ジャパントレックに向けて盛り上げる -Japan Trek Countdown Dinner

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昨日木曜日の夜はJapan Trek参加者に絞ったJapanese Dinnerだった。畳にほりごたつ式のスペースをもつ和食のレストランをみつけ、そこを会場とした。

少しだけ早めについて周りを観察していた。乾杯の音頭を簡単にとらせてもらって、その後皆が盛り上がっている様子もカメラを片手に観察していた。それだけでとても面白く、またとても嬉しくなった。

スペースの都合から、ひとつのテーブルだけほりごたつではなかった。そこに座っている仲間をみて驚く人(ほりごたつ式じゃなかったらどうやって座り続けられるんだ?と)、箸の使い方になれずにお寿司を思い切り醤油に浸してしまい途方に暮れる人、早速習った日本語フレーズをひたすら使う人、それに乗じてこういう時はどう言えばいいんだ!と使用シーンが限定される日本語を次々に学びメモる人、飲み会のコールをみてとにかく盛り上がり真似をする人、等々。

好奇心が強くてテンションの高い仲間をみていると、良い旅行にしたいなと心から思う。そして見習わないとなとも思う。

日本人同級生全員が参加できるわけではない。一方で準備には全員が何かしらのかたちで参画している。このDinnerのアレンジをとってみてもそうだ。

リーダーを務めている仲間から誰がどんなかたちで貢献しているのか、これる人もこれない人も、とにかくIESEの全ての日本人がこの旅行を良い物にしたいと思っているんだよ、という旨のスピーチがなされた(と思う)。このDinnerに来ている仲間はその場で改めての紹介をまじえながら。

以前も書いたが、日本人の中にも多様性は溢れている。各人が自分のいた業界であり企業でありの文化や行動様式に気づくきっかけであり、それらの異なる個が集まった中で自分がどのように振舞っているのか、どうするべきなのか、を観察し内省し考え行動を選択するとても良い機会なのだと思う。

自分のものの考え方・進め方を是として他を断ずる前に、違いの裏にある考え方や感じ方についても理解を深めたいと思う。

多様であるという前提でそれを理解し、受け容れ、より良いやり方を見出しより良い結果をだすこと。それは僕達がIESEで得た大切な学びのひとつのはずなのだから。

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やるべきか否かとできるか否かを混同しない

あることをやるべきか否かとできるか否かは混ぜて考えるべきではない。どちらなのかを明確にし、それに沿ったアクションをとるべきだ。

まずやるべきか否かを定める。

やるべきだと主張する際、できるからというのは理由にならない。やるべきでないと主張する際、できないからというのは理由にならない。

やるべきでないという結論に達した場合、それに関する一切の議論が不要だ。

次にできるか否か。

できないというだけの主張は不要だ。やるべきことだからだ。必要なのはどうすればできるかという手段の代替案であり追加リソースの要請でありだ。

単純な構造だが、議論が混乱するときの主な理由のひとつはこれらの話が混ざりあっているところにある。

例えば、やるべきか否かが定まっていないのにできるか否かの議論を始める。そのことに着手してみる。後に、できるか否かがやるべきか否かを決める理由として主張される。

タフなシチュエーションに置かれる程自分のワークロードに敏感になり、自分のワークロードに敏感になるほど、やるべきか否かの判断が厳格になるからだ。同時に、やれるか否かの判断も一層現実的なものになっている。何も背負っていない時にやるべきと考えていたことが、やっぱりそうではないのではないか不要なのではないかという考えに切り替わる。できると思っていたものができないのではないかという考えに切り替わる。

これ自体は全く問題ない。ここで大切ことは2つだ。

まずやるべきでないという主張とやれないという事実は関係がないということだ。やるべきでないと主張する理由は、やれないという事実と切り離して考えなくてはならない。

次に、やるべきであると考えるなら、やれないという事実だけでは何も解決しないということだ。どうすればできるか、何があればできるかを考えそれを明確に主張しなくてはならない。

この2点に留意すれば、タフなシチュエーションにおいても、やるべきか否かとできるか否かを混同せずに物事を進められるだろう。

身近な存在であるほど、何を言うかではなく何をしてきたかで評価される

今日はClass of 2014の卒業後の代表を決めるための演説があった。

そこで思ったのが、身近な存在であるほど、何を言うかではなく何をしてきたかで評価されるのだろうなということ。何をどう語っても、その姿に普段の彼であり彼女でありが重なるから。

どれだけ崇高なビジョンを掲げ、身振りをまじえて雄弁を振るっても、身近な仲間は普段を知っている。そこにGAPがある場合、それをどのように埋めるのかが示されなければいかに素晴らしいプレゼンテーションも信頼は得られないだろう。

