今年もすごかった -IESE Multi Culti 2014

腰とおしりが重度の筋肉痛になっている。

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あっという間に終わった文化祭 -Multi Culti。今年もとても面白かった。

今年は日本のパフォーマンスにも参加させてもらった。写真を撮りたかったのでブースで食事やお酒をサーブする役割は失礼させてもらった。そこが一番大変なところだと思いつつ。学生のみならずパートナーの方々へも負担がかかるし、パフォーマンスのように舞台での4分のために準備をし、それを終えて肩の荷が降りる、という類のものではないし。

準備の段階からもろもろ振り返りたい。僕はいちパフォーマーとして参加したに過ぎない。横から見ていて感じたことを書いている。

 

本気だから衝突する。衝突するからより考える。より考え衝突するからより良い物ができる、チームの結束が強まる

人はおおよそどうでもいいと思うことに頭を使わない。どうでもよくない、こうしたい、という意志があると頭を使う。それを実現するためにどうするべきかと。

そしてそれぞれ異なる意志を持つことで衝突が生まれる。衝突することで異なる考え方について再考し、その過程でさらに良いアイデアが生まれる可能性を得られる。さらにその過程を通じてチームとして(リーダーとしてフォロアーとして)どのように動くべきなのか各人が考え、行動を変えられる。

結果、より良いアイデアと、より良いチームが生まれるのだと思う。

今回、コスプレと法被、組体操とソーラン節、加えてスーパーマリオとキル・ビルの素晴らしいコラボレーションが生まれた。

練習・改善・練習・改善・・・をやめない。

リーダーとその分野の経験のある仲間で、時間配分、振り付けの編集、曲の編集等がすみやかに進められ、各パートの練習が始まった。個人練習、有志で集まっての練習、全体練習、概ね予定通りに集まり、着実に完成度を高めていた、と信じる。よりパフォーマンスにメリハリがつくよう、見る側にわかりやすくなるよう曲も編集が加えられ良い物になっていった。

集まって練習をするとより良いアイデアが浮かび、試し、判断し、また練習する。何も考えずに当たり前のようにやってたが、これができるのは日本人のひとつの特徴なのかもしれない。

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その積み重ねが本番での自分たちを強くする

そして迎えた本番。舞台裏で着替えを済ませ、最後に振り付けをあわせ、円陣を組み気合をいれてスタート。

イントロから順調に入り最初のパートを終えた所で異変に気づく。変更した曲が本番の音楽に反映されていなかったのだ。練習の中で、どの音楽(というか音)にあわせてどう動くというレベルまで考えていたのだがその音が鳴らない。

チームに動揺が生まれる。後半登場だったので舞台袖で見ていて思ったのは、音楽がなくても何をするかは記憶されていてうまくパフォーマンスを進められていたということだ。音楽を編集する際、大きい塊での時間配分は変えず、その配分の中で音楽を変えていた。だからなる音楽は違っても普段通りに動けば時間内にパフォーマンスをし、最後決められることに変わりはなかった。

結果時間配分もさほど狂うことなく前半の見せ場をこなし、盛大な歓声を浴び、数秒の浮いた時間こそあったものの、後半スタート。最後のポーズを決めた時あびた喝采は今年のMulti Cultiの中で一番大きかったのではないだろうか。

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日本のブースも大盛況で、用意していた料理・お酒も程よいタイミングで全てなくなったと思う。唐揚げと枝豆は日本人学生のパートナーの方々お手製でとても盛況だった。僕も食べたかったがそれは趣旨が異なるということで我慢した。

最終的に皆が酔って盛り上がり、国のブースの境目が曖昧になって全部とっ散らかる、という展開なのだけど、日本のブースは片付けも速やかでキレイだったと思う。(写真はとっ散らかったときのもの)

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仲間と話していて、たまに出る卒業後の進路の話や、残りあともう少しだね、という話題になるたびに、ふいに寂しくなるのが印象的だった。IESEにきてこれまで、まだそういう感情がでてきたことがなかったので。

