裸の自分

最近はいろんな立場で仕事をする。いろんな人を相手に仕事をする。
そうすると身に沁みてわかる。その立場が相手のレスポンスにどれだけ大きい影響を与えるのかということが。自分が意識できる範囲ではいつもどおりの自分なのだけど、相手のレスポンスはそんな自分の立場によって変わる。
そういう経験をすると自分の普段の立場というものがいかに恵まれているのかということに気がつく。同時にそういう立場を全て取り去った自分が他人に対して何ができるのかというのが少しわからなくなる。
スコープを絞って合理的に見れば、そんな自分の立場も、他人とのつながりも、相手の立場もつながりも、最大限活用するべきものだと思う。
でもそういうのをひっくるめて自分の力だと考えてしまうのは、大いなる勘違いだと思う。
自分が身につけている様々な属性を自覚して、謙虚でありたいと思う。

いいとこ探し

最近、ほぼ初めての経験をしている。
信頼・尊敬できるところを見つけるのが難しいヒトとの仕事。
悩むだけなら物事変わらないし、
そもそも目的に鑑みて考えればいいはずだし、
シンプルに行きたい。
以前書いた”無条件に人を信じる”という話。難しいときもあるんだなあ。
なかなか大変だけどこういうの人間らしくていいな、と思えたりもする。

タフな日々の中にこそ

今のプロジェクトはこれまでで一番タフなんじゃないかなあと思う。肉体的にも精神的にも。普段はたまに曜日も時間も感覚がなくなるような日々だけど、それでもあくまで主体的にタフなタスクと格闘していきたい。
なんだかんだでタフな日々の中にこそ、活き活きした自分がいたりするのだ。
タフな日々だからこそ時間の大切さがわかる。
タフな日々だからこそ自分の生産性の高低を意識できる。本気で高めようと取り組める。
タフな日々だからこそ自分の中の優先順位に気づける。
タフな日々だからこそ遠慮なく自分をさらけだして走っていける。周りを引っ張っていける。
タフな日々だからこそ迷いもなくなる。
タフな日々だからこそ他人の優しさに気づける。
タフな日々だからこそいつもなら手を伸ばさない領域にまで躊躇なく踏み込んでいける。
こうやって振り返ると、タフな日々がいとおしく思えてくる(言い過ぎか?)
(とはいえ、どこかで時間をつくってゆっくりおいしいものを食べに行きたい)

くらやみの速さはどれくらい

くらやみの速さはどれくらい
エリザベス・ムーン (著), 小尾 芙佐 (翻訳)
[2/18 00:23 update]
こちらのブログで紹介されていたので手にした。5-6年前になるだろうか。『アルジャーノンに花束を』を読んでいたので、それと比較されているこの本も読みたいと思い。
読み終わると複雑な気持ちになる。それは物語の終りを迎える主人公にとっては幸せであっても、その過程にいた彼なら、その周りで過程に存在した人間なら、幸せだという気持ちだけを抱くことはないんだろうな、という状況が発生するからだ。終りを迎える主人公はそういった過程を忘れいているのか、わかっていてもスッキリ解釈・受容し終わっているというか、そこに至るまでの段階を一気に飛ばすか済ますかしてしまっている(周囲がそれから受容しなくてはならない、主人公との関係を変化させなくてはならないというのに)からだ。物語の最後に至るまでの過程における主人公を、彼の悩みや思考を理解・共感していくにつれて、そんな彼でいることが彼らしさであり、1つの幸せであるのではないかと思ってしまうからだ。
一歩ひいてみると、描写、特に主人公の内面の描写が秀逸。彼の心の機微、彼ならではの迷いや思考が細やかに描かれている。