逆も然りだ。これまで何をしてきたかを見れば飾った言葉もプレゼンテーションも必要ない。これまでの彼であり彼女の存在が、彼らが代表を務めるClass of 2014の姿に期待を抱かせるからだ。

いずれにしても、こうしたイベントを経るにつれて、卒業が身近に迫っているのだな、今の仲間でバルセロナで過ごせる時間にも終わりが近づいているのだなと感じる。

僕は愛校精神といった類のものを持ち合わせていないが、自分は自分と自分の大切な仲間に、自分の何事においても胸を張れるように生きていきたいと思う次第。

[3/3] 天より火の粉が降り注ぎ地上に花が咲き乱れる街VALENCIAへいってきた – LAS FALLAS Y OFRENDA DE LAS FLORES

バレンシア最終日。夜は思いのほか寒くて少し風邪をひいてしまったかなという雰囲気。気温はバルセロナと大きくは違わないのでおそらく日のあたり具合と気密性の違いなのだろう。

帰りの電車は終電近くのものを予約していたので、この日はほぼ終日観光に使えた。Las Fallasでご飯を共にした同級生がこの日はビーチに行く予定で、そこにおすすめのパエリヤが食べられるレストランがあるという話を教えてくれた。一緒に行こうと誘ってくれた。まずそこへ向かう。

初めて通常の昼のバレンシアの街に出る。第一印象がLas Fallasの最終日の昼下がりだったので雰囲気が異なる。来た時はほとんど歩行者天国になっていた通りが、人のかわりに車で溢れていた。

穏やかな陽気を浴びながら海近くの停留所で下車。時間があるので周辺を少しぶらぶらしていた。バルセロネタ(バルセロナのビーチ近くの地域)の規模を大きくしたような雰囲気だった。

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その後はビーチへ向い、待ち合わせの時間までのんびりぶらぶら。暑くなく寒くない調度良い気候とシーズン前で人気(ひとけ)の少ないビーチはそうするには最適だった。

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そしてレストランに着いたとの連絡を受けて集合。人数が多い方がパエリアに加えて色々なものを食べられていいよねと。メインで頼んだのは勿論バレンシアのパエリア。シーフードではないチキンのパエリアだ。美味しかった。サングリアも美味しかったし他のメニューも然り。ついぼーっとしながらご飯を食べてしまった。会話が弾んでいる中でぼーっとそれを聞きながらあれこれ考えるのが好きなのだ。もっと積極的に輪に入り打ち解けた方が良いというのをわかりつつ。次は気をつけたい。

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その後は同級生とそのパートナーと別行動で、ひとまず近くのカフェへ入る。一緒に旅をしている仲間のJapan Trek関連の電話会議のため。一部自分が関係する部分は質問を受けた内容に答えながらコルタドを飲み、手作り感溢れるデザート?を頬張る。

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話がそれる。

Japan Trekはいいものにしたいなあと思う。色々なことを進める過程で、仕事じゃないから・組織じゃないから・上下関係がないから、という理由づけでの意見を聞くこともしばしば。ただそれらはきっと本質的には関係がないんだと思う。

いいものにしたいなっていうイメージがあったらそのために何をいつまでにするべきかは考えて決めていける。いかに効率的にできるかというのも考えていける(仕組み化する等も含めて)。それを誰が担当するか・できるかという話も、当事者となる各人が決める話だ。アウトプットとその期日に責任を負えるかという問にYesと言えるかどうかだ。それだけの時間を投入したいか、できるか、と言った話は、最終的に自分が何とかするという責任のもと各人が判断する話だ。で、その判断の結果、イメージを達成するのに必要なリソースが集まらなかった場合には、イメージを変えるのか、担当範囲を拡げて頑張るのか、もっとうまいやり方がないか考えるのか、責任の発生しないタスクを他の方へ依頼するのか等考えて進めていく。

上記のアプローチには仕事かそうじゃないか、組織かそうじゃないか、上下関係があるかないか、は関係がない。カタい語彙を使えば(僕は使ってしまいがちだが)仕事”らしく”感じるということもあるのかもしれないが、本質的にやっていること・とっているアプローチはきっと普段と変わってない。

みんなでやろう。そういう考え方は仕事では勿論プライベートでもしないんじゃないだろうか。仕事でもプライベートでも、みんなでやろうというのは誰にも責任を負わせずに成り行きに任せようということだ。ついでにいうと、できるだけ早くやろうというのはいつまでにやるべきか期日が決まるまではやらないということだ。だから成り行き任せでは上手く行きそうにないものに対してはプライベートでもみんなでやろうとは言わないだろう。

