いつもチームに傾聴と構造をくれた

昨日はチームビルディング。IESEでは1st yearは同セクションのメンバー7-8人で構成するチームで動くことが多い。チームプロジェクト、チームアサインメント、毎日の勉強等。

1st yearは後2週間で終わる。即ちこのチームでの活動が後2週間で終わるということだ。今学期が終わればそれぞれがそれぞれの夏休みを過ごし、4th termは交換留学で北米南米、欧州他国、中国へ行くメンバーもいる。全て選択科目になるのでチームアサインメントは各科目でチームをつくるところから始まる。

今回のチームビルディングの内容は一年のチームワークを振り返ることに重きが置かれていた。昨年の9月にTeam Contractをつくってから9ヶ月を過ごしてきたのかと思うと感慨深い。振り返って、自分がチームから学んだこと、自分がチームに対して感謝したいことをチームのみなで共有する。

何を学んだかを考える。真っ先に頭に浮かんだのは常に自分のポジションとり続けなくてはならないう事だった。情報が足りない中でも、自分の中でまだ整理がついていない段階であっても、その時点でのポジションをとるということ。論点が違うと思うのなら何が正しい論点でそれについて自分がどう思うのかを明確に話きるということだ。

チームに感謝したい事を考える。それはタフな状況であっても自分の考えに耳を傾け続けてくれたことだった。話すスピードは遅い、内容が混みいって来れば文法も崩れる、それであっても耳を傾け、理解できていないと感じたらこういうことか?と確認してくれる。そのスタンスに心から感謝している。

共有している中でチームメンバーが僕に感謝していることがあると教えてくれた。2つ。ひとつは僕の謙虚な振る舞いがチームに謙虚であることの大切さを教えたということ、もうひとつは自分が常にチームワークに構造をもたらしたということ。

嬉しいものだと思った。そして面白いと思った。

僕にはポジションをとるためには論点とそれに答えるための構造が最低限必要だった。だからそれを明確にするまでポジションをとらなかった、まず先に論点の明確化と構造化に臨んだ。言葉だけで明確にしてチームに伝えるのは難しいのでノートであり、ホワイトボードでありパワーポイントであり、ビジュアル化するツールに多分に頼った。自分がポジションを明確にするまでは反論することもないので相手の話は最後まで聞く。少なくとも遮ることはしない。

それが謙虚の一部に通じ、常に構造をもたらすことに繋がった。
以前も書いたかもしれないが凸凹しているが皆頭が良い。それぞれの頭の使い方があるので漠然と問が与えられたら論点の設定もそこにたどり着くための筋道のつけかたもバラバラだ。それで議論を噛み合わせるのは難しい。しかも論点、構造が誤っていればその中での議論の価値もない。

バックグラウンドが同じなら、プロトコルが同じならまだいい。そうでないからこそ尚の事構造が必要なのだ。

一旦それを示して、必要に応じて構造に関する議論をして、合意を得られればそこからが面白い。皆の頭の良さが同じ方向に発揮されるのだから。自分では想像できなかったアイデアも出てくるし、特に関係のある業界での経験があるメンバーが自分の経験を構造に則って整理するスピードとそこからの示唆も面白い。

自分の強みが何であるのか、IESEへ来てから考えることが何度もあった。特定の業界での経験?知れている。実業での経験?ない。どの業界、どの機能に関する話であっても実際にその中にいたクラスメイトの話に比べると臨場感に欠けることが多い。それに、それらを整理して示唆を出させるのは教授の役目だろう。自分はどこでどのように価値が出せるのか。

自分の構造化の能力が優れているとも思わない。構造化という点に限っても、自分より優秀な人を多く知っているからだ。それでも僕がホワイトボードに黙々とテキストであり図でありを書き続けるのを静かに見守ってくれる。その内容をスピーディに理解してくれる。”どんな魔法を使ったんだ!””これもう終わったも同然じゃないか!”と興奮して褒めてくれる。記念撮影?してくれる。”頭の中がどうなってるのか教えてくれ!”、”ものの考え方、資料のつくり方を教えてくれ!”と大袈裟にでも両手ばなしで褒めてくれる。素直に盛り上がってくれる仲間が大好きだ。

