トモダチ

チーム内でケースタディをやることが最近あります。
そのウォーミングアップとして、ショートケースが使われていたのですが、そのときの課題が、

あなたの昔からの友人が最近ある会社の社長になりましたが、最初に何をしたらよいか分からず悩んでいます。彼にまず何をするようにアドバイスしますか?

というものでした(会社に関して幾つか情報が与えられている)。
論点は外さないように色々とディスカッションをしていましたが、実際に友達が悩んでいたら、まず何をするように等アドバイスする前に、自分だったら話あらいざらい聞くなーなんてふと思いました。言いたいだけいいたいように言ってくれたらいいし、それができないなら沈黙の時間もあっていいなーなんて。
何を言うにしてもそれからだなと。
ディスカッションでは上記の”友達”、”悩んでいる”というワードの解釈によって参加者それぞれの立ち位置が分かれているように感じられました。ケーススタディの目的はさておき面白かったです。
そう考えると、ケースをつくる側、課題を設定する側に立つときには内容もさることながらこういった言葉の選び方も大切だなと感じます。
今回であれば、友達→クライアントの取締役、悩んでいる→考える必要に迫られている、という表現であればそもそもの前提の置き方もある程度まとまっていたでしょうし、ディスカッションもコンテンツが占める割合も増えていただろうなと思いますし。
それにしても、悩んでる友達に対して、いきなり”これとこれやりな”とはいえないなー、と思いました。自分の置いた前提の上で。そして、これってコンサルタントとしてでも同じだな、と思いました。
相手にとって何が価値なのか。勘違いせずにいたいものです。

結婚前

土曜日に急遽大学時代からの仲間が東京に遊びに来ることになる。夕方まで仕事をして、その後夕食を共にする。大学時代を共にしているし、その友達は来年に結婚を控えているし、昔話もこれからの話も話題は尽きない。
驚くほどに脈絡なく、中身もないような話が続く。それが面白いし楽だ。
大学時代の友達は全員そんな感じでいる。以前何かの本で読んだ”即興演劇”のプロの方の話と自分達の掛け合いが重なった。即興演劇は台本がない。確かその本の中では綿密なリハーサルもないという話がされていたと思う。また複数人の登場人物がそんな状態で出てくるからストーリーの不確実性が高い。
そんな中でやってはいけないことは、”場を止めること”だそうだ。
誰かが”このレストランの料理はほんっとうにおいしいんだよ”ということをいきなり言い出したときに、”なんで今レストランにいるんだ?”と言ってしまうと微妙に場の雰囲気がずれる・どんどん話が先細りになる確率が高い、むしろ”そう、中でもここの○○は最高だよね!××のときに食べた”というように話に乗っかっていく・広げていくことで演劇がリズミカルにすすむらしい。
こういうことができる関係というのが、年を追うごとに大切に思えてくる(仕事とまぎゃくというのも大切に思わせる一因になっていそうだ)。大切にしていきたい。