長い時間同じ環境にいるということ、とまっているということ

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同じ環境に長い時間身をおいてからその外に出ると、自覚せぬ間に当たり前になっていることが思いのほか多いことに気づく。コンサルティングを生業としていてプロジェクト毎に異なる業界で異なるテーマを扱っていても、提案も合わせたら結構な数の、多様な課題と向き合ってきたといっても、コンサルタントというプロフェッションであり、プロジェクト型のワークスタイルでありに長時間従事していたら、その外に出て初めて気づくことは多い。

ふと怖くなる。2つの意味で。ひとつは自分のケイパビリティが偏っていたということに気づいた、即ちそれに今まで気づいていなかった怖さ。自分が、自分が謙虚でいる以上に小さい存在だと今まで気づいていなかった怖さ。もうひとつは、ケイパビリティだとか自分の幅とか言う考え方をしている怖さ。そんなものを気にしてどうという話ではなく、自分が世に出したいインパクトがあるなら、自分を賭して解決したい課題があるのなら、ケイパビリティが偏るなどという話はどうでもよくて、偏ってるなら身につける、身につけている人をチームに巻き込むか、行動が全てのはずなのに、そこを怖いと言っていられるモラトリアムにいるんだという怖さ。

怖いという表現をしたが、今より早く気づけるタイミングはない、軌道修正をかけられるタイミングはない。そしてこうしたモラトリアムにいるからこそ種々の圧力なく自分の人生を考え、自分が生を受けた世界を、時代を広く捉えられるはずだ。

ひとまず、つくりだした機会に全力でこたえ、自分を変えて行きたいと思う次第。

 

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