相手の役に立とうと思うなら相手の人間関係の中で意味のあるポジションをとる必要があって、そのためには相手がどういう人間関係の中にいるのか理解する必要がある

仕事であれプライベートであれ、何かしらの相談を受けることがある。そんな時僕は役に立ちたい。相手に対して何かを伝えるとき、1)何を、2)どうやって、に分解できる。で、それを決めるときに想像を馳せるのは相手の人間関係だ。それがどうすることが相手の役に立つということなのかを教えてくれることが多いと感じている。

0) そもそも黙って聴く/同意を示して話を引き出す(こちらから何も伝えない)のか、何かしらメッセージするのか。

周りに黙って頷きながら話を聞いてくれる人がいなければ、その人はひとまず黙って頷きながら話を聞いて欲しいと感じていることが多い。何かを相談してもその相談が終わる前に要はこういうことでしょ?とまとめられる。こうすればいんじゃないの?と解決策を提示される。そもそもどうして(そんなことで)悩んでるの?とそもそも論を展開される。悩んでいる事自体云々よりも、自分を理解してくれる人がほしいと思うようになる可能性が高い。

であればまずは黙って頷きながら相手の話を聞くことだ。それだけでも相手は満たされるだろうし、それによって自分の頭が整理された相手に対してなら、悩みの要約でも、解決策でも、そもそも論でも、拒絶されずに話を進めることができるだろう。役に立つことができるだろう。

逆のパターンも然りだ。

1) 何かをメッセージするのなら、肯定的な側面を話すのか、否定的な側面を話すのか。

周りに否定的な側面のみから意見をもらっている相手ならば、その人は肯定的な側面からの意見も欲しいと感じていることが多い。既に多くの観点から否定的な意見をもらい蓄えている相手に、新たに否定的な観点から話をするのは難しい。既知だから。そういう時は(あえてでも)肯定的な側面からの意見を探して出してみる。人によるが、事実と関係なく、賛否どちらかに偏った意見をもらっている人は、そのどちらかを否定するように頭が働きがちだ。こちらからそれを否定するような意見を出しバランスを保てると初めて当人は客観的に考えられるようになることは少なくない。既知の話を繰り返すのか、新たな観点だが否定的な意見を足して相手をより頑なにしてしまうのか、一旦逆の側面の意見を出してみてバランスをとって話を進めていくのか。最後のオプションが役に立つように感じている。

逆のパターンも然りだ。

1つ加えて、周りに賛否の明確な意見が得られていない相手ならば、その人は賛否にかかわらず明確なポジションをとった意見を欲しいと感じていることが多い。良し悪し両面あるけどわからないなあ、という意見を多くもらっている相手は、自覚なく自身の考えを”決め”、”行動に移し”、”何らかの結果を得る”という行為から遠ざかっていることがある。そのような場合は、賛否のいずれであれ明確にポジションをとり相手にメッセージするのが良い。賛否両面の意見を蓄えている相手は、どちらを話してもその逆の意見を想起するだろう。敢えてでもポジションをとりつづけることで、その均衡を崩す。話を前に進めるためにそのゆらぎが必要だからだ。そしてそれが役に立つように感じてる。

2) そしてどうやって伝えるのか、感情を出さず粛々と伝えるのか、優しく伝えるのか、感情を込めて強く伝えるのか。

これに関しても1)で展開した論理と同様だ。相手の周りにどういう伝え方をする人が多いのか理解することが、役に立つために必要な伝え方のヒントをくれる。

 

上記に際して、大切なことが2つある。

1つは、最終的に何を伝えたいのかは曲げないということ、何を伝えるかとどうやって伝えるかは切り離すということだ。話の入り口であり進め方は相手を慮って決める必要がある。バランスをとるために、もしくはポジションをとるために100%本意ではない意見もあるのかもしれない。であっても、論理的にそういう考えもあるという話であり、自分ならどうすべきと考えるか、自分ならどうするか、等、自分なら相談されているイシューに対してどう答えるべきと思うかという点は曲げてはならない。ただ、その伝えるメッセージと、どう伝えるかは切り離して考えなくてはならない。

よくあるのは次の2つのパターンだ。まず優しく伝えるということと、メッセージを丸める(歪める)ことを混同するパターン。次に強く(怒り等の感情を交えて)伝えるということが、メッセージの論理を飛躍させる/過剰にポジションをとることにつながるパターンだ。あくまでこれら2つは切り離してコントロールしなくてはならない。

