Google Talk

ひょんなことからGoogle TalkというIMの存在を知り使ってみる。相手は実家にいる家族だ。PCを通して会話するのも違和感を感じつつも新鮮で楽しかったが、今ここに書きたいのはそういう類のことではない。そしてGoogleのことでもない。
勇気を出して聞きたい。
「ヘッドフォンってマイクになるのですか?」
僕のPCにはノートにマイクが内蔵されているのでそこから音を拾って普通に会話できた。しかし実家のノートPCにはマイクは内蔵されていなかったらしく、最初は僕の声は向こうに届くものの、向こうからの返事は文字だった。
しかし実家メンバーは閃いた。
「マイクの穴にヘッドフォンを挿したら話せるのではないか?」
…またまた、そんなばかな。ちょっとちょっとちょっと勘弁してよー。
僕は一笑に付した。またまた、漫画じゃないんだからそんなんで話せるわけないでしょう。だってそもそもヘッドフォンとかイヤフォンっていうのは耳に音を伝えるために存在す
「…ガサガサ……ガサッガサガサッ」

「もしもーし、もしもーし」


……!!
いぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーっ!!!!!
PCにきっとマイクが内蔵されていたんだ。うん、そうにちがいない。だって想像してみて欲しい。あのでっかいヘッドフォンの片方をマイクのように口にあてがい話している姿を。
いやいやいや、そんなばかな。ヘッドフォンはそういうことするようにあの形になってるんじゃない。
僕は過去、深夜にヘッドフォンをしながら、夜中に大音量で音楽を聴いていたことがある。信じられないほど大きい音だったらしい。お風呂から上がってきた家族に、「あんた何してんの!?」とびっくりされたほどだ。そんなに大音量で聞いているつもりもなかった僕もいきなり音の大きさを指摘されてびっくりした。
プラグがささっておらず耳栓としての役割を果たしていたのだ。
死にそうなほど笑い転げたが、今回もそれを彷彿とさせる盛り上がりを見せた。
家族からは写真が送られてきた。
こちらからの声も聞きづらいということで、ヘッドフォンをしながら、もう1つのヘッドフォンをマイクにして話している写真だった。

「ヘッドフォンってマイクになるのですか?」
どなたかお教え下さい…。

Picasa

Picasaというフリーのソフトウェアがある。インストールすると、PC内の画像ファイルを見つけてきて、このソフトウェアで管理できるようになる。
携帯で取った画像があったり、デジカメで撮った写真があったり、そしてそれらを複数のソフトウェアで管理してしまっていたり、ということをしていた僕にとってはありがたい存在だ。提供もとはGoogle。
Googleは自分たちの使命を明確にこううたっている。
「Google の使命は、Google 独自の検索エンジンにより、世界中の情報を体系化し、アクセス可能で有益なものにすることです。 」
会社概要の1行目に上記が書かれている。
きわめてシンプルで明確だ。WebだけにとどまらずPC内も、ということでGoogle Desktopしかり、このPicasaしかりがあるのだろう。
また、最近使っているGmailというサービスも良い。
フォルダで管理するのではなく、”タグ”で管理する。1つのmailに複数のタグをつけることができるので、自由に視点を変えて管理することができる。また、やはりここにも検索機能があって、メールの内容を検索できるようになっている。
使命に従って、世界中の情報を体系化し、アクセス可能なものにした後、そのアクセシビリティというインフラの上にどういったサービスを展開していくのだろうか。どれだけ”有益”なものにすることができるだろうか。

普通の一日

この週末は心身ともにゆっくり過ごすことができた。今は仕事をしているけど。
今日はやることが2つあった。1つは、髪を切りに行くこと。1つは、母親のセーター?を買いに行くことだった。
午前中から家をでて銀座へ。デパートだったり路面点だったり、普段入ることのない女子の服がおいてある店舗/フロアへ一人で入っては出て入っては出てを繰り返す(同じ店ではない)。探してみると母親の年齢/容姿にあったものがおいてある服はなかなか見つからない。普段見ている店舗とも違う。どこがいいのか悩みつつしばらくふらふら。
結局カットを予約していた時間に近づいたので探すのは一旦あきらめて表参道へ。気がつくと年末に、年が明ける前にもう一度切りに行こうと思ったっきり、気がつくと1月も終わりかけていた。伸びて重たくなった襟足とサイドを切ってもらって、全体的に軽い感じにしてもらう。美容師さんと話をしながらも気付いたことが1つある(もしかしたら以前も書いたかもしれない)。
ススメられる雑誌が昔と変わったのだ。
服装のせい(最近落ち着いた格好にシフト)だろうか。それとも年相応の雑誌なのだろうか?それとも年以上に見た目や雰囲気が?
今日ススメられた3冊(選択肢として提示される)
1. LEON
2. GQ Japan
3. Men’s EX? Club?…(何か忘れたが上記と同系統の雑誌)
昔ススメられていた3冊
1. Men’s non-no
2. Smart
3. Fine boys
…うーん。内面は伴わずして見た目だけオトナの(?)オトコになったのだろうか。まあよくよく考えてみるとそれなりの歳になってきているのでまあいいか。自分の興味が今日ススメられたような雑誌に移りつつあるのもまた事実だし。
でスッキリして終わり。カフェによって本を読みながらBlogを投稿(パワーの原則のやつ)。その後丸の内へ移動。
丸の内で引き続き母親のセーター(季節柄、ニットへ変更)探し継続。結局丸の内にて購入。お店から送ってもらう。色々な経緯があってのおつかいだったのだけど、今回は自分からのプレゼントということで話をしておく。身勝手ながら自主的に人に何かをプレゼントするというのは気持ちが良い(^^)喜んで着てもらえればと思う。
そう言えば、丸ビルの1Fに誰かが来ていた。歌を歌っていたがそんなにうまくない。真っ白な衣装に身を包み、ダンサーを5-6人従えて踊りながら歌っているを一歩ひけた目で見ていた。(周りはすごい人だかり、すごい歓声(これが黄色い声援ってやつだな!と思える程)。
今調べてみた。誰かわかった。

