めてきた全ての方に心から感謝だ。

半沢直樹シリーズ3冊を読んだ

前々から気になっていた半沢直樹シリーズの原作を読んだ。ドラマ化された2冊を含む全3冊。ちなみに現在週刊ダイヤモンドでは第4部となる『銀翼のイカロス』が連載されている模様。

わかっていても目を見張るのは、手に汗を握るのは半沢直樹が組織の文化でありその文化に染まった周りの人間に屈することなく事実を明らかにし責任の所在を明らかにしそれを負うべき人間に負わせる点であり、組織の論理ではなく市場の論理、クライアントの論理に従って彼らをあるべき道へ導くという点だ。

改めて組織の都合や周りの雰囲気ではなく、自身の信念に従い、事実と向き合って仕事をすることの大切さと難しさを感じた。前提は、自身の信念が自分の保身等ではなくクライアントであり世の中を第一義に考えているということだ。

簡単な話ではない。ではそのクライアントであり世の中のために動くために今いるポジションもしくは更に上のポジションに居る必要があり、リソースが限られていたとする。周りにそのポジションを狙っている人間がそのポジションを獲るために多くのリソースを割いていたとしたら、必然的に今そのポジションにいる人間も多くのリソースを割く必要性は高くなるだろう。結果、そのポジションにいながらクライアントであり世の中のために割けるリソースは限定的なものとなる。不本意であったとしても、そうしなくてはクライアントや世の中のために動くために必要となるポジション自体を失ってしまうからだ。

このシリーズ(特にドラマ、というかドラマ)は登場人物の多くが保身であり出世のための社内政治に腐心する人間であり、彼らの不正を半沢直樹が暴き、責任を取らせ、その被害を受けていた人々を助けるという構図であった。おそらく自分も含め視聴者が直面している現実はそんな単純な話ではないだろう。

上っ面の正義を振りかざすことに満たされ、物事の裏側であり本質を見る努力を怠るというのは違うなとも思った次第。

3冊を通じて印象に残った部分を一部以下に抜粋する。

 「夢を見続けるってのは、実は途轍もなく難しいことなんだよ。その難しさを知っている者だけが、夢を見続けることができる。そういうことなんじゃないのか」

「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る。わかるか?」

”挑戦と成功の間をつなぐ架け橋は、努力しかない。” [書評]ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく

発売されて2ヶ月近く経つ。その当初から気になっていたのだがようやく手にした。kindleだと海外にいても容易に日本の書籍にアクセスできる。

静かで丁寧な、厚みのある一冊だった。

堀江氏の著作は過去に何冊か読んでいるがどの本もどこかに”現状への憤り”を感じるものだったと記憶している。その多くが合理的でない仕組みであり人でありに向けられていたように感じる。それに対する堀江氏の行動は容易に彼の本意ではない解釈を招いた。この本の内容に照らすに、当人は限られた時間・人生の中で成し遂げたいチャレンジが無数にあり、それを全てやるためには合理的に物事を考えて進める必要がある(そうすれば当たり前のようにできるはずなのにそれができていないことに憤りを感じていたのかもしれない)、だから丁寧に人に自分の意思でありその背景にある”自分”を説明すること、理解してもらえるように努めることも省き、成すべきことに集中してきた。結果は多くの人の知るところだ。

しかしこの本にはそういった憤りが一切感じられない。そういった感情を挟まず、自分は小さいときどういうどういう親のもとに生まれ、どのように育った、どんなことがあった、だからバイトをして、勉強をして、東京大学にはいって、結果会社を興して、等々現在に至るまでが丁寧に説明されている。

この本メッセージもシンプルだ。サブタイトルにほとんどが集約されているし、後は”はたらこう。”という一言に尽きるのだろう。

これだけの結果を出してきた堀江氏が、これだけ自身をさらけ出し、丁寧に優しく背中を押すと、その力は多くの人に伝わるのではないかと思う。

失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。

経験とは、時間が与えてくれるものではない。だらだらと無駄な時間を過ごしたところで、なんの経験も得られない。なにかを待つのではなく、自らが小さな勇気を振り絞り、自らの意思で一歩前に踏み出すこと。経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである。

人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止に突入してしまうのだ。

「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。(中略)「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。

挑戦と成功の間をつなぐ架け橋は、努力しかない。

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ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく
堀江 貴文 (著)

