揺れる気持ちを受容れる

以下、イチローがあるピッチャーとの対戦で何試合もヒットを打てず抑え込まれていた、そのときのインタビューのコメントの引用。

インタビュアー: あのピッチャーは苦手なピッチャーですか。
イチロー: いえ、彼は、自分の可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーだと思います。
イチロー: だから、自分も、彼の可能性を引き出せる素晴らしいバッターになりたいですね。


以下、座禅を始めたばかりの若者と、永年、禅寺で修行を積んだ禅師の二人に脳波の測定実験を行ったときのエピソードの引用。

最初、二人同時に座禅による瞑想状態に入ってもらい、その脳波をそれぞれ測定したところ、二人の脳波はいずれも整然とした「アルファ波」を示しました。
そこで、二人を驚かせるために、突如大きな音を立てたところ、二人の脳波はいずれも大きく乱れた波形を示したのです。
結局、永年の厳しい修行を積んだ禅師も、決して「不動心」ではなかったのです。
しかし、実は、その後の二人の脳波が大きく違いました。
若者の脳波は、音が静まった後もいつまでも乱れ続けたのですが、禅師の脳波はすみやかにもとの「アルファ波」の状態に戻ったのです。


当たり前ながら人間一人で生きているわけではなく、当然ポジティブ/ネガティブにかかわらず他人と影響を与え合って生きていく。全てがポジティブに作用しあっていけるわけではなく、自分の考える生きるベクトルに対してネガティブに作用する出来事なんて当たり前のようにある。
そんなときに大事なのは、それに動じないで/負けないで自分を貫く強さなのかもしれない。
しかし、大事か大事でないか、と現実にできるかできないかは別。そこのねじれで自分の中で葛藤を繰り広げてしまう人は多いんじゃないかと思う。そうあるべきだ、そうなくてはならない。そう思えている時点で、その裏には今の自分にそれらはできていないという事実を認める、もしくは事実上そうでなくともできていないと思い込んでいる自分がいる。
その、理想と矛盾した自分を否定するために理想にしがみつく。変えられないと分かっている過去を、理想を持っている自分として一貫性を持たせるために、解釈のレベルで整合性を取ろうとする。
そんなとき、に大事なのは、それに動じないで/負けないで自分を貫く強さではないのかもしれない。
自分を理想の自分に重ねることを妨げる壁は、自分が理想に重なる意志を強くし、そのために必要な自分の力を育てる素晴らしい機会だ。
かといって、理想に重なれていない、重なることに失敗した自分がいることも事実。そのときに、こんなはずじゃない、こうあるべきではない、これでは自分はダメになってしまう…等色々と自分をネガティブに揺する感情が心の中に浮かび上がってくる。
でもそれらは全て過去に実際に起こった事実に基づいて発生した感情だ。抑えつけようととしたって絶対に抑えられない。
だったら抑えられないことで一段と揺れを大きくしてしまうことはやめて、その揺れを、揺れている自分を受容れてあげれば良い。揺れた自分、揺れている自分、という事実として。
そして未来にある機会に目を向ければいいのだと思う。

遅まきながら

遅まきながら英語の勉強を始めている。
これまでは、何となくリスニング(電車の中や隙間時間に英語を聞く)、Managementからの英語でのLetterを読む等、耳を英語に慣れさせながら最小限必要な英語は理解できるようにする、という程度だったのだけどそろそろ基礎からしっかり固めていこうと。
一時、いきなりUSとのTeleconを通して英語の必要性を痛感し、そのときに”目的”、”必要性”に迫られたときの学習の効果の高さというものを身を持って感じたのだけど、普段必要が無く、他にもっと必要なものがある、となってくるとついついそっちへ傾いてしまう(日本語)。長期的に見れば英語は必ず必要になるのだけど。
で、その”長期的”というものに具体的に時間軸をはめてみると、そろそろやり始めたいタイミングに来ていることを自覚する。ということで千里の道も一歩から。Nativeの様に英語を使えるようになりたい(かっこいいし!(必要だし))という様々な思惑に駆られてスタート。
ちなみに脳の発達、言葉を発するときに使用する筋肉の成長から、その言語のNativeと同様に話ができるためには12歳頃までには話すための筋肉の使い方を体が覚えていることが必要。
…じゃあNativeっぽく話せるようになりたい(かっこいいし!(必要だし))
まず第一歩目。単語を覚える。(ちなみにつかってるテキストはこちらです。)
TOEFL自体はそろそろ新TOEFLに移行する時期だと思うので、それに対する戦略っていうのは練り直す必要があるのだけど、ボキャブラリっていうのはテスト内容・方法がどう変わっても必要なことに変わりはない。
口も頭も、普段と違うところを使うような感覚があり気持ち良い。
そして、一週間程度続けていて感じるのは。”慣れる”ことの大切さ。
慣れる、もしくは慣れた気がする、というだけで英語の理解力はぐっと上がる。厳密には英語を理解する対象として受け容れられるCapacityが大きくなる。
勉強を続け始めるのと同時に、今自分が携わっている仕事の中でも英語の文献に目を通す必要が増えてきていて、それを読んでいて感じた。勿論、その仕事が楽しいし、自分として価値を出していきたいと強く望めるものなので、その目的意識が英語に対する耐久力を強めているのかもしれないけど。
と、だらだらと書いてしまったけど、英語。楽しみながら身につけていきます。
GoalはNativeっぽく使えるようになること、です(^^)