…わかったけどわからない…。”ピ”て…。
ということで仕事に戻ろう。
リラックスできた週末だった(^^)

パワーの原則

パワーの原則―影響力を発揮しつづけるパワーとは
他人との関係、影響力に関して書かれている本。隙間時間に読み進めて、読み終えたので一度振り返っておきたいと思う。
7つの習慣と関係しながら話が展開されていくが、メッセージをまとめると、
「互いに尊敬しあえる関係をつくりましょう」
ということ。また、本を読む前から、そして本を読みながら、「パワーとは何だ?」ということを考えていたが、直接的にパワーとは○○である、といったようなことは(おそらく)書かれていない。しかし、おそらくパワーとは、人に影響を与えるのに行使する”もの”のことだ。
最初に大きく、パワレスか何らかのパワーを発揮するか、で分けた上で、そのパワーを3つに分けて分析している。パワレスとは、人に影響を与えることをしないこと。無気力であり、受動的な生き方であり、諦めである。3つのパワーとは、
1. 強制のパワー
2. 実用のパワー
3. 原則中心のパワー
である。それぞれのパワーをドライブするものは、
1. 強制のパワー: 恐怖
2. 実用のパワー: 公平さ
3. 原則中心のパワー: 尊敬(honor)
であるとしている。ちなみにパワレスは”疑い”である。

強制のパワーの行使は、相手に何らかの”恐怖”だったり”罪悪感”だったりを与えて相手をコントロールすることである。そのコントロールは、常に相手が”恐怖”や”罪悪感”を感じるだけの何かを自分が持っていることと、それを相手に対していつでも行使できる状態に自分がいる、という前提のもとに成り立つ。従って、このパワーを行使する人は相手に(常により大きな)恐怖、罪悪感を与えるために活動し、常にそれを相手に行使できる状態でいるために相手に張り付く。
結果として、強制のパワーを行使する人は、前提を守ることができる限りの範囲で”服従”を手に入れる。

実用のパワーの行使は、相手に何らかの”価値”を与え、それに応じた”価値”を受けとることで相手をコントロールすることである。そのコントロールは、常に自分が相手にとって”価値のある”何かを握っていることであり、相手が自分にとって”価値のある”何かを握っているという前提のもとに成り立つ。従って、このパワーを行使する人は常に取引相手にとって”価値のある”何かを持ち続け、また自分にとって”価値のある”何かを持っている人を探す。
そしてその価値の交換が成り立つ間のみ関係し、それがなくなれば関係も終わる。
結果として、実用のパワーを行使する人は、前提を守ることができる範囲で”合意”を手に入れる。

