久しぶりの友達

今日は仕事を早めに切り上げて、21時半頃から大学時代からの友達と食事。以前会社の上の方から教えていただいた、レトロな雰囲気で、美味しくて、安くて、おじさんの接客が微妙(絶妙?)な焼き鳥屋へ。
最近、諸事情あって慌ただしいとは聞いていたものの、実際にあってみると疲れはありそうなものの、愚痴やらなにやら話す元気はまだまだあったようで何より(^^)安心。
仕事やら何やらのお互いの近況を話し終えると、次は先日の同じく大学の友達の結婚式の話へ。
寝坊の話もBlogでついでに見たとのことで、ここでも話題に…本当に反省してます(^^;)
PCを持っていたので、料理とPCを離し、写真を見ながら飲む。…おそらく周りから見たらおかしな二人だったと思う…。そして10時半LOだったこともあり、料理が出てくるペースは早く、自分達が食べるペースは遅く、テーブルの上は焼き鳥だらけに…。食べたいのに写真を進めろという雰囲気がPCから手を離れさせてくれなかった。
相変わらず焼き鳥は美味しかった(^^)
来週末も、高校・大学と一緒だった友達の結婚式がある(日曜(^^;))。また幸せな二人を見れる、そしてみんなで集まれると思うと今から楽しみだ(^^)

本音

本音を聴く・言う・理解する。今日はその素晴しさと偉大さを身に沁みて感じました。
人に対して本音でぶつかれることが、そして人に本音をぶつけてもらえる姿勢でいることが、どれだけ強い信頼関係を築ける原動力となることか。
安直ないいたい放題ではなく思いつきでもない。
感情をぶちまけることでもなく抑え込むことでもない。
言葉を額面どおりにしか受け止めないことでもなく、裏を読むことでもない。
本音を言う。本音を聴く。互いに理解する。
自分のものも、相手のものも、大切です。

新TOEICと携帯と

今日はTOEICを受けに高田馬場へ。
2006/5から新型TOEICになったということでどのような違いがあるのか把握した上で臨もうと思っていたのだけどそれもかなわず。しかし結果としては、新旧の違いはそれほど自分にImpactを与えはしなかったと言える。
旧型のTOEICの形式も忘れていたので(^^;)
気づいたのは3つ。

  • リスニングセクション4あたりで、以前は1つのTopicに対して2-3の問いが設定されていたのが各Topicについて3問に統一されていたこと。
  • リーディングセクションの間違い探しがなくなり、適語選択が文章中の文に対しても存在したこと。
  • リーディングセクションの最後の長文に長いもの(旧型の1.5-2倍程度)が混ざっていたこと。

どれくらい英語力があるとすべての意味を理解して最後まで解く事が出来るのだろうか。感じたのは、(特に最後の長文については)英語力というよりも情報処理能力の勝負。問いに答えるのに、どれだけ不要な部分を理解する作業を減らすか。
英語を使ったCommunicationであり、海外での日常生活を目的とすると若干はずしているのだけど、日本語で同じような質問をされていたら全部理解して答えようとはしないだろうというのも事実。英語に対しても変に理解しようとせず、要点を理解する力を磨くという意味で面白い。
(リーディングの最初の適語選択も同様。意味でなく構造から入る。)
仕事でもプライベートでも意識して日々触れてきてはいたのだけど、その結果をメジャーする手段の1つのTOEIC、TOEFLは受けてこなかった。ふと思い出すと2年ぶり位のTOEICではないだろうか。
一ヵ月後のScoreが楽しみだ(^^)次につなげていきたい。
そしてTOEFLも新型TOEFLへ移行中。次はSpeakingも加わる。楽しく英語を磨いていきたい。
そして帰りに新宿へ寄り道。携帯を変えてみる。
重い携帯、折りたたみ携帯に飽きてきたので、重くなく折りたたみでない携帯を探す。最近NOKIAの携帯が気になったりしていたのだけど、結局はこれに落ち着く。
デジカメ、300万画素なんていらないのだけど(^^;)

