道具と覚悟と勘違いと -IESE MBAを通じて得られた7つのもの

明日から次の仕事を始める。残っていた部屋の片付けを概ね済ませ、掃除機をかけ、ダンボールを処分してPCの前に座る。

今のうちに自分がIESE MBAの生活を通じて何を得たのか整理をつけておきたい。

MBAの価値とは何か?という問いはよく聞かれる。誰にとってかによってこたえが異なることは容易に想像がつく。ここに書くのは勿論僕にとっての価値であり、僕が得られたと現段階で思っているものだ。

IESE MBAを通じて今後の自分の人生に対する覚悟と勘違いを得た。そしてそれらが推し進めるMBAを経たからこその人生を歩むための5つの道具を得た(仲間を道具と言うとニュアンスが異なるのだが)。

1. 実践的な経営管理にまつわる知識
2. 多様なキャリア経験
3. 世界およそ60カ国の仲間
4. 多様な仲間とアウトプットを出す力
5. 幅のある仕事観・人生観
6. 価値を出さねばならぬという覚悟
7. 価値を出せるという勘違い

MBAの価値の有無は自分がこれからの人生をどう生きるかによって決められるものだ。もしMBAへ行っても行かずとも全く同じ人生を歩むのであれば、これだけの時間とお金を投資する価値は僕にとってはないだろう。

上記がMBAを経た人生とそうでない人生を分かつ。自身が自身に望むものを見失わずに、MBAの価値があったと思える人生を進みたい。


1. 実践的な経営管理にまつわる知識

800程度のケーススタディ、各分野での幾つものプロジェクトを通じて、経営管理にまつわる知識を”使える”かたちで身につけられたと思う。

知識だけに着目するなら本で足りる。実践的というのなら実際の仕事において責任を背負い学びと同時並行でアウトプットをしている方がはるかに上だ。

しかし、経営者の立場で経営管理の全学問領域における数々の課題を答えのない中でどうするべきかひたすら考え主張するという経験はおそらくMBAでなければ経験できなかっただろう。

コンサルタントとして事業を束ねる立場に近しい位置で複数の業界と経営管理の領域における課題解決に身を投じてきたつもりでいるが、それでもこの経験は得られなかっただろう。コンサルタントと経営の当事者との間の違いは想像以上に大きいものであったと感じている。

コンサルタントをしていた時に特定のフレームワークに価値を認めることはなかったし、それをそのまま使って事実を整理して何かを主張するなどということはありえなかった。今後もそれはありえないだろう。ただ、そうした一連の道具を自分の頭のなかに修めていることは、800程度とは言え複数の業界・企業の経営課題の事例を自分の頭のなかに修めていることは、思考と意思決定スピードをはやめる一助になるであろう。

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2. 多様なキャリア経験

上記ケーススタディに加え、そのケースの主人公がゲストスピーカーとして登壇しディスカッションに参加する場面もいくつもあった。クラスのデザイン自体が自身を特定の業界・立場に置いて課題に取り組むというものもあった(例えば資本家・投資家・起業家の立場で投資に関与するというもののように)。またインターンを通じて成長著しいECの新規事業開発であったり複数の海外のスタートアップの企業の戦略策定やパートナー企業選定へ参画してきた。

MBAの学生という立場が自覚せぬうちに自身のアウトプットの質を乏しい物に貶めていた可能性はある、相手企業が学生だという目線で接した結果甘やかされていた可能性も、望んでこそいないが、否定はできない。

そうであったとしても、こうした多様な経験はMBAでなければできなかっただろうと思う。

この経験は自身のキャリアの幅を拡げると共に、想像力をより広い、具体的なものにしてくれた。

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3. 世界およそ60カ国の仲間

アルムナイも含めると国の数はもっと増えるだろう。世界中に仲間ができたと思う。勿論、同学年の皆と親友になったなどということはない。ただの顔見知りだっている。それでもおそらく同じくIESEに属して共通の経験をしてきたという事実はその人の距離を縮めるのにとても役に立ってくれると思う。

これもMBAでなければなせなかったことだろうと思う。

仕事で海外にいく機会は増えていたし、MBAに行かずとも仕事を通じて海外の仲間は増えていたと思う。しかし、その仲間の数、多様性は比べられないほどだと思うし、何より学生として利害関係も上下関係も何もなく切磋琢磨してきて築かれたような関係にはなっていなかっただろう(以前仕事を共にした数か国の仲間とは、所属が異なる今でも仲良しなのだけれどもそれでも)。