残りの時間もよいものにしていきたい。

el Bulli. chef x Architect – Innovation with Ferran & Makoto へ行ってきた

この土曜日はel Bulli.のシェフのFerran Adria氏と建築家の谷尻誠氏の対談を見に行ってきた。IESEのJapan Business Clubが主催したイベントだ。盛況で、キャンパスで最も大きい講堂があれだけ混み合っているのは初めて見た。2階席も人で溢れていた。
スペイン語で話すFerran氏、日本語で話す誠氏の対話をスペイン語、英語、日本語の同時通訳でファシリテーターであり聴衆でありにタイムリーに、正確に届けるのは難しいことであったと思う。実際誠氏のコメントを日本語で聞きながら英訳で聞いてみると、その内容の細かい違いに気づくことは多かった。もしかしたら通訳ではなく言語そのものが原因なのかもしれないが。Ferran氏の話し方は独特らしく、スペイン人であってもそれを全て理解するのは難しいとのこと。話すスピードの速さも原因のひとつのようだが、右脳派というかなんというか。
今の僕は誠氏に学ぶことが多かった。過去イノベーション・マネジメントのコンサルティングに従事していた時代を思い出し、考えを整理することができたように思う。
僕が受けたイメージは、Ferran氏は自分の中に確固たる考えを持っていて、それを堂々としたプレゼンテーションで伝える。質問に対しても自分が考えていることを伝える姿勢がまず第一にでてくる。なので質問への答えになっていないこともしばしば。ただ常に力強く聴衆へ語り続け、多くの笑いであり頷きでありを生み出していた。
一方誠氏は、自分の考えとそれに従った経験を持っているが、それと同時に他を受け容れる柔軟性も備えているように感じた。個人のエンターテイメント性を強く感じさせるプレゼンテーションではないが、シンプルに自身の考えとそれに従って何をどう生み出したのか自身の作品を紹介する。静かでありながら力強いものであった。質問へも直接こたえるし、質問によってはそれは今自分も考えているところで明確なこたえは持っていない、という前置きのもとに話をされていた。
プレゼンテーションのスタイルは好みとして、自分も含めて、ネイティブでない言葉を、通訳を通じてどれだけ理解しきれているかは疑問があるところ。もっと理解を深めれば印象も変わってくるものと信じる。
誠氏から学んだ内容を以下にまとめる。彼の言葉そのものではなく自分の解釈を含めている。

名前がそのものの提供価値を規定している。水の入ったコップは魚を入れれば水槽になるし花を生ければ花瓶になる。これは最初から水槽や花瓶という名前をつけていないことによって機能が広がる、使い道が広がるという事だ。

オフィスであり美容院でありもそう。例えばカフェ。カフェであってもその中で人々が皆パソコンを広げるなりして仕事をしていればその空間はオフィスと名付けられる。何が空間の名前を決定づける要因なのか。

自分が主催するTHINKというイベントのために名前を付けない空間を所有している。その中で髪を切ってもらった時そこは美容院になった。美容院をデザインすると考えると普通鏡が重要な位置づけにくる。しかし実際には鏡がなくとも美容院は存在しうる。

意味のない多くのものの中から新たな意味を見出すことがイノベーションではないかと考えている。例えば昔、人々がに見える多くの星々をつなぐことで星座という概念をつくりそこに意味を持たせていったように。

”透明”は何かを考えた時に、川を流れるキレイな水にたどり着いた。それは透明だが、水がなければ人々は透明であるとは感じない。であれば物質によって透明を表現できるはずである。

継続的にイノベーションを生み出していく際大切なのは一人で考えないことだ。一人で考えた先に出来上がるものは形になった自分一人のアイデアに過ぎない。それではイノベーションと呼べない。そこへ予期できない他者を巻き込むことで化学反応が起こり、自分で想像だにしなかったものが生み出される。

昔の人々は今に比べてもっと考えていたのではないかと思う。その考えぬかれたものが、今もなお伝統として残っているのではないかと。今の時代は情報が溢れている。考えなくても生きていける。しかしそれでは未来に自分たちの何が残るのか。未来に何かを残すためにも自分たちも常に新たな何かを考え続けなくてはならなないと思っている。