原則中心のパワーの行使は、お互いの価値観でありそれに従ったビジョンでありに照らして、お互いにとって最善の選択肢を(ときに創り)選択することである。ここでコントロールという言葉が出てこないのは、逆説的だが、コントロールする/しない、極論するとパワーを行使する/しない、といった意識を手放した結果として成り立つパワーだからだ。
結果として、原則中心のパワーを行使する人は(行使するという言葉に矛盾を感じるが)、関係する人間全てに関わる”最善”を手に入れる。
そして本の中で、原則中心のパワーをドライブする尊敬(honor)を得るための、すなわち尊敬される人間に必要な条件が10書かれている。
1. 諭すこと
2. 忍耐
3. 優しさ
4. 教わり上手
5. 受容
6. 親切
7. 知識
8. 愛の鞭
9. 一貫性
10. 誠実・統合性
(…どうも書いていてスッキリしない。MECE感が無く、レベルがあっていない気がするからだ。)
上記の通り、10こ全てを実現すれば尊敬される、ということはおそらくありえないし、尊敬されるために、という力に従って動いてる時点で尊敬は得られない、と個人的には考えている。
ただ、自分が生きていく中で上記を意識する価値は大きい。
自分が常に正しいとは全く持って思わないが、相手と異なる意見を持つことができているうちは、ぶつかっても諦めずに相手を諭していきたいし、相手が変化しようという意志を持って活動しているならば、その過程での過ちはぐっと耐えられる自分でいたい。そして優しさをもって相手が成長できるサポートをしたい。
上に書いたとおり自分が正しいとは全く思わないが、やはり主張する中では”オレが正しい”と思い込んでしまうこともある。そういった感情は、好奇心を持って相手から”学ぶ”というスタンスを持って根元から崩していきたい。
相手のすべてに裏づけを求めるのではなく、相手の価値観や信念といったものを無条件で受容する心の余裕と安定を持っていたい。
自分の自分からまげて相手に受容れてもらうような、lose-winの関係はつくるつもりはないけど、その伝え方については、相手の気持ちや立場を考慮し、親切に伝えられるようになりたい。
客観的な常識や一般的な知識、そして相手の過去に照らして相手を判断するのではなく、相手の希望であり、将来に対するビジョンであり、これからの可能性までも理解までを含めた知識を持ちたい。
そしてその場その場の良い/悪いの判断ではなく、最終的なGoalからみて判断し、軌道修正できる鞭を振るえる人間でありたい。
上記もそうだが、自分の心、頭、体(行動)の全てを、瞬間風速でその場その場の外からの影響によって変えていくのではなく、全体としては変わらない、全てを統べるような価値観を持ち、一貫性を持った人間でありたい。
…無理やり10この観点から文章にしてみたが、やはり重複感がある。
この本、シンプルにメッセージをまとめると厚さは1/3程度になるだろう。
ここに書いたようなことを守っていこう、とは思わない。
ただ、自分として強く思うのは人間としての”一貫性”の大切さだ。他人を見ていてもやはり一貫性を感じられない人間を信じるのは難しい。そして自分として心にある、保ちたい一貫性を体で貫いていくこともまた時に難しく感じる。
自分の根元が何なのか、意識しながら経験を重ねていきたい。

プロフェッショナルの条件

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか はじめて読むドラッカー (自己実現編)
年末年始あたりで読んでいたこの本、振り返る時間がとれたのでここで振り返っておきたい。
ネクストソサエティ、私の履歴書等ドラッガーの書籍を読んだが、今回のこの書籍が自分にとって最もインパクトが大きかったと感じる。勿論どの書籍においても(私の履歴書はまた違うが)、社会の過去から未来へ至る流れが前提にあり、その中で、企業とは何か?マネジメントとは何か?そしてプロフェッショナルとは何か?というものを論じている。どこにおいても前提の流れは変わらないのだが、やはりその中で社会についてを滔々と語っているより、その社会における組織の中での活動について語っているものに触れたほうが自分としては影響をうけやすいからだ。
「プロフェッショナルの条件って何?」
この本に尋ねる最も大きな質問がこれだろう。そして考えるべきは、「そもそもプロフェッショナルって何?」というところからだろう。
それはこの本には書かれていない。この本の原著のタイトルは、
「THE ESSENTIAL DRUCKER ON INDIVIDUALS: TO PERFORM, TO CONTRIBUTE, AND TO ACHIEVE」
である。
訳者が、成果をあげ、貢献し、目的を達成する(し続ける)人間をプロフェッショナルと読み替えたのだろう。
というようなことは拘るべき点ではない。この本を通じてプロフェッショナルの条件として上げられているのは大きく7つである(本の中では成長と自己変革を続ける条件として記述されているが。)
1. ビジョンをもつ
2. 誇りをもち、完全を求める
3. 日常の中に継続学習を組み込んでいる(自らに対し、常により優れたことを、優れた方法ですることを課している
4. 自らの仕事ぶりの評価を、仕事そのものの中に組み込んでいる
5. 自らの強みを知っている、改善・変更・学習すべきものを知っている
6. 仕事が要求するものについて徹底的に考え、理解している
7. 自らの啓発と配属に自らが責任をもっている
自らの人生に責任を持ち、その人生で体現したいビジョンを持ち、そのために最善を尽くす。そしてそれが最善なのか?自分は最善を尽くせているのか?を評価し、常により良くあろうとする。
ということだと解釈している。
他に、個人的に感銘を受けた言葉は「権限ではなく貢献に焦点をあてよ」という言葉。
自分が何をしていいか/いけないか、というような組織・職務上の権限に縛られるな、というもの。自分として何ができるか・何に貢献できるかに焦点をあて、それを実践するという習慣が大切だと。
知識労働者の成果は、つくりだした知識であり技術でありを他者へ供給し、他者がその知識や技術で価値を生んで初めて成果となる、という前提で、貢献に焦点をあわせることで、成果を上げることに注意を向けるようになると。

この本は本当に濃密だ。
他にも意思決定について、リーダーシップについて、組織のあり方について、イノベーションについて。書き出すときりがないほど素晴らしい内容に溢れている。
Blogを書きながら、あらすじを書いて終わる読書感想文を思い出していた…。
行動につなげていきたい。