この仲間も僕に多くの想像力をくれた。個性は個々人異なるとは言え、どの国と言えば、僕はその国出身の同級生を思い浮かべるし、それは何かその国を自分にとって身近なものに感じさせてくれる。その国に対する想像力を働かせる助けになってくれる。

また人間として学ばせててもらえたことも多い。自分の良い点悪い点に気づかせてもらえたことも多い。知らぬ間に当たり前としていたことがそうでないと気づけたことはありがたい経験である。

他人へ期待するものではないが、僕はそうした仲間に頼られたら、役に立てることがあるのならばなしうる限りそうしたいと思うし、仲間もそう思ってくれていたらとても幸せだ。

4. 多様な仲間とアウトプットを出す力

とはいえ仲間も他人であるし、多様であるからこそ、ぶつかり合うことや思い通りにならないことはいくらでもある。それが当たり前になった。

そんな仲間とチームを組んでケーススタディでありプロジェクトに取り組み結果を出してきた。多様であり上下関係も利害関係もないからこそ得難い仲間であり、同時そうであるからこそチームワークは難しいものになる。

この経験はきっと多様性とはどういうものかを体で学ばせてくれたと思っているし、この経験があるからこそどのようなチームで何に取り組む際にも、どこかでどうにかなるとポジティブに信じて進んでいけるのではないかと思う。

これはMBAでなければ得られなかった経験のように感じている。

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5. 幅のある仕事観・人生観

2年間のMBA生活の中で色々な意思決定をした仲間がいる。IESEの学生に閉じず。MBAを去る、起業する、結婚する、出産する等。多くの仲間が経験する転職においても然りだ。どういう基準でどこを選ぶのかは勿論、そのアプローチの仕方でありタイミングの考え方であり諸々。

例えば就職で言えば、大体のタイミングというものは決まっていて、知らぬ間にそのタイミング通りに結果を得られるかどうかを気にしている自分に気付かされるであったり。

上記のように様々な意思決定をし、自分の人生を切り拓いていく仲間と話しているうちに、そういう生き方もあるんだなというのが当たり前のように自分に浸透していたように感じている。

また僕より40歳近く年上のスペイン語の先生はいつも目を輝かせて楽しそうにスペイン語を教えてくれた。事ある毎に屈託のない笑顔で、私はスペイン語を教えるのが大好きなの!と言う。プロジェクトがタフだとか、ケーススタディでスペイン語の勉強がちょっと思うように捗らないという話をしていても、それがMBAの学生の仕事だもんね、と言いながら、私は仕事が大好きでたまらないけど、と優しく話す。

自分が本当にやりたいことをみつけ、それに打ち込む人間がどれだけの輝きを放ち、どれだけの力を持っているのかというのを身をもって経験できた。こうありたいなと思った。

ひとつひとつをみればそうではないが、これだけ多くの出会いをこの期間でできるのもMBAであったからではないかと思っている。

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6. 価値を出さねばならぬという覚悟

こうした経験を2年間続けていると、自分も何かを成さねばならぬと感じるようになる。留学する前にエッセイの中で自身のキャリアビジョンを書いていたはずだがそれとはまた異なった感覚が生まれるようになる。

例えば、MBAに所属しながら新興国の経済であり社会的な問題について学んでいると、その地域出身の仲間と会話をしていると、自分がどれだけ恵まれた環境を当たり前のものとしてこれまで生きてきたかに気づかされる(理解が浅く、現実に及ばないのは承知の上だ)。

そうした過程を通じて、この世界に対して何かをなせねばならぬのではないか、価値を出さねばならぬのではないかと感じるようになる。

僕の次の一歩はダイレクトにこの気持を体現するものではない。しかし、こうした気持ちであり、覚悟とも言えるものを自分に持つことができたのはMBAで得られたものであると感じている。

 

また、こうして幾つものものを得られたと言っている一方で、そのために費やしたものがある。それは2年間という時間であり、決して小さくはない学費・生活費でありだ。他にどのような機会を得られたか、その可能性を考えればMBAがベストの選択肢だったのか考える余地はあるだろう。

