成長を実感する/しないという話

自分が成長している実感がわかないという話を聞いていた。2nd termの期末試験後の帰り道に。考えてみた。確かに感じづらいと思った。理由は2つある。

・成長を感じる余裕・場がない
・成長を測る物差し自体がupdateされる過程にいる


自分が成長している実感がわかない。それはおそらく今は成長を感じる余裕がないからだ。そして成長を感じる場がないからだ。日々のクラスと勉強は勿論、それらに加えて、コンペティションでありカンファレンスであり就職活動でありその他もろもろのイベントでありに参画していたら時間はあっという間に過ぎる。それに加えて前回書いたように2nd termはチームでのアサインメントが多いのだ。スケジュール管理も難しくなる。
というのがルーティンになるのだ。自分の成長を確認する、振り返る時間をつくるのは難しいだろう。

自分が成長している実感がわかない。それは成長を測る物差し自体をupdateする過程にいるからだ。多くの人がMBAに来る前には企業に所属していた。そこでは成長を測りやすい。組織から期待される目標があるからだ。これを無自覚に自身の目標を混同すると危うい、しかし自分の状況にかかわらず組織からの目標は存在するわけで、ある意味ひとつは一貫したものさしがある。その達成度合い(結果指標)は勿論、そのために自分が何をしてきたのか成功経験・失敗経験を振り返ることもしやすいだろう。
MBAにも勿論各人目的を持ってきている。少なくともエッセイを書く中で短期・中期・長期のキャリアゴールでありWhy MBAという話は考えているだろう。しかし実際に上記のようなMBAの生活に身を置くと、ゴールを描く自分が変わることはままある。置かれる環境がかわる、自分へのInputがかわる、自然とOutputも変わるだろう。
Outputベースで動くという考え方は勿論ある。しかしMBA留学を経験する前に描いたゴールに固執する必要もないだろう。こうした、自分の目的を達成する手段としてのみならず、その目的さえもUpdateするようなTransformationalな経験にできる機会であると思う。
ということで、自分の成長を測るものさしが、振り返る余裕のつくりづらい日々の中でUpdateされる過程にいるのだ。成長を感じるのは難しいだろう。

とは言え振り返る時間はつくった方がいいかなと思う。面白いもので振り返る時間をつくれば、自分が何を得たか探すようになるし、それで見つからないと普段からそういうものに気づこうとし始める。後から振り返れば全く異なる意味を持つ点であっても、そうやって日々の中で意味合いを見つけながら生きていくというのは面白いものだ。
おそらくMBA受験を経験した多くの人がエッセイを書く過程で自分のこれまでの人生でおとしてきた点を洗い出し、そこから自分が本当に好きなことはなんであったのか、やりたいことはなんであったのかを紡いできたと思う。そうして自分だけのWhy MBAを見出して留学を果たしていると思う。そのプロットの中で、これまで見向きもしなかった何気ない自分の行動が輝き出す瞬間というのがあったのではないかと思う。
これは留学準備に限らない。人生に共通することだと思っている。今経験したことの解釈は、解釈する自分が変われば自ずと変わる。ただ、何もしていなかったら、解釈する対象がなかったら、それは叶わない。
振り返る時間をつくるのと同時に、成長を実感するしないに関わらず、自分がやりたいと思ったことはすべてやる。やりたくないと思ったことには、そこがuncomfortable zoneだと思ってあえて飛び込んでみる。そんな、限られた時間の中で目一杯自分の人生に点をうち続けるというのも大切な考え方かなと思う。

2nd Termを振り返る

金曜日で2nd termを終えた。振り返りたい。IESEの2nd Termの特徴が何であったか / どのようなチャレンジがあったか、どのようにハンドルしたか、何を得たのか。3rd Termで何にチャレンジするか。

IESEの2nd Termの特徴はチームアサインメントが多いことだ。ケースの量は1st Termと変わらないのでそこにチームアサインメントの負荷が加わる。

通常のケースに加え毎週1つ以上のアサインメントがあった。ショートレポートもあればプロジェクト型のものもあった。普段のケースディスカッションの準備にかかる時間加えて、それらアサインメントに取り組む時間が生じる。