相変わらずな僕ら

6/23(金)は、中学から大学まで一緒だった友達が出張で東京に。夜は家に泊まるということで20時過ぎごろから飲みに銀座へ。気心知れた友達というのか、親友というのか。これほど時間をともにして楽な関係というのも他にない、と思える。
銀座へ行ったものの、地理に詳しいわけでもなく、適当にぶらぶらしながら見つけたお店へ入る。なかなか美味しい(^^)
お互いの最近の仕事の話から結婚の話、子供の話、友達の話、これからの話。話題は尽きない上お互い久しぶりにでもあってみると、変わらない相変わらずだ。
あったのが13-4歳の頃だから、そこから考えると結構な時間を共にすごしているのだけど、そして昔から比べたらお互いに成長しているはずなのだけど、いつになっても”相変わらず”という言葉に収まる。お互いの成長の方向性が似ているのか、変化を許容する幅が広いのか。まあそれはここでは深くは考えない。
食事後カラオケへ、散々飲んで歌ってタクシーで帰宅。
気がつくと朝になっていた。少々痛い頭ともたれた胃に引きずられながら起きてみるとテーブルの上にはコンビニの袋。そしてその中にはお茶と煮卵のおにぎり…
なんとなく、タクシーから降りてからコンビニへ行ったような…で、何か買ったような…お互い断片的になくなってる記憶を辿りつつ、目の前の煮卵おにぎりの見た目の重さにまた頭を痛めた。
勿論大切な時間であり、他にもやりたいこと、やるべきことはいくつかあるのだけど、それでもこういう時間というのは大切にしていきたいし、これからもつくる余裕を持っておきたいと思う。そしてこういう時間をつくることができる相手でありその関係というものは今後も大切にしていきたいと思う。
おそらくこれからもずっと”相変わらず”な僕らである。

新しい世界

仕事なのか、それともPrivateなのか。よくわからないのだけど新しい世界を得た。こういうと大袈裟なのかもしれないが、何にも囚われない、誰にも強制されない、自由に自分を使える世界。
本来ならば仕事も何もかもがこうあるべきなのだと思う。誰にでも言えることなのだが、誰にとっても自分の人生は自分のものであるのだから。
良い事なのか悪い事なのか、まだわからないが一枚の葉しか持っていない大木からその葉が落ちてしまうのと、何百何千と葉が生い茂っている大木から1枚の葉が落ちるのでその出来事の重みが異なってくるのと同様、自分の世界が多い程、そしてそれらのバランスがとれている程、どこかの痛みがどこかで吸収されるような感覚がしている。
ここで失敗しても向こうで結果をだせているし、まあいいか。というような甘えあう、自身を貶めるようなものでは決してない。どこかで自分として胸を張る事ができるから、ここでもしミスをしてもまた胸を張って走り出せる、という自信というのか余裕というのか、そのようなものが持てるような感覚がしている。
そしてその感覚はタフな環境においても自分を前に推し進める精神的な力となっているのだと思う。
崖っぷちで見えない力で背中をぐぐっと押されているような、はしごを架け・道を示してくれるが、そこには”渡れ”という暗黙の力が働いており、自分を抑えて進んでみると後ろには、はしごを架けた、道を示した本人さえもおらず、そしてはしごも無くなっている様な、そんな事態も、それが起こるのではという不安も一切ない。
正直に書くと、ずっと感じていたことがある。自身の成長の方向と、周囲の自身に対して求めるもののGapが広がり続けていること。本来の目的よりも先に使うべき手段が定義され始める、自社の短期的な利益を追う/管理する力が強まり、本来のConsultantとしてのProfessionalismを貫くことが難しくなりつつあること。その環境で、周りに対して”率直であること”が難しくなっていること。前提を疑うことが許されない、もしくは疑うことを忘れさせるような雰囲気が醸成されていること。
勿論自分が正しいと言うつもりはない。自分が強ければ周りなんて関係なく、自身として理想に重なり続けることができるのだと思うし、それができずにいる自身の弱さはこれから鍛えていきたいと思う。
ただ、自分が上に書いたように感じている、という事実については正しいと判断して良いと思う。自身の頭であり心でありが把握できている範囲で自身は上に書いたように感じているのだから。
今ここにきて、自分がこれまで蓄積しながら活かしきれなかったものを存分にアウトプットする場を、自身がCareerの理想として描いていたConsultant像に重なる事ができる場を、そんな素晴らしい場を得たような気がしている。
事実そのような世界なのかはわからない。ただ、上と同様、自身がこのように感じている限り、自身にとってこの世界はこういう世界であることは正しいのだ。
矛盾するかもしれないが、その環境がどうなのかと考えるよりも自身の、自分らしい、自分だけのVisionに向かっていく中で、今いる環境で何ができるかを考えることが大切だと思う。
この折角の機会、楽しくいきたい(^^)自分らしく、思いきりValueを出していきたい。
大袈裟かな(^^;)