そして大切なことのもう1つは、最終的には相手の置かれている環境に加えて、相手が何を欲しているように感じられるか、プライマリーの情報を軽視しないということだ。相手の置かれている人間関係を理解することで相手にとって何が役に立つということかの仮説は立てられる。しかしその人間関係をどう解釈し、何を欲するかを決めるのは本人であることが多い。仮説はあくまで仮説であり、本人との対話において何が役立つために必要なのかは考え続けなければならない。

 

One thing for good communication|健全なコミュニケーションに必要なひとつのこと

One thing for good communication is to separate fact and other things derived from it and opt your reaction following the fact, not other things. You have to understand that the more you follow not the fact but the things derived from it within your mind the more the possibility of which you cause misunderstanding and get trouble becomes.

For example, in a case of Personality and Leadership, when a person got a feedback for his important report from an executive whose age is same with him after its submission and the feedback was so detail with red handwritten letters, he felt that the executive accused his report and inhibit him from promotion; then, he resented and tried to revenge on her (of course with smart way, not directly aggressive).

As you know, in this case, he didn’t follow the fact but the things, emotion and assumption, derived from the fact within his mind. The fact and derived things are

  • The fact: he got a feedback for his important report (though the timing was too late to revise)
  • Derived things: he felt the executive accused him and didn’t acknowledge his capability. he assumed she prevented him from promotion

If he focused on the fact. His proper reaction would be

  • First of all, he should say “thank you” for the feedback because it is a input to improve his report
  • Second, he should ask her for providing feedback before deadline of the report to secure the buffer when he revises
  • Third, if he had any points he didn’t catch the meanings, he should confirm them

After that, he should also clarify her intention with acknowledgement that it was just his assumption.

In the situation especially the derived things are negative emotion, you have to be careful to separate it from the fact because the negative emotion becomes a message that the counter person is the person who behave with such vicious intention. Who wants to make good relationship with the person who believe you are vicious.

On the other hand, the more you are in tough situation, the more you easily bond the fact and derived things (often these are negative emotion).

Be careful. Whether she/he is good person for you depends on how you regard and deal with him/her.

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健全なコミュニケーションに必要なひとつのこと、それは事実とそこから派生するすべてのものを切り離し、事実に従ってあなたのリアクションを選択することだ。事実ではなく、そこから派生するものに従ってリアクションを選択する程、コミュニケーションで誤解を招く可能性があがるからだ。

Personality and Leadershipのクラスのケースを例にする。主人公はあるマガジンの発行を任されており、幾度にもわたるレビューをうけ、ようやくリリース。満足の行く結果を得られたと感じていた。プロモーションを考えても大切な仕事であった。するとその直後、ある年の近いエグゼクティブから手書きのレビューが届く。彼女は事業部の違う、しかし社内でのポジションは彼と同程度と思われる人物だった。詳細にわたって赤入れがなされており、コメントを参照するように、と書き添えられていた。彼はこのタイミングでこのようなことをするのは、彼女が彼の仕事を邪魔している、出世を妨げようとしていると感じた。結果彼は、激昂し、大人の作法で復習しようと考える。

この例で彼は事実ではなくそれから派生したもの、感情であり仮定であり、にもとづいて自身の行動を選択している。事実とそこから派生したものは、

  • 事実:彼は彼女から彼の重要なアウトプットに対するフィードバックを受けとった。タイミングは修正には遅すぎたが。
  • 派生したもの:彼は彼女が自身の仕事を阻害していると感じた。彼は彼女が彼の出世を妨げようとしているように感じた。

もし彼が事実に焦点を当てていたならば、適切な行動は以下の様なものであっただろう。

  • まず最初にお礼を言う。自身のアウトプットをよりよいものにする可能性のあるフィードバックをもらえたのだから
  • 次に彼女に、次回からはもっと早いタイミングでフィードバックをもらえるようにしたいと依頼する。そうすればそれを反映する時間がとれるのだから
  • そして、内容について理解の及ばない点があったらそれを確認する

その後、もしこのケースに書かれたような彼の感情が拭い去れていないのであれば、それは自分の想定だ、自分はそう感じたのだ、と明示した上で率直に尋ねるべきだ。

特にネガティブな感情が引き起こされるようなケースでは、事実と派生物をより慎重に分けなくてはならない。なぜならばネガティブな感情は、相手に対して、あなたは他人をこんなに不快な気持ちにさせる振る舞いをする人間なのですね、というメッセージになるからだ。そんな人間だと思い込まれた人が、どうしてその相手と仲良くなろうと思うだろうか、健全な人間関係を築こうと思うだろうか。

一方で、人はタフな状況に置かれれば置かれるほど、簡単に事実と派生物を混ぜてしまうようになる。そしてそれは往々にしてネガティブな感情だ。

相手が自分にとって良い人間かそうでないか、それを決めるのはあなたがあいてをどうみなし、どう接するかだ。気をつけなくてはならない。

なぜそれを話しているのか?

