何とかなりそうな気にさせる人2

USのパートナーと電話会議。そして感じさせる。何とかなる / まだまだいけるって。
こう書くと自分たちがよほど追い詰められているのか、なんともならない状況にずっといるのかと思われるかもしれないがそうでもない。それでも話していると自分の中で開けていくものがあるのだ。
このパートナーは以前ブログに書いた何とかなりそうな気にさせる人からの紹介でコンタクトすることができた。AクラスはAクラスを呼ぶ、ということだろうか。
One Firmだなというのを改めて感じた。
自分も最近相談されることが増えてきているが、周りにこう思われるような存在にはまだまだまだ距離がある。とてもいい刺激をもらえる。具体的なモデルを身をもって教えてもらえる。本当に嬉しいことだ。
まだいける。

オーバーホール

一ヵ月半ほど前にオーバーホールにだしていた時計が返ってきた。使い始めてから4年半位、最近はベルトの細かい傷や汚れが気になっていた。
返ってきてみるとピカピカ。なんだかまた新品を身に付けるようで気持ちも幾分締まる。
末永くつかいたい。

リーダーはやらされない

些細なきっかけで感じたことなのだが、リーダーに大切な要素として、何事にも”やらされ感”がないことというのがあると思う。”やらされ感”がないとは、言い換えれば自分なりの意志・解釈を持たずに(明確にせずに)(不本意ながら)動くことをしていないということだ。
逆を言えば、何をするにしても自分なりの意志・解釈を持って、それを明確にして、やるべきこととしてやっていく必要があるということだ。
それをしないということは、
自分の意志・意図とは関係なく、組織の都合等他の力に自分は(不本意でも)流されますというメッセージになる。
特にやることに価値を見出せていないのなら、価値が無くても都合に流されますというメッセージになる。
価値が無いことをやることに不満を感じ、それを表に出していては、相手に対しても価値がないと分かっているし申し訳ないけど、他の都合があるからやりますよ、他責にしていますよというメッセージになる。
何事にも意味があると思っている。もし自分が何かしら自分発信以外の都合で動く必要がでてきたとき、他を動かす必要が出てきた時には、それの意味を自分なりに解釈して、自分としてやるべきなのだという意思決定を明確にしてから動いたほうが良い。
そして、本当に意味がないのであれば、きっとそれはやるべきではないのだ。
自分のこれまでの行動を幾つか反省した。

ゆとり

ゆとり。意図的に無理やりでもつくるものなのだなとふと思う。忙しい、ゆとりがないばかりで日々過ごしているようであれば、ゆとりを手に入れることも、忙しさから自分を解放することも難しいのだろうなと。

壊さないといけないような気がする

エンゲージメントにはチームで臨む。
そのチームのかたちがある程度のレベルで安定しつつあるような気がする。でも、まだ出せる力の全てを出し切れてはいないとも感じている。
ゆらぎを与えていきたい。