イノベーションが新たなつながりだというのは、元々シュンペーターがイノベーションの概念を打ち出した時の定義に重なる。ノイエ・コンビナチオ、新たな結合がイノベーションであるということで。
継続的にイノベーションを起こしていく上で一人で考えないということも同意する。僕は”誰に対するイノベーション”なのか、という点も考えるに値すると思う。誠氏の考えの前提にはもしかしたら自分に対するイノベーションというのが強くあるのかもしれないと感じた。自分の中で新たな結合を生み出す、見出すために他者との化学反応が必要であると言われていると感じた。
それもあるが、その何かしらの結合が誰にとって新しいのか、誰にとってイノベーションであるのかというのも考え方としてある。タイムマシン経営にしても、あるところで既知の経営手法が、それのないところでは新たな手法となるわけだし、その場所に限定すればイノベーションであるだろう。リバース・イノベーションにしてもそう。全く同じものを新興国から先進国へ投入した結果、利用シーンであり誰かのニーズでありと新たな結合が生まれイノベーションになる。
加えて強く感じたのは、それを体現している方の力強さだ。言葉では、理論でどうだという話と、それを実際に形にして、価値として世に届けることは遠く距離が離れている。それを、実際にやりつづけ、イノベーションを実際に生み出している方によって語られる結晶化されたコンセプトは多くの学びを与えてくれた。
濃密な時間だった。
講演会後、クラスメイトと話していると、Ferran氏よりも良いことを言っていたよね!と言う人もいた。ただ、言葉の壁があってうまく理解しきれていないかもしれないとも。
まずは英語とスペイン語、磨いて行きたいなと思った。

TEDxBARCELONAへ行ってきた

マヨルカ・メノルカ島旅行と前後する。先週の金曜日はTEDへ行ってきた。実際に見に行ったのは初めて。これまではTOEFLの勉強のためにPodcastで見ていた。
面白かった。
技術と社会の未来ということで、いろいろな技術でありコンセプトでありの紹介があった。内容のすべてを事前に把握していたわけではなく特定の期待値なしにひたすらインプットする半日だった。とても良かった。
普段既に組まれたカリキュラムの中で、ある程度規定された体系の中で学び続けているのに対して、TEDからの学びは普段とは距離があり、自分にとって規定されたものではなく、多様であったから。
インプットなくしてアウトプットはでき得ない。普段と同じインプットの繰り返しの中から普段と異なるアウトプットがでてくることも稀だろう。自分というプロセスを変えることは勿論できるし、MBAというのはまさにそれを実現する場所なのだと思っているが、インプットを変えることはこうして普段触れない世界に飛び込むだけで瞬時に実現できる。そしてそれは、プロセスを変えていないにしても、これまで使っていなかったプロセスを呼び起こすこともあるかもしれない。
これからも、時折ランダムに、気の向くままにインプットすることは続けて行きたいと思う。

Champion’s League 準決勝を観てきた

少々前の話になるが、水曜日にChampion’s Leagueの準決勝を観てきた。FC Barcelona vs FC Bayern Munich。前回観戦したのが昨年夏のSuper Copaで、FC Barcelona vs Real Madrid C.F.だった。
結果はさておき、素人でも凄さを感じられる試合であったと思う。また見に行きたい。

PAINTBALL(簡易サバイバルゲーム)に初挑戦

土曜日はPAINTBALLをしてきた。日本で言うサバイバルゲームをシンプルにしたようなものだった。参加者は100人を超えていて、大きなイベントになっていた。キャンパス前に集合してそこからバスで出発。
金曜日に送別会で大盛り上がりしていた結果、二日酔いを抱えての参加となった。
そしてその結果前半は欠場。朝起きたときは調子もそんなに悪くなかったのだが、徐々に悪化。会場に着く頃には、激しく動くとまずいことになるな、という感じで。着替えて、マスクと銃を持って、ベンチに座って仮眠。”オレも二日酔いだよー!”と明るく笑っている仲間もいた。元気だなと眺めながら自分は安静に。
調子が良くなった後半から参加。休憩の時に、朝とはうってかわって”二日酔いだ、気持ち悪い。。”といっていた仲間が微笑ましかった。気持ちは痛いほどわかる。
初めてだった。とても面白かった。そして痛かった。痕は残らなかったが首にあったたのが少々。。
あまり目立たない白いペイントの入ったビー玉程度の大きさの弾をガス銃で撃つ。帰り道、頭やら顔やらにペイントの残った仲間もいて、大学・街に戻ったら変な目で見られるよと話していたら自分の顔と頭にもべったりついていた。バスが大学に着く頃に教えてもらった。
その後、クラスメイトとラーメンを食べにいって帰宅した。
心地よい筋肉痛と、すっかり治った二日酔いの体でぐっすり眠った。