しかし僕は既にその時間とお金をMBAに費やしている。そして、その選択が、今背負っているものが、これからの自分の人生を通じてこの投資が最良であったと思える価値を生まねばならぬという覚悟になっている。

もしこの2年間留学前と同じキャリアを続けていたら、その道において僕はそうしなかった自分よりも優れた存在になっていたと思う。少なくとも現役を2年間離れた僕ではかなわないだろう。

しかし、一方でこれからの人生をどのような覚悟を持って生きていくのか、その面で今の僕とは異なるだろう。費やしたもの、背負っているものが違うのだから。

良し悪しはさておき、この覚悟はMBAに行かなければ得られないものだろうと思う。

7. 価値を出せるという勘違い

価値を出さねばという覚悟と同時にそれができるという勘違いも得ている。これまで書いてきたほ知識であり経験であり仲間でありチームワークやリーダーシップそして人生観っと言った全てが僕に勘違いをさせていると言えるだろう。

なぜなら、覚悟と同様、この2年間の経験は、自分が何を成さねばならぬのかを考えさせるのと同時に、お前ができるようにならねばならぬのだ、できるのだというメッセージも発し続けるものであったからだ。

現実とは違う、他人と自分は違うと知りながら、2年間の山であり谷でありをくぐり抜ける度に、その経験が僕に勘違いをさせてきたのだと思う。自分が凡庸であるということをわかっているはずなのにだ。

この勘違いはMBAの経験がなければできないものであっただろうと思う。


もしこれらを得た後に、その前と全く同じ環境に戻り全く同じように仕事をするのであれば、MBAにこれだけの時間とお金を投資する価値は僕にとってはなかっただろう。

しかし現実はそうではない。MBAを修めた途端に魔法が使えるわけでも、世界が自分に優しくしてくれるわけでもない。一方でこうして得られたもの、道具と覚悟と勘違い、を活かしてどのような人生を歩んでいくかは自分の選択だ。思い通りの結果を得られない時も、目的に照らしてその事実をどう解釈して次の一歩を踏み出すかは自分の選択だ。

自身が自身に望むものを見失わず、そしてMBAの価値があったと思える人生を歩んでいきたい。

[書評] 外資系金融のExcel作成術 -説明不要のモデルをつくる

仕事上PowerpointとExcelを使うことが多かった。しかしモデリングの経験は多くなく、Powerpointのように細部にわたるまでの、何を表現したいときにどうすべきか、という基準は持ち合わせていなかった。

MBAでのクラスは勿論、Venture Capital & Private Equity Clubのモデリング講座を受けたりしながら基礎を築いてきた。今回、この本を通して日本語で復習したいと思って手にした。

素晴らしい本であると感じた。自分の経験に照らして、書いてある内容に目新しい物はなかったが、プリンシプルがあり、細部においてもなぜそうしなくてはならないのかが明確に示されている。

当たり前の一言で片付けることもできるのかもしれないが、こうして全てが明文化されていることがまず素晴らしい(本を通じてメッセージするためには当たり前ながら文字を含むビジュアルになっていなくてはならない)。自身が当たり前のように身につけている所作を、自覚し、言葉に置き換えていく作業は思う以上に負荷が高い。

また、究極的には読み手に依存するモデルの品質の担保の仕方についてもうまく説明がなされているように感じた。説明せずに複雑な計算式を埋め込んでしまうと意味がわからなくなる一方で全ての数値を表にしていては冗長になってしまう、その辺りをどうするべきかという点がそうだ。

前半の、モデリングの前のそもそもの表の作り方・Excelの使い方も非常にシンプルにまとまっている。Excelの使い方というのは非常に多岐にわたっており、色々と斬新な使い方を目の当たりにして言葉を失うことも時折あるが、こうした基本的な思想を身につけた人が増えれば、データのやりとりや加工分析はずいぶん効率が上がるだろうと思う。

そして、基本的なデザインに関しては、Excelに閉じず、Powerpointに閉じず、やはり『ノンデザイナーズ・デザインブック』は秀逸であると再認識した。説明を必要としない、アフォーダンスのレベルの高いものをつくろうとした際に、デザインの基礎を学ぶことは避けては通れない。