最近思う。1対1で話していても目の前にいる相手を見ずにものを話す人がいる。経験上シニアな方に多いように見受けられる。自分の経験と人から聞いた話なので、それが特殊なだけで現実は異なるのかもしれないが。
1対1で話しているのに、口からでてくる言葉がただの一般論であったりする。当人は相手に対してメッセージをしてるのだが肝心の相手には思い当たる節がなかったり、なぜそれを相手が話しているのかを理解できなかったりする。
当たり前なのだがこれではコミュニケーションは成り立たない。
メッセージの受け取る側は”何話してんだこの人?”で済ませずなぜなのか、具体的に自分のどのような行動に対して発せされている言葉なのかを特定する努力を怠らないほうがいい。
そしてメッセージのを発する側は、自分がなぜそれをこの相手に話しているのか、話すきっかけはどこに生じているのかを明確にした方がいい。そして個別に発信したいメッセージなのであれば自分が発している言葉の対象を他の人にかえても成り立つメッセージになってしまっていないかに気をつけたほうが良い。
コンサルティングと同じだ。主語をクライアントにしても競合にしても成り立つようなメッセージになんの価値があるだろうか。それは往々にしてメッセージする価値のない、既に理解されている一般論であることが多い。
同じだ。主語を今眼の前にいる相手でも他人に変えても成り立つようなメッセージに誰が心うたれるだろうか。誰が価値を感じるだろうか。誰を主語にしても成り立つような話は発せずとも相手は理解しているのではないだろうか。
上記を理解できれば、もう一歩踏み込んだ、相手を前に進められるようなコミュニケーションができるだろう。

苦境から学ぶこと

前回のエントリーでChallengingなタスクがひとつあると書いたが、想定通りにタフだ。苦しいの通り越して笑えてしまう程。
とても幸せなことに、多くの人がsupportiveで、タフな最中ながらもたまに感動を覚えてしまう。勿論いいことばかりではなくて、そんなタフな環境にあっても(いや、あるからこそか)、プロジェクトで証明する仮説であったり、そのアプローチであったりの議論もしばしば感情的にぶつかってこられてしまうこともある。勿論僕も感情的になってしまうこともある。supportiveな風で刺してくるひともいたり(こうしてかいていくとどんな環境なんだって感じなんですが)。
supportiveな方には、既に書いたがときに涙が出そうなほど感謝したくなる。自分が相手に対して今、そして今後どういう貢献ができるだろうかと考える。
ぶつかるべきところは徹底的にぶつかる。それは自分の中でこうすることがクライアントに対する価値を出すために必要なのだと信じているからだし、やりきる覚悟を決めているからだ。で、その結果より良いものがでたら嬉しいことだし、相手の意見がより素晴らしいものだったら素直にそれを受けとる。感謝の気持ちと、(相手に不快な思いをさせていたら)ごめんなさいの気持ちを込めて。
その他ノイズに感じる部分は極力流す。クライアントがいて、価値を出すためのリソースがあって、自分もそのリソースの一部で。プロジェクトの活動効率を損なうものであったなら対処しなくてはならないが、そうでないならば、対処にリソースを使うことはプロジェクトの存在目的に反するから。まあ、キレイに流せないのが人間だとも思うけども。だっていい気しないし(←流してない)。
そんなこんなの中で鍛えられるのは、自分の周りに困っている人がいたときにどうすればその人が嬉しいか、助けられるか、ということに対する想像力と具体的な打ち手の提供力だと思う。
ケーススタディのように、他人の事例から学び自分の場合に備えることができたら良いのかもしれない。しかし、基本的に苦しんでいる状況というのは本人がまず他人にオープンにしない(進んでオープンにしたい内容でないと考える人が多いし、そもそもオープンにする余裕を失ってその状況にあったりするわけだし)。一方で、自分が苦しい状況に置かれると、圧倒的に、そして具体的に苦しみを経験することができる。
そしてそこに立ったときに、何をされたら涙が出るほど嬉しいのか、何をされたら・・・なのかというのはとてもよくわかる。
勿論、何をもたらしてくれる人にもその背景にはその人がいる環境の、その人への力学が存在するし、僕とその人との関係の良し悪しというのも存在する。ポジションの影響もあるだろう。
そんなこんなを慮りながら、自分はこうだったから誰でもこうされたら嬉しいんだなんていう汎化はせず、喜べない反応があった場合も自分を顧み相手の背景や立場に想いを巡らせることを怠らず(辛いときは流しますが)、相手の苦しみに対する想像力と、それを解消する力を鍛えることができると信じている。

