清々しい天気、TOEFL、スーツ

今日は本当に天気が良い。雲ひとつない晴天で少し暑いくらいの陽気。周りにはTシャツ一枚で外出している人もいて、春を通り越して夏の始まりさえ感じさせる。
そんな中僕は朝からTOEFL。会場が良いところだったので思わず休憩時間と帰りに何枚か写真を撮る。そしてその後はスーツを見に丸の内へ移動。徐々に靴・ネクタイ・シャツ・鞄と気を使い始めていたのだけどいよいよスーツにも気を遣おうかなと。大切なのはサイズ・シルエットのフィットと”パリッ”っとした印象。たまに良いスーツを着ているのにオーバーサイズだったりパンツ丈が短かったり、はたまたくたびれていたりというのを見るともったいなく思う。自分も気をつけていきたい(決して人のことをいえるような身なりではないので)。
ほしいスーツのイメージが固まっていたのでお店に入ってからは早かった。1着上下を着て、そのご2着程度ジャケットをはおってみて決定。サイズもジャスト(手が長いので袖はいつも出してもらうのだけど)。しばらく直しに時間がかかるみたいだけど、出来上がったら気持ちも”パリッ”っとして走っていきたいと思う。
スーツを見てからはオフィスへ寄って勉強会の準備。仕事がなかなかタフなので英語にしても勉強会にしてもなかなか準備ができていない。そこは以前のentryで書いたとおりでできるだけ”ラク”に目的を達成する意識を忘れずに、中長期的な自分への投資をしていきたい。
こういう天気の中に身をおくと、夏が待ち遠しくなる。

焦らず怠けず

岩瀬さんのBlogで本人の記事が載っている雑誌が紹介されていたので、GQを読んでみた。非常に簡単ながら岩瀬さん年表?のようなものから今まで岩瀬さんに関係してきた先輩の方々からの評価?もかかれており面白い。
何を比べるわけでもないし、どこで勝ち負けを考えるわけでもないのだけど、間接でも直接でも岩瀬さんのような人と触れ合うことができるととても良い刺激になるし、改めて気を引き締めて理想を描き、走り出したくなる。
本人から発せられる言葉、そして松本さんの評価の中にあったもともと備えている”インテグリティ(矜持)”、そういったものが刺激になるのだと思っている。どれだけ頭が切れても、どれだけ高いパフォーマンスを発揮していてもその根元にインテグリティであったり社会に対して自分という人間がどのように貢献できるのかをまっすぐに考え、それを実現していく意志がなかったら心に響くことはないだろうから。
自分の理想とそれに重なる意志に従って、重なりきれない現実に焦ることなく、そして”自分らしさ”というものを天井にして怠けることなく、一瞬一瞬を大切に積み上げていきたいと思う。

スピード

木曜日、所要があってパートナーと話をしていると、内容は今リカバリー中のEngagementへ。矢継ぎ早に問いが飛んでくる。僕が答えては問いかけ、僕が答えては問いかけ。答え方が望んだものでない場合は質問の表現を変えて、角度を変えて。
そしてそのままふたりでディスカッションへ。20分程度だっただろうか。それだけの時間でその人がEMだったらどうするか、アウトプットとそこへのアプローチ、大体の時間軸までが描かれた。
断片的な情報から20分程度の時間でここまでのアウトプットを出せる。その仮説だしの幅の広さ、検証に必要な情報の絞り方、目的と現実(スケジュール等)の捉え方。そしてそれらをつなぎ合わせ進化させる圧倒的なスピード。
ディスカッションしながら感心し、そして学習した。
その短時間で自分の実力は変わらなかったとしても、重なりたい理想を進化させるには十分な刺激だった。後は自分が実践していくだけだ。