からだで学んでいきたいと思う。

こうして最低限必要となるモデリング等にかかる負荷を減らせる程、前提条件に反映される事象であり、この数字の裏にある・この数字に責任をもって実現していく人間関係であり、といった一層大切なものごとに対して割ける時間を増やすことができるのだし。

[書評] 嫌われる勇気 -人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと

自分の人生を歩むために人に嫌われることを厭わない勇気を持つというのは大切なことだな、と思って手にした。

僕は人に好かれるために自己犠牲を払うとか他人の人生を生きるといった類のことはもともとしない。一方で堂々と人に嫌われることもあまりしない。

留学を通じて自己主張すること、軋轢を乗り越えてチームで動きアウトプットすることの経験を積んできたがまだ足りないように感じている。

アドラー心理学は『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーや、『7つの習慣』のスティーブン・コヴィーの思想に近いものがあると説明されていたがその通りだと感じた。そう考えて読むと理解が早い。

本は青年と哲人の対話形式で進む。この青年のキャラクターに違和感を覚えるのだが、アドラーの考え方をメリハリをつけて伝えるために必要なのだろう。帯のコメントを見ると伊坂幸太郎氏は、最後にはなぜか泣いていた、と言われているが、僕はそうはならなかった。むしろ青年の変化に対する違和感を強めた。ここは内容の本筋ではないのだが。


自身の理解のもとにこの本にある内容をまとめると次の3つになる。僕のチャレンジは3つ目にあると思っている。

1. 責任の範囲を見極め自責・目的論で生きる

物事には自分が変えられるものと変えられないものの2つがある。まずここの見極めが大切だ。自分が変えられないものを変えようとする、思い通りでない結果を悔やむことは無価値だからだ。

変えられるものに関しては自身の望む結果を出す責任は自分にあるのでその責任を全うする。そうでないものに関しては、結果のいかんに関わらずそれをどう解釈しどうその後に活かすかは自分の自由だ。そしてその自由を活用するために必要なのは、その結果の被害者ぶることなく自分のその先の目的に焦点をあわせ、それに対して有益な解釈を選択することだ。

こうして生きることは自分と他人を比較する必要性をなくす。比較するべきは自分の理想と現実であるという思考にたどり着く。

自分がそうやって生きるということは、他人が同様に考えて生きることを尊重することにもつながる。それはこの本でいう課題の分離に通じるものであり、また縦の関係から横の関係へシフトするということにつながるだろう。

2. 今の一点に集中する

ただ過去の延長線を生きているに過ぎないとせず、未来のゴールに向かう通過点であるとせず、今を真剣に丁寧に生きる。

程度問題はあると思う。過去が未来を規定する側面もあるのだと思う。それでも自身の今であり将来を考えるとき、全ての過去はサンクコストだ。

また将来のゴールを見据え、今は数あるステップの1つであるという考えも注意が必要だろう。その考え方自体は問題ではないが、この考え方は、容易に現状理解・改善の思考を停止させるからだ。

それをする労力を払う前に、これは数あるステップの1つなのだ、いずれ終わるものなのだとフレーミングし、そいうことだからとやり過ごそうとするケースが多いように感じる。

往々にしてそれでは物事は思うように行かない。やり過ごせたとしてもそれは理想ではないはずだ。

過去に何があろうとも、将来に何を描こうとも、人はいましか生きられない。であればその今には真剣に丁寧に向き合い続けなければなるまい。

3. 仲間意識を忘れず他者貢献に焦点をあてる

自立し社会と調和して暮らすことをアドラーは行動面の目標とする。そのために必要なもの(この行動を支える心理面の目標)は、自分には能力があるという意識と、人々は自分の仲間であるという意識だとする。

周囲の人々を自分の敵だとみなせばそこに争いが生まれる。それは容易に縦の関係を築く。それでは社会と調和して生きることはできない、また他者との争い勝つことによって自身の優位性を強め自身の存在意義を感じようという行動様式が悪循環を招くことは容易に理解できる。

周囲の人々は自身の仲間であるという意識を忘れず、一方でそんな周囲の人々の期待を生きることをせずに自身の信じる他者貢献に焦点をあてて生きる。

この他者貢献をアドラーは導きの星であるとしている。旅人が北極星を頼りに旅をするように、自分たちの人生にも導きの星が必要であり、それが他者貢献であると。人がどんな刹那を送っていようと、たとえ人に嫌われようとも、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいいと。