相手を親友だと思えたらもっとうまくコミュニケーションができると思う

周りを見ていると、時折「あの人何言ってるのかわからない」、「話が噛みわない」、「話しあう気にもなれない」というようなことを聞くことがある。僕もプロジェクトで色々なバックグラウンドをもった、色々なキャラクターの方とチームを組んで動くが、やはりなかには何を言ってるのか分かりにくいと感じる人はいる。
ざっと思い返してみても
・話の前提を明確にせずにいきなり話しはじめる
・話の目的がない(どういうスタンスでどこまで話を聞けばいいのかわからない)
・話に構造がない(要素も順序も。主張をサポートしないパーツがいりみだれる)
・一貫性がない(その場の雰囲気で言うことがかわる)
・文法が複雑(最終的に何が言いたいのか濁る。主語がない、接続詞多すぎ、二重否定多すぎ等)
・感情が混ざってる(場面によるが、特にネガティブな感情はノイズ)
色々います(自分も常にわかりやすくはなせているわけではない)。
そういうときに話し手を批判する声は冒頭の通りで聞こえてくるのだけども、忘れてはいけないのは、”聞き手が話し手の話しやすさに影響を与えている”ということだ。
何言ってるんだこの人?
話噛みあわないな。。
早く終わってくれないかなこの話
という気持ちっていうのは自分が想像する以上に相手に簡単に伝わるものだと思う。そして、それを感じた、話し手は聞き手に対してネガティブな感情を持つ。こんなこともわからないのか?こいつら聞く気あるのか?等々
そんな感情面の変化は、話す・聞く行為にとても強く影響を与える。
例えば、聞き手は嫌味なほどロジックにこだわったりする。それに対して話し手は”そんな細かいレベルまで聞くなよ”と思いながら細かく応える。不要だと思って話しているのであらもでてくる。それを聴き手は揚げ足を取るようにつっこむ。その繰り返しで目的から離れていく。コミュニケーションは価値を薄めていく。
コミュニケーションだったり、その前提となる人間関係の構築だったりというのは研究がされている分野であるし、自己啓発本も相当数ある。リーダーシップ、コーチングといった分野でもコミュニケーションには確実に触れられているし、NLP等具体的な行動の解釈の仕方・活用の仕方にしたって情報はいくらでもとれる。そういった色々なテクニックというかtipsはあるのだけども、平たく言うと、相手を親友だと思って接すれば大半の問題は解決するのではないかと思う(リーダーシップは別かも)。
親友がなんかよくわからないことを話し始めたら、別にネガティブな感情を伴わずに”え?何の話それ?”、”いや、今その話するタイミングじゃないだろって(笑)”と言えたり、”なんでこいつこんなこと言い出したのかなあ”、”あー最近疲れてるし、頭まわってねんだなー。休む時間つくらないとなー”であるとか、とにかくネガティブな感情に走らないハンドリングを自然としているはずだ。
ネガティブな感情を持っているからこそ伝えにくくなってしまう率直なメッセージも、相手が自分が信頼している友達だと思えれば素直に話ができる。揚げ足をとりあうこともないだろうし、わかってねーなあと思いながら適当に話をすることもないだろう。
相手をそう思うかどうかは自分で選択ができることなので、相手に依存する必要はない(話が分かりにくい等、相手に依存している部分に不満を抱くのは精神衛生上も良くないし、解決も難しい)。
信頼できない親友っていうのはおそらくいないだろうし、親友として相手を見ることは自然と相手に自分はあなたを信頼しているという信号を送ることにもなる。そういう信頼をもって伝えられるメッセージを直感的にムカっと来たからといってネガティブに返したりする人は経験上少ない。
実際の中の良し悪しやこれまでのその人との歴史の浅さに関わらず、親友だと思うだけでコミュニケーションはとてもとりやすくなると思う。