積極的受け身の限界

積極的 or 消極的、と、能動的 or 受動的、というのは別の軸で、積極的×受動的というセグメントは、居心地が良くて居座ってしまいがちだけど成長に限界がある、という話。

積極的×受動的

それは、積極的に相手のインプットに依存するということ。

相手に対して、アウトプットの具体的なイメージ、納期、使えるリソース、プロセス、プロセスにおける作成物のイメージ、等々を確認し、それを咀嚼し、例外や論理的なエラーが見つかれば、そこをどうするのかを確認する。

正しいことをしているように見えるし、実際に仕事を受ける上で必要なことも多分に含まれている。

問題は、上記のコミュニケーションにおいて受け身だということだ。こういう場合はどうするのか、ここは抜けていると思うがどうするのか。問こそ発すれ、その中身についてどうすべきと考えるのかを提示する等の能動的なふるまいはない。

自分がアウトプットする上での不確実性を排除できるし、論理的に誤った話はしていないし、結果、アウトプットはインプットを受けたとおりのものが効率的にできる。なので本人には達成感もあるし満たされる。

他方、仕事を依頼する立場からすれば、勿論相手と場合によってはそのやりとりがアウトプットの品質のブレをなくすので助かる側面もあるが、自分がオーダーしたとおりのアウトプットが当たり前にでてきた、という域を超えない。

インプットを詳細にすればするほど、依頼する仕事は頭を使う種類のものから手を使う種類のものへシフトしていくからだ。

自分の仕事の不確実性を排除し、頭ではなく手を動かす仕事に安住することなく、能動的にやるべきことを見つけ、必要なプロセスやリソースを定め、実際にアウトプットしていく、積極的×能動的、のセグメントにうつらなければ、成長の壁、自分の提供価値を高める壁、はすぐに現れる。