どのようにハンドルしたか。3つの点をおさえた。まずチームアサインメントは分担すること、次に手を動かす前に頭を動かすこと、そして良く寝て運動すること

まず全てのアサインメントに全員が同じ度合で参画することは避けた。非効率だからだ。アサインメントを小規模プロジェクトにしてプロジェクト型のワークスタイルにした。各アサインメントの主担当は2-3人で他はサポート。主担当が少ないほどオーナーシップが生まれやすい。勿論全員でチームとしてこの内容で良いのかと議論する場は設けていたが、その時も主担当がいた方が意思決定しやすい。

次に、特にプロジェクト型のアサインメントでは手を動かす前に頭を動かすことを徹底した。限られた時間の中でアウトプットを出すのにボトムアップでは非効率的で価値も出ないからだ。ボトムアップのスタイルでは、一生懸命調べものをして、使い道の定まっていないアニュアルレポートやらニュースやら何やらが山のように集まったもののso whatがなく、残り時間が少なくなってからロジックやらメッセージを考え始め、時間がないから皆が不満を抱きながらありもので成り立つメッセージでありロジックでありに落ち着く。得てしてロジックはよれ、て一貫性もない、妥協の産物になる確率が高い。その状況は避たかった。
こたえるべき問は何か、満たすべき前提条件は何か。そこをおさえたらまず問にダイレクトに対応するこたえを考える。それをサポートするために必要なパーツを考える。各パーツが出すべきso whatも仮説で書ききる。それをサポートするために必要な情報、必要なチャートの形でありまで想定する。

ここまではパワーポイントのアウトラインでもただのメモ帳ででもいい。Horizontal LogicとVerticalロジックを通してその表現方法の目処までつけておくということだ。

これができて初めて調べ物に着手する。上記があるからこそチームでタスクの分担ができる。チームワークが成り立つのだ。上記の準備がなければタスクの分担は難しい。例えば企業の競争戦略を立ててコンサルタントの立場でプレゼンしなさい、というアサインメントに取り組むときに、ロジックがなければタスクの切り分けもできない。適当に切り分けたとしても、各タスク(例えば自社分析、競合分析、市場分析)と分けたとしても、最終的に戦略は結果単独から生まれるものではない。何がどうなっていればどういう戦略をとるべきだと言えるのか、そのロジックが固まっていなければ結局調べ物をしたものの戦略をアウトプットできない、”対象企業がとるべき競争戦略は何か?”という問に答えられないのだ。

ただ、上記は自分がオーナーのアサインメントに限定された。このスタイルに慣れていない人は”何も情報がないからわからない。調べてみないとわからない”で思考停止してしまうからではないかと思う。実際そういうシーンはあった。加えてやってみてもメッセージが浅くてどうとでもとれる、もしくはHorizontal Logicが通っていないけどなんとなくで走り始め、結局あとからロジックの整理をし直す必要に迫られた。

そして良く寝て運動した。睡眠時間はテスト直前の2-3日を除いて6-8時間確保した。また週末1-2回のジム通いを続けた。睡眠は十分であったと思うが運動は不十分だと感じている。

頭を元気に保っておく必要がある。なぜなら、自分の経験から、頭がつかれていると1.物事が決められない、2.戻れない、3.集中できない、4.記憶できない、5.計算できない、といったデメリットがあるからだ。プロジェクトの山場であるとかプレッシャーが大きくあり期間が限られているならいい。しかしこのケースはそうではない。

物事が決められないというのが最大のデメリットだ。結果、物事を決めるという行為自体に時間がかかる、迷うだけの時間が増えるのだ。例えば先程書いたプロジェクト型アサインメントでいえば、メッセージを決めるのに時間がかかってしまう、即決できなくなってしまうのだ。限られた時間で、決められないと、その理由として、決めるための情報がないのではないかと考えだす。情報があればわかると単純に思うのと、それが後ろのタスクにつながるとわかっているのでそうしたくなるのだ。やってみた結果は上記の通り、情報だけ増えて結局決められない。そして時間切れでロジックも通せずに妥協だ。そして疲れと責任感が一層意思決定能力を鈍らせ、睡眠時間を削り、一層疲れるという悪循環に陥る。