資料の目的

Clientとディスカッションする時にはそのための資料を用意することが多い。ディスカッションをするときには、それが終わったときにどういう状態になっていたいのか、Goalを明確にする。そしてそのために必要な論点を特定してディスカッションのAgendaに入れていく。資料は手段。限られた時間の中でメンバーの納得を持ってGoalにたどり着きくために必要に応じて参照するガイドのようなものだ。
資料を作成するときに、シナリオの流れを意識するしそれを裏付けるロジックの構造を意識する。そのロジックを適切な方法で加工し効果的に伝わるようにする。
が、大切なのは目的を達成できること。
美しい資料をつくることも、つくった資料の内容をそのまま伝えることもディスカッションの目的ではない。
当たり前のことがなかなかできないのだけど、それがまた楽しい。よりハイレベルの価値を求められるプレッシャーというのもあるのだけど、そんなことも心地よく感じる。
理想の姿と現実の間にある壁、壁が見つけられたら超えるだけなのだから。その過程に成長があり、その後には理想により重なった、そして理想をより高くした自分がいるのだから。
プレッシャーでも難解な分析でもなんでも、苦しむことは成長の糧であり、それは楽しいことだ。

自分のことば

僕は普段口数が少なく、人を見ていたり人の話を聞くのが好きだ。だからなのか、人の言葉だったり表情や動きの不自然さだったり微妙な変化には結構気付くことができていると思う(分野によっては超鈍感だったりしますが(^^;))
その中で最近気付き考えるのは、人が発する言葉が他の受け売りか、その人自身のものかということについて。
往々にして他の受け売りの言葉は、表面上うなずくだけでどこかへ流れていってしまうことが多く、その人自身の言葉はClientであり聞き手の頭であり心でありに深く残る事が多い。
上記について1.環境(相手の心情を踏まえたタイミングや雰囲気)、2. バーバル、3. ノンバーバルに分けて考えてみると、受け売りの言葉は1や3が不自然であり2だけを使っていることが多く、その人自身から発せられている言葉は1、2、3のすべて、もしくは2、3を適切に使っていることが多いように見える。
受け売りの言葉はバーバルだけ、口から発せられる文字の並びだけがしっかりしたものである(しっかりしているからこそその言葉を頭に残し、使っているのだと思うが)。その素晴らしい言葉を言うことを意識してしまっていると、環境の解釈は相手の心情ではなく自分の心情の解釈となり、タイミングも相手が求めるタイミングではなく自分が言えるタイミングをセンスするようになる。そして場全体の雰囲気を読めるほどアンテナをふわっと広くはることができなくなる。
結果表面上素晴らしい言葉は相手のタイミングをはずし、またノンバーバルのコミュニケーションと折り合うことなくさらりと過ぎていってしまう。
一方で自分の言葉、自分がその時々に紡ぎ、相手へ伝える言葉は異なる。なぜその言葉を紡ぐのかの裏には相手の心情やその場の雰囲気が存在し、またその紡ぎだした言葉を相手へ届ける際には、相手への共感やその言葉に込めた想いがノンバーバルのコミュニケーションを自然とつくりだす。
結果、言葉を支える相手の心情の理解はすなわち相手が自分の気持ちを理解されたと感じ、言葉を受けいれる準備ができた状態に重なり、それに対して共感や伝えたい熱意(ノンバーバルへ反映)を備えた言葉は相手の心であり頭でありに深くささる。
普段コンサルタントとして様々な人とコミュニケーションする中で、人から学ぶ際にはその人が発した言葉だけでなくその環境、なぜその言葉を使ったのかという意図、そしてその言葉を発する際のノンバーバルでのメッセージもしっかりと学んでいきたいし、人に何かを伝える際には、常に自分のことば、その人にメッセージを伝えるために紡いだ言葉を使っていたいと思う。
単純に考えれば自分がどんな言葉を発するかではなく相手がどう感じるかの問題であるはずだし、1と3を間違えなければどこの言葉を引っ張ってきてもいいのかもしれない。そして、自分へのこだわりに価値はなく、相手の求めるものへこそ第一義にこだわるべきなのかもしれない。おそらくそうだと思う。
上記を忘れず、少なくとも自覚している上では相手に対して常に自分で紡いだ言葉を伝えていきたいと思う。自分という唯一の存在であるのだから。