冬休みバルセロナを離れる前に

明日からバルセロナを離れる。5th Termが始まる直前まで戻ってこない予定なので久しぶりに学校に行く。ケースやサブリーディング一式を取りに。

受け取ってみると最終学期がこれまでで一番厚みがあるように感じた。15cm強といったところだろうか。

偶然カフェで会った友達と、”何がそんなに厚いんだ?”という話になり中身を確認してみたところ、なんのことはない、分厚いテキストが、同じもの(のクラス違い)が2冊入っていた。

なんだなんだ、どうりで厚いわけだと思っていたのもつかの間。幾つか登録したはずのクラスのテキストが無いことに気づく。

なので自分が登録したクラスと、手元にあるテキストを照らし合わせる。

結果、9クラス登録したうちの4クラス分のテキストのみが配布されていた。なので単純計算でこの倍近い厚さあるべきなのだ。

最終学期にふさわしい、学びの多い学期になることを期待しながら帰途につきたいと思う。

最後どのようなクラスで学ぶのかはまたの機会にまとめたい。

4th Termを振り返る

4th Termが今週の水曜日頃に終了した。1st Yearの時のように今日で終わった!とならないのは、2nd Yearの今期から全科目選択となり、また最後に試験かレポート提出かというのも科目によって異なるためだ、そしてそのレポートの締め切りが幾つかまだ先に設定されているためだ。こうして書いている僕もあとひとつレポートを抱えている。テスト終了直後からの旅行の予定を前々から入れていた仲間は水曜日までにすべてを終わらせるべく計画を立てていた。そうではなかった僕は少々ゆっくりと物事を進めている。

ここに4th Termを振り返りたい。

期の最初に書いたとおり、僕は3つの領域に関してこの3ヶ月間学んできた。Emerging Market、Entrepreneurial Management、Leadershipだ。

特にEntrepreneurial Managementに関してが面白かった。実際に2つのStart upで働く機会を得られたからだ。そして、ふとしたきっかけで欧州の起業家、VC、投資家が集うカンファレンスへ参加する機会を得られたからだ。

既にそこでの気づきは3つのエントリーに記してきた。

2つのベンチャーで働く | Embark on working for 2 start ups

スタートアップで一歩を踏み出す。自分が発現できる能力が企業の能力を規定する

自分の持ち味を知る

貴重な経験だった。夏に不格好経営を読んだ際に触れたコンサルタントと起業家の違いは一層身を持って理解を刻むに至った。これは特に得難い経験であったと思う。

そして過去にInnovation Managementとしてクライアント企業内での新規事業計画策定、事業立ち上げの支援をしてきた経験と比べることでもそれとStart upの違いを理解することができた。

Leadershipに関しては自身のPersonalityに関して、反射的・無意識的に反応してしまう自分のTemperamentと、意識的に選択できているCharacterのふたつの観点から理解を進めた。自身のアセスメント、教授のカウンセリングを受け、これからの人生で自身をより良いリーダーにするためにどこを伸ばすべきなのか、そのために何をしていくべきなのか、日々の行動に簡単ないくつかの工夫を加えるということをしてきた。これはまだまだ継続が必要だ。このように、自身の長短を理論の裏付けを持って体系的に理解し、受け容れ、より良い物にしていくというスタートラインに建てたというのも大切なことだ。

ただ、この手のパーソナリティに関してケーススタディで学ぶのは自分には少し難しかったように感じている。自身の過去をケースとして扱い、集中的に理解・内省する時間を合宿形式でとり、その共同生活の中で感じる事も含めて仲間同士で率直なフィードバックをぶつけあっていくスタイルのほうが良いと思う。

経営戦略でありマーケティングでありファイナンスであり、そういうものであればケーススタディが良い。未経験の問題に擬似的に対峙し意思決定の訓練をできるということ以上に、課題と登場人物が切り離されているから自身をその環境に置いて考えられる。一方で課題がパーソナルな内容になればなるほど、ケースで学ぶのは僕には難しい。汎化できないからだ。課題が登場人物の内面にも多分に存在するからだ。自分をその登場人物に置き換えることができないのだ。

ということで、学びを内面に求める、パーソナルなクラスであるほど、他人のケースではなく個々人(自分)の過去から学ぶべきなのだろうと考えるに至っている。

Teamworkに関しては相変わらず仲間に恵まれていた。それに甘んじて低きに甘じていないか、居心地の良さに安住し妥協していないかというのは引き締めて来期に臨みたいところ。

また、プロジェクト等でスペインの外へ行く機会が多かった。ブラジルへ1回、アメリカへ2回、イギリスへ1回。旅行もたくさんしたいが、今はまだやるべきことやりたいことがあるので、それが終わったら、来年の春頃になるだろうか、に計画したいと思っている。

 

気がつけば卒業まで後5ヶ月程だ。