頭が元気なだけで決める力は増す。往々にしてアウトプットの質もこちらのほうが良い。

次に苦しいのが戻れないということだ。ポジションを決めた、手を動かして情報を処理し始めた、その時にポジションを変える必要が生じることはままある。これが仮説検証のサイクルであり、それを限られた時間で回すために最初にロジックを通し仮説でこたえてから検証していく。

が、頭がつかれていると、自分の仮説が棄却されたときにスタートに戻る力がなかなかでない。結果は妥協の産物だ。限られた時間の中でサイクルを回していくためには、やはり頭が元気である必要がある。睡眠時間を削って戻る時間を確保するという考え方もあるだろうが、そのために失うものの方が大きいだろう。

得られたものはチームでのポジション
チームでのポジションがつくれたのではないかと思う。周りのイメージも想定含めて書くとこうなっていると思う。

・ロジカル

・物事の構造化がうまい。はやい

・ホワイトボードの使い方がうまい

・プレゼン資料をつくるのがうまい。はやい

・一緒に働くと窮屈(働き方が違うし、ロジックとその表現方法となるとディテイルまで徹底するし)

・口数少ない

・英語下手

・謙虚

・主張が弱い(自分の担当するアサインメント以外)

議論云々ではなく、自分のオーナーシップとアウトプットを見せられたのが良かったのだと思う。一緒にそのアサインメントを担当したふたりとは仕事の仕方とその価値を共有することができた。

3rd Termでのチャレンジは2つ。自己主張すること。今の3倍程度話すことクラスでもプライベートでも。

まずもっと自己主張せねばならない。上記、ポジションをつくれたといっても自分がそれを発揮するのは自分がオーナーのアサインメントに限っていた。他に関しては他のオーナーがいるし、彼らのやりたいやり方があるだろうしと。他のプロジェクトついてもロジックを組んで各メッセージをパワーポイントに落とし、どういう情報・チャートで表現するべきかを示したが、それだけでは動けないし、プレゼンの好みの違いもある(本来聴き手に従う)。

例えば僕はプレゼンで色は2つ3つしかつかわない。自分の伝えたいメッセージを最も強く表現しているものにアクセントカラーを使う。他は黒もしくは墨色。後は見やすさの観点から1色足すなり濃淡を加減するなりする。意味のないものは色も含めて一切省く。イメージを使うこともあるが、それは最後、メッセージを表現するのに適切だと考えた場合に選択する。

一方で人によってはイメージを多用したい人もいる。裏にロジックが通っていてファクトに基づいていれば良い(アサインメントの枠を超えてみれば良くない。プレゼンされないと意味がわからない資料になっているからだ。プレゼンを聞いた後の使い道が制限される。凝っていればいるほど。また企業相手であれば社内の意思決定プロセスを通すにはビジュアルだけでは難しい場合が多い)

何れにしても、自分が担当していないアサインメントに関しても、自分が考えるメッセージでありロジックでありは主張しなくてはならないなと感じた。でないと後々のアウトプットを見た時に納得ができないというケースが生まれる。オーナーは自分ではないといっても、それがチームのアウトプットなのだ。

次に、もっと話す量を増やさねばならない。クラスでもプライベートでも。英語力がまだまだ不十分だからだ。勿論英語の練習のために話すというわけではないのだが。

ということで短い休みだけど英気を養って、3rd Termも元気に走りぬきたい。

IESE MBAの文化祭 – Multi Culti

土曜日に文化祭があった。Multi Cultiという名前。会場はPoble Espanyol de Barcelona。直訳するとバルセロナのスペイン村。その中の奥まったところにある大きなテントが会場だったのだがそこにつくまでの街並み?が美しかった。

