特別な結婚式

土曜日は同期の結婚式。入社当時、配属が全く同じだった唯一の同期の結婚式だった。僕はその後しばらくしてからコンサルへ職をかえ、彼女も所属をいくつかかえているのだけど、初めて社会人となった頃の日々を共にしてきたというのは特別な経験だ。仕事のやり方であり組織・会社の方針でありについて、右も左も分かっていないながらも持てる能力をつかって/背伸びをしながらも懸命に走ってきた仲間だ。苦楽を共にしてきた仲間だ。
入社当時の自己紹介の時点で既に僕はコンサルになろうと考えていてそれを公言していた。そして彼女は伯爵夫人になると公言?していた(当時の先輩方はいろんな意味でなんてやつらが入社してきたんだと思ったことだろう。。。)。
僕は伯爵夫人と直接会ったことがないので想像に幅を持たせることができる。
土曜の彼女は伯爵夫人よりも幸せ溢れ、キレイだった。きっと。
偶然、新郎とは彼女が知り合う以前に僕は友達になっていた。普段は平和でおっとりした彼も、披露宴でのオープニングとクロージングのスピーチでは堂々とした、立派な存在となっていた。
末永く幸せでいてほしいと心から思う。
2次会、3次会も盛り上がりとても良かった。カメラ係をつとめた。普段一切頭を使わずに気の向くままにとっていたことを少々後悔。こういった責任を背負うと自分の中でどうすればいいかを自分に対して説明ができるだけの材料が求められる。それを埋めるのが、過去の自分の写真への経験・自信であり、写真の出来栄えと知識・テクニックの結びつきでありなのだろうと思う。
なるほど趣味と仕事は違うものだなと感じた。

縁を感じる

昨日は、僕が社会人になりたての頃に大変お世話になった方の送別会へいってきた。当時所属していた会社であり組織でありの括りでの会だったので懐かしい面々にも会える、と思ったら以外。知っている人がほとんどいない。というかひとりしかいなかった。目的は自分がその方にお会いすることだったので良いのだが。
当たり前ながら主賓、当たり前ながら人気者ということで話しかけるタイミングをなかなか得ない。と思っていたら向こうから話しかけて下さった。名前を覚えていただけていたことも嬉しい。話をしていると自分が新入社員だった頃に戻ったように感じた(いや、自分がまだまだということなのだが)。
社会人になった当時、配属された組織でとんがっていた(腐っていた?)僕の話をいつでも聞いてくださって、いつも予想を遥かに超えるボリュームの返事を返していただいていた(地理的に離れていたのでメールベースが多い)。そのスピードと内容に僕は圧倒されながらも自分の意見を必死で訴えていた。マネージャとして学べることも振り返れば無数にある。
最終的には僕がコンサルになるきっかけまでつくっていただいた。
ということで頭があがらない。
今回会社を離れる理由や経緯についても率直に話を伺った。自分の課題認識と重なる部分もあり、その方らしい意思決定というか生き方というかだなとしみじみ思った。
2次会でその方のアン・ルイスを聞いて、ああ、まだまだ元気だな。負けていられないなと思った。
#僕がコンサルに移るとき、”まあ2-3年やってダメだったら戻ってくるでしょう、その経験が会った方がいずれにしても伸びるわ、あはは”程度に思ってみていたとのこと(^^;)何はともあれ、その結果今の自分がいることには変わりない。心から感謝している。
#ひとりでも送別会に参加したことをとても喜んでくださった。群れずに自分の気持に素直に従って動くというのは大切だ、なんて思った。

目標はいい。それは行動に支えられてるのか?