銀座

この日(28日)は、仕事を早めに切り上げて銀座にて食事。
どこかいいところないかなー、と思って探していて見つけたのが”RESTAURANT CARDENAS GINZA”。
美味しかった。久しぶりにちょっと贅沢な食事をした気がする。嬉しかった(^^)

OPEN INNOVATION

OPEN INNOVATION
過去の、研究→開発→商品化→上市のプロセスを全て自前でやる(Closed Innovation)ではなく、各フェーズにて他のPlayerも巻き込んで、より効率的・効果的にInnovationを起こしていく(Open Innovation)ことについて書いてある本。
具体的な事例も幾つか取り上げられていて、全体にわかりやすい(事例は若干IT系のものに偏っている)。
最近常々思うのだけど、Innovationって何だろうか。”技術革新”というのが一番古典的(?)な日本語訳らしいのだけど。
極論すると対象による気がしてます。誰(何)にとってどういう影響があるか。で、その対象が影響を受ける軸がどうなってるのか。それによって何がInnovationなのかっていうのは違うんだろうな、と。
例えば、ある工場で新たなシステムを導入して、これまででは想像できないほどの速度、品質(*)で物をつくりだせるようになった。その結果、これまででは想像できないほどの速度で、高品質の在庫が増加した。
自社(工場)にとって上記のシステム導入はInnovationになると思うのだけど、市場にとってそれはInnovationでもなんでもなかったと判断できそう。
もしくは、市場において”革新的”だと認知されたもの、もしくはそのものを構築するのに使われている技術の中で”革新的”なもののみがInnovationでありうるのか。
で、そもそも”革新的”ってどういうことで、どうやって認知されるんだっけ?と。
いずれにせよ、市場、もしくは社会に対して”革新的な”価値を生み出すものでなければ、それはInnovativeな失敗に過ぎない。
そして結局、Innovationとは何か?という問いには答えていない:P
Innovationって何だろう?

30cm

本日昼、書棚を注文していた先から電話連絡。
「先日お伺いしていた書棚の件なのですが、運送会社に問合せたところ3人で階段で上まで運ぶのは難しいということで、大変申し訳ないのですがキャンセルということでお願い致します。」
”なぜ3人?”と思いつつ聞いてみる。
「運送会社を変えることはできないのですか?」
注文先はどうやら複数の運送会社と契約してるようだったので、もしかしたら他のところだったら(有料でも)やってくれないかな、と。
「おそらくどの運送会社でも難しいと思います。これはプロの判断ですので。」
”プロの判断って何?”
階段の形は全部同じだから、一階分上るときに本棚(含む梱包)を通せるスペースがあったらいけるでしょう。だから同じ大きさの段ボール箱でも持ってきて測って、いけるなら後は時間と労力。時間は気にしないから労力は休み休みでカバーしてくれないかな。
ってことを考えつつ、まあいいか。と御礼を言って電話を切った。そこまでくらいつくだけの情熱を本棚には注げなかった。ごめん(→本棚)。
ということで次の本棚を探しました。条件は2つ。
①できるだけたくさん本が入ること
③エレベータに乗ること
本当ならガラス戸がついてるやつが欲しかったのだけど、しっくり来るのが見つからない。デザインがいいかなーと思ったのに限ってあまり本が入らなかったりする。
そして見つけました。
なんとびっくり。
幅 120 → 90 (30cm Down)
なのに(高さと奥行きは変わらず)、
収納数(文庫本換算) 710 → 920 (210冊 Up)
ガラス戸はないけど、省スペースで本がいっぱい入る(^^)
間仕切りの数も多いので、単に容積だけ大きい、ってものでもなさそう。
到着は5/13の予定。
それまで部屋の1/3半分が本の山の状態での生活です。(廃品回収みたいです。)