貴重なフィードバックをもらったと思う。

それも含めて仲間に感謝をして、残りの二週間、チームでの勉強も遊びもハードにいきたいと思う。

el Bulli. chef x Architect – Innovation with Ferran & Makoto へ行ってきた

この土曜日はel Bulli.のシェフのFerran Adria氏と建築家の谷尻誠氏の対談を見に行ってきた。IESEのJapan Business Clubが主催したイベントだ。盛況で、キャンパスで最も大きい講堂があれだけ混み合っているのは初めて見た。2階席も人で溢れていた。
スペイン語で話すFerran氏、日本語で話す誠氏の対話をスペイン語、英語、日本語の同時通訳でファシリテーターであり聴衆でありにタイムリーに、正確に届けるのは難しいことであったと思う。実際誠氏のコメントを日本語で聞きながら英訳で聞いてみると、その内容の細かい違いに気づくことは多かった。もしかしたら通訳ではなく言語そのものが原因なのかもしれないが。Ferran氏の話し方は独特らしく、スペイン人であってもそれを全て理解するのは難しいとのこと。話すスピードの速さも原因のひとつのようだが、右脳派というかなんというか。
今の僕は誠氏に学ぶことが多かった。過去イノベーション・マネジメントのコンサルティングに従事していた時代を思い出し、考えを整理することができたように思う。
僕が受けたイメージは、Ferran氏は自分の中に確固たる考えを持っていて、それを堂々としたプレゼンテーションで伝える。質問に対しても自分が考えていることを伝える姿勢がまず第一にでてくる。なので質問への答えになっていないこともしばしば。ただ常に力強く聴衆へ語り続け、多くの笑いであり頷きでありを生み出していた。
一方誠氏は、自分の考えとそれに従った経験を持っているが、それと同時に他を受け容れる柔軟性も備えているように感じた。個人のエンターテイメント性を強く感じさせるプレゼンテーションではないが、シンプルに自身の考えとそれに従って何をどう生み出したのか自身の作品を紹介する。静かでありながら力強いものであった。質問へも直接こたえるし、質問によってはそれは今自分も考えているところで明確なこたえは持っていない、という前置きのもとに話をされていた。
プレゼンテーションのスタイルは好みとして、自分も含めて、ネイティブでない言葉を、通訳を通じてどれだけ理解しきれているかは疑問があるところ。もっと理解を深めれば印象も変わってくるものと信じる。
誠氏から学んだ内容を以下にまとめる。彼の言葉そのものではなく自分の解釈を含めている。

名前がそのものの提供価値を規定している。水の入ったコップは魚を入れれば水槽になるし花を生ければ花瓶になる。これは最初から水槽や花瓶という名前をつけていないことによって機能が広がる、使い道が広がるという事だ。

オフィスであり美容院でありもそう。例えばカフェ。カフェであってもその中で人々が皆パソコンを広げるなりして仕事をしていればその空間はオフィスと名付けられる。何が空間の名前を決定づける要因なのか。

自分が主催するTHINKというイベントのために名前を付けない空間を所有している。その中で髪を切ってもらった時そこは美容院になった。美容院をデザインすると考えると普通鏡が重要な位置づけにくる。しかし実際には鏡がなくとも美容院は存在しうる。

意味のない多くのものの中から新たな意味を見出すことがイノベーションではないかと考えている。例えば昔、人々がに見える多くの星々をつなぐことで星座という概念をつくりそこに意味を持たせていったように。

”透明”は何かを考えた時に、川を流れるキレイな水にたどり着いた。それは透明だが、水がなければ人々は透明であるとは感じない。であれば物質によって透明を表現できるはずである。

継続的にイノベーションを生み出していく際大切なのは一人で考えないことだ。一人で考えた先に出来上がるものは形になった自分一人のアイデアに過ぎない。それではイノベーションと呼べない。そこへ予期できない他者を巻き込むことで化学反応が起こり、自分で想像だにしなかったものが生み出される。