昔からなのかもしれないが、人生にしてもキャリアにしても目標を立てる人は多い。長期目標をブレイクダウンし、年→四半期→月→週→日と、最終的に日々の目標へ落としていく。良いことだと思う。やり過ぎはいただけないが。例えば往々にして、この手を心がけている人は自分中心になりすぎる傾向があるとか。自分の目標は自分で達成できるものだ、最短距離を走らねばならない、自分の計画にないものはノイズであり無駄である、といったあたりの前提を置いているのだろう。
今回はここをいいたいわけではないので横に置く。
そうして目標を具体的にもつことは良いが、自分の口や文字ではなく、行動でそれを支えているのかということだ。目標を掲げて、それを明文化して眺めているだけでは何も変わらない。どれだけ他人に伝えていても、周りに自分がコミットすることを伝えていても変わらない。変わらないことを認識し反省しても意味が無い。自分に自信を失うことは殊更意味が無い(目標から遠ざかる / 諦めることはできるが)。
行動を変えることだ。
自分が使う時間配分を変えることだ。自分の行動を具体的に変えることだ、特に”これはやらない”という振る舞いを特定し、日々チェックすることだ。
目標達成の過程で自分が失う可能性のあるものを明確にすることだ(積極的に失う必要はない)。
自分と関係の薄い人からの信頼を失う、飲み会仲間から外れる、勉強会をやめる(その仲間から距離ができる)、小説の世界から遠ざかる、音楽の世界から遠ざかる、流行りに疎くなる等々。
勿論すべての場合で何かを失うことはない。ただハードルを高く設定する程、それが今自分が進んでいる軌道から外れる角度が大きいほどに失うものはでてくる。もしかしたら失わずに済むのかもしれない、ただ失う覚悟を決めていたほうが良い。何も失わずに自分の達成したい目標が常に達成できるという前提は、タフな場面で自分を苦しめる。それは重くのしかかる。
目標が達成できればなんであれ問題ない。
しかしそれができていないと感じたときに、行動が変えられないのなら、何かを失う覚悟ができないのなら、それは目標を達成することではなく、目標を掲げることで満たされているのだ。それがやりたいことだったのだ。目標と現状のGAPを感じて苦しむことや悩むことが成長だと勘違いしているのだ。
苦労の過程に成長はある。過程自体に楽しみを見出すことはとても大切だ。しかし、それは目標を達成したいと言いながら行動を変えずに同じところをぐるぐる回っていて良いということではない。

今が将来の縁をつくる

昨日は僕が新たに参画したチームで歓迎会を催してもらう。もともと個々人のキャラクターが立ったチームだったのでとても面白い。そんななかで発見があったのが、チームに高校の遠い先輩がいたということ。出身地の話になり、隣の市出身だったという時点で近さに驚いていたのだがよもや高校の先輩だったとは。
それをきっかけに一気に打ち解けた。
初めての経験だったのでリアクションのとり方がよくわからなかったが嬉しいものだ。意識したことがなかったが、いざこうしてつながりが見つかると嬉しいのだ。大切な縁だ。
高校の頃、こんな出会いがあるとは微塵も考えていなかった。そして今からみた将来にもどこでどんな縁にでくわすのか、見つけられるのかはわからない。ただ、今の自分だけがそこに影響を加えていけるということは間違いない。
将来の縁のためという話ではないが、今様々なコミュニティを共にしている仲間とのつながりを大切していきたいし、新たな出会いを積極的に受け入れて行きたいと思う。

パフォーマンスが低いときは自分の強み/弱みを見直す機会

コンサルティングを生業とする中で、うまくいってると感じる時もあればそうでない時もある。うまくいっているときはバイタリティ溢れ、プロジェクトも円滑に進めることができ、クライアントからも評価され、仲間からも評価されていると感じる。うまくいってないときはその逆に感じる。
プロフェッショナルとして前者でいられる期間を最大化し、後者でいる期間を最小化 / なくすよう努めるのは当たり前のはずだが、それでも現実に波はある。
そんなうまくいっていないと感じるとき、それは自分を点検する良い機会だと思う。うまくいってると感じていた時と比較して、強みは活かせているのか、弱みが発揮されることは防げているのか。できているとしたら新たに必要な強みは何か、新たに見つかった弱みは何か。
自分の外の環境についてあれこれ言うのも必要な場合はあるが、それが変えられないものであればこだわる意味はない。自分で直接変えられるもの、間接的にでも影響を及ぼせるものだけを見ればいい。
感情的な落ち込みは横に置いておいて(落ち込むだけでは何も解決しないので)、ただ自分の理想と、現状のGAPに目を向ける。まずそれが必要だ。
新しい側面や、自分のパフォーマンスを下げない処方箋が1つでもみつかれば、うまくいっていない価値もあるというものだ。