IESEへは60近くの国々から学生がやってきているが、そのうち23カ国がブースを出してそこで国々のお酒であり料理でありをサーブする。またテントの中にはライブの設備を持った舞台があって各国趣向を凝らしたパフォーマンスをする。てっきり賑やかなお祭りを想像してやってきたが、実際は想像を遥かに超えるテンション。18時から24時という開催時間を考えれば想像ができたのかもしれない。最終的にはドーム内がクラブと化していた。

その後(って午前1時過ぎ頃だろうか)、多くはクラブへ流れたと聞いた。

そんなエネルギー溢れる文化祭から感じることが幾つかあったのでランダムに書いていく。

皆が自分の出身国を楽しむ

皆が自分たちの出身国のトラディッショナルな格好をして、パフォーマンスをして、心から楽しんでいたように感じた。アゼルバイジャン出身のクラスメイトがいて、確かClass of 2014でひとりだと聞いた気がしているのだが、彼はアゼルバイジャンの国旗をマントとして纏って会場で楽しんでいた。国ではなく個人による話だが、自分がもし1人でここに来ていたら僕は日本の旗をマントにしていただろうか、とふと考えた

皆踊れる

パフォーマンスの多くはダンスを含んでいた(一部プロレスを含んでいたし、キョンシーを含んでいたし、殺陣を含んでいた)。皆上手い。勿論踊れるからステージに立っているのだと思う。それにしても。会場でリズムにのっている人も自然体。とても楽しそうだった。

皆好奇心旺盛で仲間の国を愛する

飲んだことのないお酒、食べたことのない料理。友達に薦められるまま皆チャレンジする。とあるテーブルでカラのコップを渡されたと思ったら液体がちょこっと入っていて、とても強いお酒だという。飲んでみた。確かに喉とお腹が熱くなった。アルコール度数60-70%程度とのこと。名前を忘れた。

韓国出身の若者はお祭りが始まって早々ドイツ人のクラスメイトにショットを薦められて飲んでいた。それのせいなのかはわからない。数十分後会場であったら当初着ていたチマ・チョゴリ?(少し違う気もしたがその雰囲気のキレイなドレス)ではなく普通の格好でよれよれになっていた。無事だったので何より。

酔うと平和に?騒ぐ

これは若いからなのかどうなのか。酔うと(テンションが上がるとなのかもしれない)、広いスペースがあったら肩を組んでワイワイ騒いだり、冗談でソフトにタックルをしてみたり。まあ、普通の酔っぱらいと言えば酔っぱらい。普段冷静なクラスメイトが騒いでガードマンにそっけなくいなされる姿は、”ああ、こういうの学生らしいな”、と感じさせる瞬間だった。

クラスとは違う一面が見られる。能く学び能く遊ぶ

仕事と同じように考えたらわかりやすいのかもしれない。クラスはon、他はoff。クラスでは見せないような一面がたくさん見られる。それぞれ目的を持って集まっているし、MBAでの学習であり議論でありを通じて成長するために力を注ぐ。が、遊びも皆かなりのエネルギーを注いでいるんだなと感じる。人によると思うが、自分の生活のリズムであり時間配分でありを管理できていないとここまで一生懸命学び一生懸命遊ぶというのはできないだろう。

皆とってもいいやつだと思う。そして自分は日本について知らねばと思う

いいやつばかりだと思う。ぶらぶらしていたら声をかけられてFecebookにupしてきたこれまでの写真のことを覚えていて褒めてくれたり、先日のOMOTENASHI NIGHTの感動を改めて語ってくれたり、日本が大好きだ、日本人の仲間が大好きだ、尊敬する、僕は日本から学ばなければならない、と話しかけてくれたり。ポジティブで、酔もまわっているからそういう話になっているだけなのかもしれない、誰にでも何にでも同じようなことを言うのかもしれない、そのあたりは分かっていないのだけど、そうやって言われると嬉しいのと同時に、日本の良さ、学ぶべきだと言われる点について自分がもっと学び、自覚せねばならないのではないかと思わされる。

