やるべきか否かとできるか否かを混同しない

あることをやるべきか否かとできるか否かは混ぜて考えるべきではない。どちらなのかを明確にし、それに沿ったアクションをとるべきだ。

まずやるべきか否かを定める。

やるべきだと主張する際、できるからというのは理由にならない。やるべきでないと主張する際、できないからというのは理由にならない。

やるべきでないという結論に達した場合、それに関する一切の議論が不要だ。

次にできるか否か。

できないというだけの主張は不要だ。やるべきことだからだ。必要なのはどうすればできるかという手段の代替案であり追加リソースの要請でありだ。

単純な構造だが、議論が混乱するときの主な理由のひとつはこれらの話が混ざりあっているところにある。

例えば、やるべきか否かが定まっていないのにできるか否かの議論を始める。そのことに着手してみる。後に、できるか否かがやるべきか否かを決める理由として主張される。

タフなシチュエーションに置かれる程自分のワークロードに敏感になり、自分のワークロードに敏感になるほど、やるべきか否かの判断が厳格になるからだ。同時に、やれるか否かの判断も一層現実的なものになっている。何も背負っていない時にやるべきと考えていたことが、やっぱりそうではないのではないか不要なのではないかという考えに切り替わる。できると思っていたものができないのではないかという考えに切り替わる。

これ自体は全く問題ない。ここで大切ことは2つだ。

まずやるべきでないという主張とやれないという事実は関係がないということだ。やるべきでないと主張する理由は、やれないという事実と切り離して考えなくてはならない。

次に、やるべきであると考えるなら、やれないという事実だけでは何も解決しないということだ。どうすればできるか、何があればできるかを考えそれを明確に主張しなくてはならない。

この2点に留意すれば、タフなシチュエーションにおいても、やるべきか否かとできるか否かを混同せずに物事を進められるだろう。

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