一方で、最初に書いたような理由づけで何かを悩んだり逡巡する人がいることは事実だ。人によって言葉の捉え方も普段の考え方も異なるのだろうから、そこは僕がキチンと理解せねばならないししたいと思うところだ。

Japan Trekの準備を通じて感じている面白さのひとつだ。国を跨がなくたってこれまでのバックグラウンドが異なれば、そこには多様性が溢れている。

ということで話をバレンシアの昼下がりに戻す。

旧市街へ戻りまず向かったのはカテドラルとミゲレテの塔だった。仲間の話によると(今回は頼ってばかりだった)バレンシアの街並みが一望できるとのことで、塔に登ってみた。調べた所螺旋階段は208段あるとのこと。昇り降りを終えたときには若干膝が震えていた。眺めは素晴らしいものだった。

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で、この塔から街を眺めていて気づいたのは広場に人だかりができているということ。そしてどうやら花であつらえた何かが人を集めているのだということ。どうもそれがOfrenda de las Floresという、Las Fallasの後半に重ねて行われるイベントに関係するものではないかという話で、早速向かってみる。

広場には沢山の人、そして花。昨晩はおそらく火の海であったであろうこの広場が変わるものだなあとしみじみ。

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そして次に向かったのはセラーノスの塔。先ほどのミゲレテの塔のようなイメージを持っていたが実際に目の前に現れたのは砦のような重厚な建築物だった。

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そして次に向かったのがラ・ロンハ。15世紀末に建てられた商品取引所であり、世界遺産登録がされているとのこと。バルセロナで見る建築物とはまた趣が異なり美しかった。

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こちらはラ・ロンハを出た後に通りすがった教会。

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その後、閉まっている市場を横目にフラットへ戻り一息ついて荷物をもって帰途についた。帰りの電車は時刻通りにやってきて、バレンシアを後にした。

これにてバレンシア旅行はおしまい。

楽しかった。そしてこれからが楽しみだ。スペインで訪れていない都市はまだ幾つもあるから。

 

[2/3] 天より火の粉が降り注ぎ地上に花が咲き乱れる街VALENCIAへいってきた – LAS FALLAS Y OFRENDA DE LAS FLORES

インド人の同級生とそのパートナーの方と合流して、お祭りが本格的に盛り上がる前に早めに夕食をとろうという話があった。

その待ち合わせまでまだ時間があったので、最後の夜が始まるに際してパレード?があるようでそれを見に行った。

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まだお祭が本格化する前にして、それはもう僕の想像の及ばない様相を呈し始めていた。パレードの一角が見えたと思ったらもう辺り一面煙と火薬の匂い、少し遠くには宙を舞う数々の花火が見えた。

そしてパレードを見る人の群れに辿り着いた。遠くから見えていた火花が何であったのかを理解した。幸か不幸か、僕らの立ち位置の辺りでちょうど花火が消え始めるようで、火花のボリュームは小さかった。

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その後無事合流し軽くご飯を済ませる。その間に小さい張子(Falla)への点火がスタートしたようで外からは一層多くの爆竹の音と人のざわめきが聞こえてきた。そんな喧騒から一歩離れて談笑しながら飲んだビールはとても冷えていて美味しかった。

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外に出て、僕たちは今年最大のFalla(という話だったと思う)が燃えるのを見ることに集中しようという話になった。これまで見て来たように多くの張子があり、フィナーレを飾る会場も別にあるのだが、街はもはやそれらを時間内に移動できる状態にはなかった。

向かう途中目にしたのは既に姿を失った小さいFallaであった。こうなってしまうのか、と喧騒の中にあっても一抹の寂しさを感じた。こんなにもキレイになくなってしまうものなのかと。(奥の大きい張子はもっと遅くに燃やされる)

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そして炎を上げている小さいFallaも目にする。諸行無常を感じた。

加えて、こんな狭い所でこの大きいのもこの後燃やされるのか・・・周りの建物は大丈夫なのか、この距離で見ていても大丈夫なのか、等いくつかの不安が頭をよぎった。

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その炎が消えゆく様を静かに見ていたいという気持に後ろ髪をひかれつつ、僕らは今年最大のFallaのもとへ急いだ。

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そしてそれを目の当たりにした時に僕が感じたのは2つのことだった。1つはその大きさと構造の手の込み具合の凄さに、そしてもう1つはこのサイズのものをここで燃やしたら周りの建物はどうなってしまうんだ、ということだった。先ほど頭をよぎった不安であったが、いよいよどうなるんだろうと。