幾つか印象に残った言葉を次に抜粋して結びとしたい。

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだ

「もし自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからにすぎない」

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる

わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」という思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーーによって引き起こされます。

他人の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。

自由とは、他者から嫌われることである

人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ

 

[書評] 非学歴エリート

生活のセットアップを進めている。落ち着いたら自身がIESE MBAを通じて得たものをまとめようと思いながら、落ち着く前であっても隙があればを読む。これまで満足に触れられていなかった和書で興味を抱いていたものを手にする。

タイトルはさておき、内容はoverachieveし続けるために筆者が何を考えどう行動してきたのかをまとめたものだ。書かれているtipsに、これまでにない何かが散りばめられているということはない(そもそもtipsの新しい古いは価値の大小とは無関係であり、実践し得られた結果がその人にとってのtipsの価値なのだが)。

ただ、単にtipsを紹介している書籍と一線を画するのは、ここに書かれている全ては筆者が実行し結果を出してきたものであり、選択の結果どのような経験をしてきたのかが本人の言葉で具体的に書かれていることだ。

個人的に改めて強く頷いたのは次の点だった。

P. 23 「個」としての目標。これが大切なのです。

P. 37 これが「浮遊層」です。彼らは、自分自身の目標と信念がなく、いつもふわふわ漂っています。他人の言葉や流行に左右され、端から見てよさそうなものには、考えなしに飛びつきます。そして、自分の信念がないので批判されるとすぐに落ち込みます。

自分とはまったく関係のない流行のビジネス書を読んだり、セミナーに顔を出して知識のつまみ食いをしたり、人脈交流会に顔を出してムダに知り合いを増やしたり、一見すると積極的なのですが、目的地がどこにもないのです。

P.71 本当に個性とは格好ではなく、行き方であり志です。仕事においてそれが持てない人生ほどつまらないものはありません。

P. 236 成功とは「個性が開花すること」です。

少し旅をして無事日本へ戻ってきて一息。写真のことを考えた

昨日無事に日本へ戻ってきた。バルセロナを5月末に離れて2週間弱程度東へ旅行をしながら戻ってきた。時差ぼけがある以外は至って元気だ。

バルセロナを離れる前、卒業前後も含めると、

と巡って日本へ戻ってきた。一旦実家へ戻ってきて、これから東京への引越しと東京での生活のセットアップだ。

まずは一息ついて、この旅行を振り返ったり、そもそも僕がMBAで何を得たと感じているのかを振り返ってまとめたりしたい。

写真の整理だけ済ませた。上記では3,000枚を超える写真を撮っていた。この短期間に多くの場所を巡って多くの写真を撮っていると、自身の表現力の薄さを強く感じる。

自分が何に感動しているのか、何がその感動を象徴しているのかを深く掘り下げることなく、全体を収めるために超広角レンズを使って視界に入るできるだけ多くのものを収める。その繰り返しだった。それが良いな場合もあるのだが、往々にしてものを削ることで残されたものが際立つし、その逆で全てを含めた広角の写真は何も際立たない。何も伝わらない。

写真を撮る時間をおさえるためにぱっと広角で切りとって、歩きまわって旅行を楽しんだのは良かったのだけど、残った写真を見ると少し寂しくもある。

もし狭い単焦点だけを持って旅行をしていたら、きっと僕は自分の目に映るシーンでありものの何がインパクトがあるのか、何に対して自分はそう感じているのかをもっと考えていただろう。一方で壮大なカッパドキアの朝日であり、カテドラルやモスクといった建築物のそれを表現することは叶わなかったかもしれないが。

インプットを増やしたい。

これだけアウトプットをしてこの結果だ。今必要なのはインプットだ。どんな構図で何を撮るとどのように感じられるのか、表現できるのか。そのために技術的にどういう場合に何をどうする必要があるのか。

大切なのは前者だ。デジタルカメラを使っている以上、後者はデジタルな変数の組み合わせでしかない。それに、何より前者を実現するための後者だ。

ということで、また気に入った写真集やら雑誌やらを眺めて感性を養いたい。そしてカメラが欲しいしレンズも欲しい。