日本を離れ、バルセロナでの生活を始めました。

(8/19のフライトの際に書いていたので、少々前の内容になります)
あっという間に日本を離れバルセロナでの生活を始める。荷解きして、申請していたNIEを受けとって、家にネットをひいて、細々した日用品を揃えたらいよいよだ。今週はプライベートの予定を幾つかいれながらスペイン語の勉強、来週からはスペイン語の集中クラスが、9月からいよいよMBAのコアクラスが始まる。
目標も妥協なく決めた。やり方をどれだけ工夫してもできなかったら変えればいい。現実を経験する中で自分が変わればその時もまた変えればいい。理想を描く時点で妥協は不要だし、限られた想像力で描いた目標を違和感を抱きながら追いかけることもまた不要だ。ただ、なあなあにではなく、明確に本当に目標を変えるべきなのかは自分に問いかけて進みたい。
社会人になってから実家にこれだけ長く(2.5週間)いたのは初めてのことだった。家族は勿論、地元の大切な面々とも沢山の時間をつくることができた。東京で仕事をしているときにはなかった気づきも得られた。上記の通り何事にも妥協なく臨むけど、これまで仕事に時間を投入し過ぎていたかな思ったり。効率を十分に上げられていなかった。もっと自分を落ち着けて生活に臨むことが必要だったかなとも思った。東京の自分の生活や部屋の荒れ具合と実家での生活を比較すると。
クラスのほぼ全てがケーススタディで、2年で数百のケースに臨むことになる。ディスカッションは全て英語。加えてスペイン語のクラスもあるし、その他自身の望むチャレンジがある。ストレッチするに適した環境だと思う。
臨むマインドはコンサルティングでクライアントに臨む際と同様だ。
他人に自分に常に真摯に誠実にいたい。正念場は腹を据えてど真ん中にいたい。クラスメイト・チームメイトは常に理想のメンバーであると信じたい。そのチームだからこそのアウトプット・なせる成長にリーチしたい。仲間へ自分ができる貢献は何でも全てしたい。
後は、目標にもつながってくるけど、全力で遊びもしたい。沢山旅をしたい。沢山の仲間をつくりたい。スペイン語も英語のように使えるようになりたい。
ということで、バルセロナ生活、始めます!

何であれひたむき

東京にいた頃の気の置けない友達との会話で妙に頷いた話があった。
留学生活について話をしていた。とりとめなくのんびりと。やりたいこと沢山あるが全てできるかなー(やるのだけど)だったり、スペイン語どこまで身に付けられるかなーだったり。その他諸々。全て自分次第と思いつつ何となく言葉にする。なので相手からも特段返事があるわけでもない。
結構タフな2年になりそうだけどどうなるかなー、と口にすると相手が言った。
”心配しなくても間違いなくタフな2年になるって。だって、対象によらず、やりたいって思ったことはいつだって何でもひたむきにやって自分でタフにしてきたじゃん。”
ああ、確かに。。と頷いた。妙に納得した。
贅沢な時間の使い方をしてきたのだな、とも思った。

初期の目的を達成できれば

実家に戻ってきて一週間。バルセロナへ持っていく荷物/送る荷物/実家に置いておく荷物の準備もほぼ終わる。今は、読み切れていない本を読み、スペイン語の勉強をし、一部クラスの予習をしながら、家族であり地元の友達との時間を過ごしている。

仕事を離れて5週間程度。充電もでき、新たなチャレンジに自分を尽くしたいという飢えも強くなっている。

これまで築いてきた環境を離れる、関係を変えることへの幾つかの感情は、仄かに、でも消えること無く自分の中にある。これまでの自分のパターンから、この感情が大きくなり、整理をつけるのは環境が変わった後だ。新しい環境に身をおいて初めて気づくこともいくらでもある。それらに整理をつけながら新しい環境に自分を馴染ませる。便利なもので全てを解釈し置き場を見つけなくとも、保留するという選択肢もあるし、なにより自分のキャパシティを超えたら無自覚に忘れるという選択肢(ではないか)もある。

新たなチャレンジを前にして、沢山の方々から激励のメッセージをいただいた。本当にありがたく拝読し、解釈をさせていただいた。その中の1つについてここに文字にして残す。尊敬するパートナー、今は事業部のエグゼクティブになられている方からの、短いが濃密なメッセージだ。

何かにチャレンジすることは良いことです。ただし、初期の目的を達成できればの話です。いつでも応援しています。

何よりその人の背中を追いかけていたからこそ、口から発せられる言葉だけでなく実際の行動を目の当たりにし、一部共にしてきたからこそ、このメッセージの重みを感じる。

”何かにチャレンジすることは良いことだ”

その通りだと思う。自分の考えるチャレンジとは、”その時の自分でできるかどうかわからないことをやってみる”ということだ。水が流れるのを止めた途端に淀み始めるように、人もチャレンジを止めた途端にその人生は淀み始めると考えている。チャレンジが大きい必要はない、社会的に目立つ必要もない、他人に讃えられる必要もない。ただ、自分が既に”できた”ことの範囲に定住しないというだけだ。