昔の人々は今に比べてもっと考えていたのではないかと思う。その考えぬかれたものが、今もなお伝統として残っているのではないかと。今の時代は情報が溢れている。考えなくても生きていける。しかしそれでは未来に自分たちの何が残るのか。未来に何かを残すためにも自分たちも常に新たな何かを考え続けなくてはならなないと思っている。

イノベーションが新たなつながりだというのは、元々シュンペーターがイノベーションの概念を打ち出した時の定義に重なる。ノイエ・コンビナチオ、新たな結合がイノベーションであるということで。
継続的にイノベーションを起こしていく上で一人で考えないということも同意する。僕は”誰に対するイノベーション”なのか、という点も考えるに値すると思う。誠氏の考えの前提にはもしかしたら自分に対するイノベーションというのが強くあるのかもしれないと感じた。自分の中で新たな結合を生み出す、見出すために他者との化学反応が必要であると言われていると感じた。
それもあるが、その何かしらの結合が誰にとって新しいのか、誰にとってイノベーションであるのかというのも考え方としてある。タイムマシン経営にしても、あるところで既知の経営手法が、それのないところでは新たな手法となるわけだし、その場所に限定すればイノベーションであるだろう。リバース・イノベーションにしてもそう。全く同じものを新興国から先進国へ投入した結果、利用シーンであり誰かのニーズでありと新たな結合が生まれイノベーションになる。
加えて強く感じたのは、それを体現している方の力強さだ。言葉では、理論でどうだという話と、それを実際に形にして、価値として世に届けることは遠く距離が離れている。それを、実際にやりつづけ、イノベーションを実際に生み出している方によって語られる結晶化されたコンセプトは多くの学びを与えてくれた。
濃密な時間だった。
講演会後、クラスメイトと話していると、Ferran氏よりも良いことを言っていたよね!と言う人もいた。ただ、言葉の壁があってうまく理解しきれていないかもしれないとも。
まずは英語とスペイン語、磨いて行きたいなと思った。

TEDxBARCELONAへ行ってきた

マヨルカ・メノルカ島旅行と前後する。先週の金曜日はTEDへ行ってきた。実際に見に行ったのは初めて。これまではTOEFLの勉強のためにPodcastで見ていた。
面白かった。
技術と社会の未来ということで、いろいろな技術でありコンセプトでありの紹介があった。内容のすべてを事前に把握していたわけではなく特定の期待値なしにひたすらインプットする半日だった。とても良かった。
普段既に組まれたカリキュラムの中で、ある程度規定された体系の中で学び続けているのに対して、TEDからの学びは普段とは距離があり、自分にとって規定されたものではなく、多様であったから。
インプットなくしてアウトプットはでき得ない。普段と同じインプットの繰り返しの中から普段と異なるアウトプットがでてくることも稀だろう。自分というプロセスを変えることは勿論できるし、MBAというのはまさにそれを実現する場所なのだと思っているが、インプットを変えることはこうして普段触れない世界に飛び込むだけで瞬時に実現できる。そしてそれは、プロセスを変えていないにしても、これまで使っていなかったプロセスを呼び起こすこともあるかもしれない。
これからも、時折ランダムに、気の向くままにインプットすることは続けて行きたいと思う。