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このFallaに火を点すまでまだ時間があったので極力前方に陣取り待っていた。頭の中に、夕方に合流した仲間から聞いた、昨年この祭りに参加された方の声が頭をよぎった。

燃え上がる張子の炎は想像以上に熱く近くで佇んでいることは不可能だった。そして燃えた火の粉が上空から自分達に降り注いでくるため非常に危険だった。

己を守るために、自分しかいなかったが、カッパを着ていた。

この大きさにしてこの距離でいいのだろうか。もし熱かったとして、距離をとろうにも後ろには満員電車さながらの人人人。距離をとれるのだろうか。ただ、カッパは持っていないが周りの人も持っていないし、それは大丈夫なのだろうと思っていた。

ちなみにスペイン語が堪能な同級生が周りスペイン人の方々から聞いた話によると、これは風刺を含んでおり、各キャラクターが欧州の政治家をイメージしてつくられているとのことだった。

そうこうしているうちに、日帰りのバスツアーで来ると言っていた同級生を互いに発見。写真に収めた。ピンぼけを防ぐことはできなかった。

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点火予定時刻は24:30。その時になると人々のざわめきもいよいよ大きくなる。点火前にFallaの目の前で取材をしていたTVリポーターの方へは明るく、大声で”はやくどけ”コールがなされる。怒った雰囲気の一切ない明るさが好きだ。

そんな中で僕は驚いたことがあった。自分たちの前には数人の若者がおり、とてもカジュアルな格好でお酒を飲んで談笑しながら待っていたのが、点火が近づくと、おもむろにフードをかぶり、ジッパーを閉め、首にしていたバンダナを口を覆うようにして巻き直したのだ。

未経験ながら、カッパがあったらよかったんじゃないかと思った。遂に僕の想像力でも昨年参加者の方の気持ちに手が届く状態に至った。

が時既に遅し。

照明が落とされる。導火線に火が点され火花がチリチリと小さい音を立てて動く。

まずは点火前のセレモニー、打ち上げ花火だった。幸か不幸か無風だったため真上に上がり、火花が真下に、即ち自分たちの下に降り注ぐ。

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 花火が終わり、視点を前に移した時には既にそれは始まっていた。僕はほとんど言葉を発することなく、ただただ目を奪われ、シャッターをきっていた。

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最小限の消火も同時に行われているようで、結果、大粒の火の粉や灰と小雨が同時に自分たちに降り注ぐ事態となった。怪我はなかったが気がつけば全身煤けていた。

確かに熱かったが身動きがとれなくなるのではというのは杞憂であった。なぜなら気がつくと人の群れごと後ずさりしていたからだ。

全員煤けながら一足早く人混みを抜け、フィナーレの会場へ向かうことにした。大きいFallaに火を点け始め、こうして燃え盛っている時間帯は、不思議なほど街は静かで、人の動きもまばらだった。

ただ、街の幾つもの場所で狼煙が上がっているようで、空の赤い方角もあれば黒煙の立ち上っている所も見えた。その様は、僕に、これが祭りであることを一瞬忘れさせた。

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メインの会場は既に人に埋もれていて近づけない状態だった。ただ、その会場についた時に僕達全員が驚いたのは、遠くに立ち上る巨大な火柱でも、けたたましい爆竹の音でも、打ち上げられている数々の花火でもなく、その人混みの中で掲げられているスマートフォンでありデジカメでありといったガジェットの多さだった。一方でどの角度からならフィナーレがうまく見えるか場所を探しており、そうこうしている間にそのガジェットの多さが表せる写真を撮れていないことが心残りだ。

最後にはこれまでに見たことがないほどの高さ、そして近さで火の粉が舞う姿を目に焼きつけ、帰途に着いた。

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爆竹の音もいくらか落ち着き、人混みもまばらになった帰り道になって初めて、少し高揚感こそあれど、静かに燻る炭になったFallaを見て、心を落ち着かせることができたような気もしなくもない。

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フラットに戻って軽く飲み、学生らしく色々な話をしてそれぞれの寝室へ戻って行った。フラットの明かりの下で、それぞれがいかに自分たちが煤けていたかに気づかされて笑った。

祭りに関係ない話になる。寝る前、僕は心地良い疲れと眠気を感じながらおそらく人生で最も大きい類であろう勘違いに気づき、こんなことが現実にあり得るのか、とまさに狐につままれたような気分で眠りに落ちていった。

次の日、この祭りとは異なるバレンシアの顔を見ることになる。

-つづく-