人がチャレンジする姿をみても良いことだと感じられる。赤ちゃんがハイハイするのも、立つのも、歩くのも、子供になりはじめておつかいに行くのも、全てチャレンジだ。立ち上がろうとして何度も失敗する姿、そしてようやく立ち上がれた姿、それらは人がチャレンジし、失敗を重ねてもくじけず立ち向かい、達成する一連の姿と同じだと思う。

オトナになり、できることが増え、その組み合わせで生きられる安心を知り、できないことを見つける・挑み続けられることは減るかもしれない。それだからこそ一層、チャレンジを見つけ、それをし続ける姿は良いものに感じる、眩しく感じる。そんな事しなくても生きていけるのに、と流れることをやめ、淀み、安住(ともいえないかな)している姿とは比べるよしもない。

”ただし(チャレンジを良いことと言えるのは)初期の目的を達成できればの話だ”

チャレンジは良いことだ、でもチャレンジすること自体は目的には成り得ない。という事だと受け止めている。幾つものチャレンジをし続けることを否定するものではない。ただ、チャレンジをたくさんしたい!だからチャレンジする!という話ではないだろう、その先に目指す何かがあるからこそのチャレンジ達なんだろうという話だ。そしてそれはチャレンジを始めた時点で、内容も粒度も違うかもしれないけど、自分の中に目的として持っていたものなのだろう、それを忘れるな、必達だと。

この言葉が自分に響くのは自分とそのパートナーの特徴のコントラストが強いからだ。

自分は、良く言えばプロセスを楽しむのが得意で柔軟。悪く言えば初期の目的を忘れやすい。

パートナーは、目的達成に必要な戦略と行動を描き最短距離を走る。行動のフィードバックから次の行動・必要に応じて戦略を変える。どのような形であれ目的は達成する / 次につなげる。

タイプの違う人からの言葉というのはとてもありがたいものだ。そして僕は、このパートナーが実際に初期の目的を、不測の事態に陥ろうが何だろうが、達成させようとする姿、する姿を見ている。そうした、行動に裏付けられたメッセージというのは重い。そしてこうした行動を共にした方からのメッセージは、自分に、単に言葉としての意味ならず、その背景にある行動様式も想起させてくれる。

今回の自分のチャレンジにも勿論目的がある。本格的にチャレンジを始めるまえにupdateして、達成したい。

”いつでも応援している”

素直に嬉しい :D こういった言葉は大事だ。実際に1日24時間応援してくれているのか?という話ではなくて、そういう”気持ち”であり、固く言えば”覚悟”でメッセージを送っているということが大事なのだ。

チャレンジをし続ける上で無くしてはならないもの、それはチャレンジしようと思い続ける意志だ。

既に書いたようにチャレンジ自体が目的ではない。その先を見据える”志”がある。それはチャレンジしようと思い続けることを支える強い味方だ。しかし人はそんなに強くない。少なくとも今の僕は強くない。チャレンジがうまく行かなかったら、(目的達成の手段なのだから変えればいいだけのはずなのに)気落ちしてしまうこともあるだろうし、自分の志さえ強く持てなくなってしまうこともあると思う。一度の失敗ならまだしも何度も失敗を重ねたら。

少しでも”いけそう!”という感覚をつかめたら、他のすべての部分で失敗してもまた立ち上がって前に進められる。いけそう!という感覚が自分の意志を強くするからだ。

そうでないとき、他者からの支えというのは、自分の意志を強める素晴らしいエネルギーになる。人間弱っているときというのは、少しの支えであってもそこから大きなエネルギーを得られるよう、感度が高まっている(だから普段なら ? と思うことにも騙されたりもするのだが)。だからほんの一言であっても素晴らしい支えになるのだ。

なので、メールの最後にひと言添えられた”いつでも応援している”という言葉であったり、”自分のできることは全てする。何かあったらいつでも言ってくれ”というような言葉は、その厳密な実現可能性とは関係なく、本当に嬉しいものであり素晴らしいものなのだ。

短いひと言からも、自分の価値観を改めて認識し、足りない部分を知り、自分のチャレンジへのエネルギーをもらえる。こうしたつながりというのはかけがえの無いものであるし、大切にしていきたいと強く思う。

西の魔女が死んだ


西の魔女が死んだ
梨木 香歩(著)
アポイントの間に時間があったので手にした一冊。
魔女になるための訓練を通じて語られる言葉は力があり改めて自身を振り返る。魔女の生活、家や庭の様子の描写は美しく鮮明に自分の内側にイメージが湧く。その言葉を、ときににわかには受け容れられずとも、咀嚼し成長する主人公の姿、死に対する考え方の変化とその理解を助ける経験を辿る過程で胸を打たれる。
魔女の主人公に対する接し方、会話の運び方から学べることも多い。
ストーリーはこの場でなぞらないが、幾つか考えさせられる言葉が目にとまったので一部抜粋する。