メノルカ島とマヨルカ島に行ってきた

週末に2泊3日でメノルカ島とマヨルカ島へいってきた。バルセロナからメノルカ島へ入り、そこからマヨルカへ移動、バルセロナへ帰ってきた。初日こそ雨だったがその後は天候に恵まれ、とても良い旅になった。勉強等のことはしばし忘れ、一緒に行った仲間とたくさんの話をした。学校のこと、キャリアのこと、人生のこと。真面目な話あり、今年1番の笑いあり。学生らしいなと思った。
天気・気候も手伝ったように思う。曇り・雨の時と晴れの時で雰囲気がガラリとかわる。街に白をはじめ明るい色がが多いからではないかと思う。天気が良くて、程よく暖かくて、街も海も空もキレイで、となると自然と心も晴れやかになる。物事を楽しみやすくなる。
旅を振り返る。
メノルカ島ではMahonの海近くのホテルに宿泊した。Prinsotel La Caleta。白を基調にしたホテルで、新しく感じた。部屋はキレイだし朝食も美味しかった。
自分で何も調べておらず仲間の後をついていくばかりだったので振り返るも地名がわからない。
レンタカーで市街地ヘ向かい、買い物がてら街をぶらぶらし、軽くランチを済ませた。着く頃までは曇っていたが、ランチを済ませる頃には晴れていて、天気の違いのインパクトを知った。
その後はレストランで聞いたおすすめのビーチへ向かう。風があって少し肌寒かったが、海はキレイだった。人は自分たちを含めても10人程度しかおらず、静かな時間を楽しめた。
次に、COVA D’EN XOROIという崖にあるクラブへ。クラブの時間には早いがその景色と夕日を楽しみに。ビーチにもまして風が強く肌寒かった。が、想像以上に崖の中にあり、海と空を見ていて飽きなかった。日本で言う万座毛を数十倍大きくして、その崖の中腹にクラブがあるという感じ。
その後部屋飲みの用意を整えてから、夜ご飯はミシュランの星を獲得しているレストラン、CA N’AGUEDETへ。入った時には自分たちが最初の来客で、結局のところその日の来客はおそらく2組。入店当初は怪しんでいたが料理を口にして安心。美味しかった。レストランのオーナー?はワインもつくっているらしく、彼のHPや昔の写真やらを見せてもらった。これはロブスターの煮込み。シンプルで飽きがこないけどしっかりした味。美味しかった。
スペイン語もっとできるようになりたいなと思った。
ゆっくり食事を楽しんでホテルに戻り部屋のみ。真面目な話もあったはずなのだけど、相当笑った。
翌日はマヨルカ島へ移動。飛行機で3-40分程度。天気は快晴。空港からホテルに向かう間にもテンションがあがる。ホテルはパルマのISLA MALLORCAへ。ここもキレイで良かった。部屋のみの利用だったので食事や他のファシリティはわからない。
一息ついてから外へ。ぶらぶらしながらカテドラルをめざす。途中出店?が並んでいる通りに出くわし、そこでビールを飲みながらピンチョスをつまんでランチ。
カテドラルは思っていたより大きく、空の青とのコントラストも手伝ってとても美しく見えた。日曜休みのため中には入れなかったが外から眺めるだけでも十分。
次はビーチへ。タクシーの運転手さんに場所を聞きながら到着。メノルカのビーチから一変。人、人、人。ビールを飲みながら、アイスを食べながら、ビーチに座ってぼーーっと時間を過ごす。
そこから丘の上の城、Castell de Bellverへ。肌寒かったが景色が良く気持ちが良い。
よるご飯はWebで見つけた良さげなレストラン、LA BODEGUILLAへ。特に評価が高いわけでもなかったのだけどHPがキレイで、店内もキレイそうだったので。結果、とても美味しかった。ワインも料理も。
ホテルまでの帰りは歩き。夜の街の雰囲気を楽しみながらゆっくり。帰って少し色々話して就寝。結局午前3時頃。
月曜は昼の便でバルセロナへ帰り、今回の旅行は終了。帰ってからは泥のように眠った。金曜から睡眠時間が3-5時間程度だったこともあり。ぐっすり寝られて良かった。