結局1時頃に会場を後にして、それから遅めの夜ご飯を軽く食べて帰った。行って良かったと思う。

イノベーションに必要なもの / どの視点で学ぶか

今日のマーケティングのクラスは、イノベーションを起こすには、イノベーティブな組織でいるためには、トップマネジメントと組織文化が鍵だという言葉でクローズした。周辺にはいくつかの重要な要素がある、が、最も重要なのはそれら2つだと。
反射的に、
”論外。ナンセンス。”
と思った。
コンサルティングの観点からして、直接手を入れるのが不可能なものだからだ。イノベーションが必要な企業に対して”トップマネジメントと企業文化を変えればイノベーションが起こせます”という話はない。
企業に務めている人間としても難しい。トップマネジメントを変える、企業文化を変える、どうやってやればいいのか?という質問が即座にでるだろうし、実際に文化を変えてうまくいきました、という話は僕は知らない。試行錯誤のすえブレークスルーを果たし、振り返れば文化と思しきものも変わっていたという話ならまだしも。
しかし、これから自分の企業を興そうとしている人にはどう映るだろうか。
自分がトップマネジメントなのだ。将来の自分の一挙手一投足が(直接触れることのできない)企業文化をまず形成するのだ、そしてそれがどのようなものになるかが起業した先イノベーションを生み出し続けられるかどうかを左右するのだ。そのためにこのケースの主人公(トップマネジメント)がどういう場面で何をしただろうか、その結果何を得られただろうか、彼から学びよりうまくやるためにどういう改善ができるだろうか、事業の違いに鑑みた時にアジャストするべき点/せずに使える点はどこだろうか。そもそも直接触れられない文化がこれほど強いものであり続けられている理由はどこにあるのだろうか。トップマネジメントだけに依存するものなのだろうか。プロセスはどうか、組織体制はどうか、仲間(従業員)の知識・スキル・経験はどうか。もしトップマネジメントのみに依存するのだとしたら、自分がこの事業を手放すとき(新たな事業を起こすのか、リタイアするのか、等)後継者がいる必要がある、そこはどうすればいいのか、ケースの主人公波動したのだろうか。etc…
学びの塊だ。
どのレンズを通してみるかで情報の価値、学びの量は大きく変わる。
以下追記
リーダーという観点からすれば少なくとも自分の組織・チームに於いてはトップでありその中での文化の形成に関しては直接影響を及ぼせるのではないかとふと考えた。結果、クラスに臨む自分の視野が狭かった、視点が低かったのではと思う次第。

プレゼン資料をつくるときすぐ使える2冊

この2冊をおさえればプレゼン資料の見栄えを良くできる。資料の見栄えが醜くて読まれない、見られない、価値が伝わらない、という事象は回避できる。
プレゼンテーションも資料もシンプルなほどよい。

プレゼンテーションをシンプルにしようとすれば自然とその構造の無駄をなくそうとする。行ったり戻ったりをなくそうとする。

資料をシンプルにしようとすれば自然とその資料・ページで言いたいメッセージをシンプルにしようとする。メッセージをシンプルにしようとすれば自然と何が本当に自分が言いたいことなのか研ぎ澄まそうとする。

その過程で、シンプルでない構造がどれだけ聴き手を混乱させ、コンテンツの価値を毀損しているかを知る。

シンプルでない資料がどれだけ自分の伝えたいメッセージの邪魔をし、コンテンツの価値を毀損しているかを知る。

構造でありデザインを良くすることは聴き手に対する最低限の敬意であり礼儀だ。

敬意を払い、礼儀をなすだけでは価値はうめない。

しかし価値があっても相手に敬意を払わず、礼儀を欠いて損をするケースは多いのではないか。

ノンデザイナーズ・デザインブック [フルカラー新装増補版]
Robin Williams (著), 吉川 典秀 (翻訳)

プレゼンテーションZen 第2版
ガー・レイノルズ (著), Garr Reynolds (著), 熊谷 小百合 (翻訳)