P.70
悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。その力が強くなれば、悪魔もそう簡単にはとりつきませんよ。まいは、そんな簡単なことっていいますけれど、そういう簡単なことが、まいにとってはいちばん難しいことではないかしら

P.138
魔女は自分の直感を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直感は直感として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう。そして、そういう経験を幾度となくするうちに、本当の直感を受けたときの感じを体得するでしょう

日本の未来について話そう


日本の未来について話そう
昨年の震災後手にしていた一冊。65名の方々がそれぞれ日本再生への提言を寄せられている。濃密。65の方々のバックグラウンドもビジネス、政治、アカデミア、文学、スポーツ等多岐にわたっており一冊を通じていくつもの日本の見方、解釈の仕方を学ぶことができる。
今の自分ではまだ理解の至らない部分もあるが、そういったインプットに触れることで、自分に新たなレセプターを備えることができると解釈している。内容が多岐に渡りこれまでの自分になかった視座に触れれば触れるほど、その後の自分の学びの器は大きくなる。ありがたい経験だと思う。
一方で自分の場合は、まずは言葉が自分の経験と矛盾せず、自分の主張が自分の行動・その結果に裏付けられているように生きることに集中しようと考える次第。自分の行動と矛盾する言葉は最終的には他者との信頼関係を損なうものであると考えるし、自分が影響を及ぼせない / 及ぼされない対象に関する言論に身を投じる前に自分ができること / 影響を及ぼせる範囲のことに集中したいと思うので。
日々精進。
印象に残った言葉を一部抜粋する。あまりにも多かったので、特に興味を惹いた2人の経営者からの提言のごく一部に絞って。

P.68
「日本の価値」とは、次の3つである。
 第1に、サービスの質。日本企業による消費者への対応は節度と謙虚さを旨としており、これほど信頼がおけて期待に違わないサービスは、他のどの国にもまずない。第2に、シンプルさを大事にする点。複雑な社会は混乱を招きがちだ。だが、日本では、シンプルさを大事にするがゆえに、それほど大きな混乱は起きない。日本人は自分のやるべきことをはっきり認識しているからである。第3は、プロセスを尊ぶ国民性である。日本人は、継続的な改善の達人だ。物事を実行していくのに、日本人ほど長けた国民はいない。
 集中、統制、たゆまぬ努力、そして質を体現し、加えて序列を重んじる。こうした価値は、日本企業がどこで事業を展開しようと通用すると私は考える。また、日本にはこうした価値を新しい現実に適合させていく態勢も整っている。
P.69
 日本人は変化に抗うため、日本企業の変革は不可能と見る向きも多いが、それは間違っている。日本でも幾つか条件さえ揃えば、どんな変革でもできる。日本では、変革をシンプルにし、しっかりと説明を行い、人々の気持ちを変革に向けさせる必要があるのだ。それができれば日本では何でもできる。私の経験では、日本ほど変革をやりやすい国はない。日本人は変革の内容と理由を理解するのには時間をかけるが、一度理解すれば実行は早い。
P.72
 日本が現状に固執しているのは、日本人が変わりたくないからではない。ときにリーダー層が、はっきりとした方向感を持っていないからだ。道に迷ったリーダーに誰がついていくだろうか。私が日本企業のリーダーに一つアドバイスするとすれば、それは時間をかけてビジョンを作り、それをシンプルにして説明し、人々にとって意味のあるものにすることである。リーダーにこれが出来れば、日本人は必ず変革を実現させるはずだ。
– Carlos Ghosn, ルノー取締役会長兼最高経営責任者(CEO)、日産自動車社長兼CEO

P.76
 日本のいちばんの問題は、保守的で臆病なところ、安定や安心や安全を求める傾向が強過ぎるところだ。
(中略)
 そもそも発展途上国を見下す姿勢がある。たとえ発展途上国の企業でも、自分たちより優秀ならば、相手から積極的に学ぼうとする姿勢を持つべきなのに、過去の成功が足かせになって、素直に学ぶことができない。
(中略)
 独自性が欠けている点も問題だ。全員が同じであるべきだと考える人があまりにも多い。
(中略)
 日本の企業はまるでバックミラーを見ながら運転しているような印象を受ける。内向きの傾向を強めているのだ。
(中略)
 今日の日本は、経済大国として臨んだ戦いに完全に敗北してしまったのである。それなのになぜ、いつまでも気づかないのだろう。なぜ失敗から学ばないのだろうか。
P.78
 失敗は決して心地よいものではない。しかし正しい視点を持っていれば、失敗は成功への糧になり得る。
(中略)
 日本人が排除しなければならないのは、日本ではこうあるべき、外国ではこうあるべきという思い込みである。日本人はホームでは大変な力を発揮するのに、ホームを離れると驚くほど弱い。
P.79
 私から日本の若者へのアドバイスはいたってシンプルだ。日本から出ていきなさい。
– 柳井正, ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長