弱さとは何か

クラスでの議論を通じて考えたことをここにまとめる。
Self-Managementをテーマにしたクラスだった。プロジェクトの遅延を、技術サポートの観点から解決するためにジョインした主人公が、いざ現地に行ったら何を話しているのか理解できず、周りに相手にされず、あっという間に初日が過ぎてしまって途方に暮れるという話だ。
ケースを読んで、”何が問題か”というのを考える。僕からみて問題は見当たらなかった。強いて言えば一つ。途方に暮れていることだ。それは思考の停止を意味する。問題解決の放棄であり、自身の責任の放棄であるからだ。ただ、これも一時的なものと感じられた。
解決策は自分の経験を事実として整理し、対応策を決めて実行していくことだ。
例えば、そもそもプロジェクトマネジメントに問題がある。大型のプロジェクトで長期に渡ればその組織での文化が醸成される。独特の用語も生み出される。プロジェクトマネジメントの観点からしたらそれらは用語集としてまとめるべきだ。次に、議論がほぼ怒鳴り合いで何を言ってるのかわからない。これは議論ができていないということだ。それは議論の構造化ができていないということだ。メンバーが構造的に物事を考えられていないということだ。これらはコミュニケーションマネジメントの問題だと言える。
なので最初の経験から、本当にスケジュールの遅延は技術だけの問題なのか(そうではない。プロジェクトマネジメントに問題があるのではないか)という仮説を立てて、検証活動に移るもしくは然るべき人間に報告するという行動がとれるはずだ。
そもそも、往々にしてトラブルプロジェクトが純粋に技術的な問題のみから生じていることはまずない。その前に問題がある。そもそも技術的に実現可能か不可能かわからないまま受け入れた要件、時間が限られているからと端折った設計、仕様書がないために属人的になされた開発(コーディング)、結果、テストのシナリオが穴だらけになる。網羅的につくるインプットも時間もないからだ。結果バグを見つけた際に、チェックする対象範囲がわからない、目処がつけられないといったことが生じる。テスト自体も急いでいれば再現性の検証もままならないケースも発生するだろう。そのような中で時間は過ぎてゆく。フラストする。議論はただの怒鳴り合い、責任のなすりつけ合いになる。
そんなところにひょっこり新しいメンバーがやってきても相手にされる方が珍しいだろう。何も言葉を発せられなかろうが、誰からも相手にされなかろうが、意に介する必要はない。その事実から自分がミッションを果たすために何を得られたのか、そしてそれを持って次の行動をどう変えていくのか。そこに集中するのみなのだ。そして当人がある技術領域の専門家であるなら、その領域でパフォーマンスを見せれば物事は動かせる。
そういうものだと流す、もしくは意に介さずに淡々と自身のミッションを遂行するべきなのだ。
それができないのであれば、そこを解消する必要がある。自分が周りと仲良くならないとパフォームできないというのなら、そのための方策を考えてプロジェクトマネージャでありに持ちかけて一緒に動いてもらうべきだろう。
自分の責任を果たすためにできうる全てのことをしなくてはならないのだ。
クラスの議論の中で、問題として上がってきた多くはこの主人公の消極的な態度であり、内気な精神面であり、チームがメンバーを受け容れる姿勢であり、プロジェクトマネージャのスタンスであり、だった。
そもそも違うし、問題をコントロールできない / 影響を及ぼせない範囲に定義する価値はない。
自らは何も言えず動揺し隠れて涙を流している当人の弱さが問題だ?違う。それは問題ではない。それが主人公だ。このミッションを果たすのに急に個性が変えられるのか?解決できない問題定義、時間軸がかみあわない問題定義も無価値だ。
この経験を主人公が自身のミッションを果たすことに活かせなかったとき、それが問題になるのだ。
内気だろうが、怒鳴り合いの議論に圧倒されようが、涙を流そうが、周りに相手にされなかろうが、それら個別の話は関係ない。
そういう人間にこの企業はミッションを託したのだ。こうした個性はこの主人公の周囲の人間、直属の上司は多少なりとも理解があっただろう、一方でそれでも余りある何かを持っているから選ばれているのだ。そして、そういう人間として、この主人公はそのミッションを引き受けたのだ。
だから、主人公はミッションを果たすべきになすべきことは全てなせばいい、なすべきなのだ。問題は、本人がミッションを果たすことから目を背けた時、ゴールに向かう足を止めた時、もしくはそうでなくても結果が伴わない時、そこに存在するのだ。
そして、弱さとは上記を引き起こすものだ。このケースにおいて、まだこの主人公は自身一歩を踏み出していない。
どんな個性を持っていようと、どんな状況に置かれどのような反応を示していようと、まだこの主人公は弱くない。一時的にショックを受けていようとも、それを問題につなげるかそうしないか、その選択をできる立場にある。