ギリギリの状態こそが面白い

自分のcapacityを明らかに超えてる気がする。だけどやり遂げたい、少なくとも気持ちの上ではなんとかできる気がする。そんな状態が面白い。なんとかできそうというのを気持ちのままで終わらせては意味がないのだけど。自分の形にも通じるものがあると思うのだけど、自分の能力の一部を切り取って、その部分だけでやれる仕事だけをやるというのはあまりに退屈だし自分がつまらない人間になってしまいそうで怖い。
自分の全てを出してもできるかどうかわからない、そんな状況におかれて初めて学べるものがある、自然とできるようになることがある。そんな気がしている。
例えば、本で読むリーダーシップよりも、ケーススタディで学ぶリーダーシップよりも、自分以外に走れる人間がいなくなったときに、自分で走りきれる自信はないけどやるしかないと決意して立ち上がる。チームを支えて/引っ張ってなんとかする。そうして体で学ぶリーダーシップの方が比べようがない程に得られるものが大きいと思う。

はみだしてこそ面白い

以前にも似たタイトルでエントリーしていた気がしていた。だけど検索してもでてこないのできっと書こうと思って書かなかったのだろう(それか検索のキーワードか精度かが悪いか)。
一緒に仕事をしていて楽しい人、見ていて魅力的な人っていうのは往々にしてはみ出している。組織上期待されるものは満たしていて(たまに抜けていたりするけど笑って許せる程度)、それ以上に何かをやっている。期待の枠組みにはまることなく、自分がやりたいことをやっている。その人の周りはいつも何かイベントが起こっていて、いつもワクワクしながらそれを乗り越えている。平時という感覚があまりない。常に自分で新しい何かを見つけてチャレンジしつづけているから。
期待されていることだけ満たしている人は、優秀な人が多いのだけど、面白みがない。良く躾けられているなあという印象だ。平時は何も気にならないが、有事の際に線の細さを露呈する。
期待を無視して / 満たすことなく自由にやってるひとは、自由なんだけど他人とかみ合わないことが多い。その組織に存在する義務を果たさずして好き勝手やっているのだから信頼を得られるわけでもない、影響力をもつわけでもない。期待値の範囲は小さくなり、それと引き換えに柵は高くなり、その結果自由が利かなくなる。持っていたかもしれない面白さも失われる。ただ、有事の際には思わぬ力を発揮することもあるのかもしれない。が、往々にして何か力を持っていたとしても組織で有事に立ち向かう際にはこういう人間の声は誰の心にも届かない(それが良いのか悪いのかはわからない)。
期待を理解し、それを満たすこと。
期待の形にはまらずに自分らしく、自分のやりたいことを追いかけ続ける / やり続けること。
期待の枠組みを突然ずらされることもある。柵を高くされて身動きの取れない状態に陥ることもある。一人でやっている仕事ではないし、相手がいるのだしその数だけそれぞれの形がある、思惑がある。常に自分の思い通りにやれることは少ない(自分がそういう状況にあるわけではありません)。それでもどちらも忘れずにやっていきたい。
仕事の目的を達成するための自分ではなく、自分の目的を達成するための仕事なのだから(こう書いてしまうと自己中に聞こえてしまうのだけど)。

RISTORANTE HiRo

今日は久しぶりに昼前からぶらぶらして夜はRISTORANTE HiRoへ。スタッフの方の対応もしなやかで料理もとってもおいしかった。やはりおいしいものを食べると幸せな気持ちになれるものです。久しぶりにカメラを持ってあるけてリラックスできました。とりとめありませんが、ずらっと写真を載せます。