”交渉における”自分のスタイルを知る。ヒト(チーム)重視かタスク重視か×相手をたぐり寄せるか相手に歩み寄るか

交渉のクラスは今週で修了。あっという間だった。別途教授より自分の交渉スタイルに対するフィードバックがもらえるということで今からそれを楽しみにしている。

ということで交渉のスタイル。

ここの所交渉に関するエントリーがいくつか続いていて、そいういうエントリーをしてきた僕も、4つのスタイルの中の自分が当てはまる1つないしは2つの方向性を強化しているに過ぎない。交渉のスタイルを理解し自身の傾向を理解することで、自分が相手にどういう影響をあたえる傾向があるのか、どういう場面でどうする(してしまう)傾向があるのか、相手はどういうスタイルなのか、であればどう臨むことが交渉をより良いものにできるのか、を把握し、考え、効果的な行動に移せる。 また、診断した際に、Pressureにさらされている場合とそうでない場合でどの特徴が強くでるのかを理解できたことも良かった。

[交渉関連エントリー]
交渉術を学ぶ -良いプラクティスと自分の実際を見比べる
交渉術だなんだ言う前に忘れてはならない3つのこと
チーム交渉でどんずべって反省した5つのこと

4つのスタイルはタイトルどおり2軸のマトリクスで表現される。スタイルをごく簡単に紹介する。

ヒト(チーム)重視かタスク重視か
相手をたぐり寄せるか相手に歩み寄るか

1. ヒト(チーム)重視で相手に歩み寄るスタイルは交渉時も穏やかさと調和を確保しようとする。なすべきタスクには無頓着で人間関係を重んじる。交渉にも面白さを加えようとするし愛嬌もある。相手を喜ばせようとする。そして柔軟だ。

2. タスク重視で相手に歩み寄るスタイルは失敗や無駄を避ける。なすべきタスクに集中する。一貫性と安定を確保しようとする。予測可能なものを好む。論理的で系統だっている。

3. タスク重視で相手をたぐり寄せるスタイルは有能であろうとし結果を出すことにこだわる。なすべきタスクに集中する。物事を前に進めること、具体的なアクションにおとすことにこだわる。難しいチャレンジを好む。リスクをとる意思がある。

4. ヒト(チーム)重視で相手をたぐり寄せるスタイルは協業できることを探す。人間関係を重視する。全員をより良い方向へ向かわせようとする。理想主義的で道義を重んじる。

なので例えば交渉のテーブルにおいて突然いいアイデアが思いついたとしたときに、

相手が1であれば前向きに明るくこんなにいいアイデアがあるよ!と言うと受け容れられやすい

相手が2であれば突拍子もないアイデアは突然テーブルに載せず、落ち着いて、話の流れのつながり、そのアイデアを支えるロジックを明確にして説明する

相手が3であればアイデアを話す際に相手のプライドを思いやった伝え方をし、もしそれをやるならどういうアクションが必要なのかまで言及する

相手が4であればそのアイデアによって関係する皆がいかにメリットを享受できるかを強調する。

と言った具合で伝え方を工夫すると交渉がスムーズに進められる、のかもしれない。

自身の診断結果はとても頷けるものだった。まあ自分ならそうなるわなと。プレッシャーがあるときもないときも。

 

最後にこのスタイルの分類の話で気をつけたいことを3つ書いておきたい。

まず、これは”交渉”時のスタイルであるということ。これによって交渉時以外の相手にレッテルを貼るのはおそらく良くない。

次に、スタイルは交渉の局面によってダイナミックに変化するということ。それをセンスすることが大切であること。ああ、このヒトはこういうスタイルだなと一度分類して終わるものではない。

そして、あくまで優先するべきは相手から得られる情報であるということ。4つの型にはめることが目的ではない。一人ひとりが個性を持っている人間が交渉のテーブルについた途端4つに分類できる、もしくはその単純な組み合わせで表現される、ということはないと思っていい。あくまで自分と相手の理解を助け、交渉をよりよいものにするツールのひとつにすぎない。

 

交渉の場だ、言葉の選び方、感情表現、身振り手振りの一挙手一投足に戦略があってのことだと思っていていい。型を演じている人だっているだろう、意識的にしても無意識的にしても。その表面的なものひとつひとつに関して敏感にどの型なのか、どういう人なのかと考える必要はない。

大切なことは交渉の前に相手のことをどれだけわかっているかだ。

人はいつでもその人の性格とその人にはたらく力学(インセンティブ)に従う。だからそのふたつを事前にどれだけ把握できるか、交渉の成否はまずはそこにかかっていると考えていい。

その2つを理解し、相手のニーズや関心、代替案とその幅を事前に想定し交渉に臨み、交渉の進め方や相手との接し方をスムーズにするために、上記のスタイルを参考にする、ということではないだろうかと思っている。

チーム交渉でどんずべって反省した5つのこと

交渉のクラスはもう後半に移り、チームでの交渉をケースを用いて何度かやっている。初めてのチームでの交渉は散々だった。

ランダムでチームが発表され、準備に15分程度、実際の交渉に50分程度を使う。僕は交換留学でIESEに来ている2人とのチームだった。

自分たちにとって理想の条件は何か。譲歩できるのはどこまでか。譲歩する場合それと引き換えに相手から引き出すべきものは何か。相手に譲歩を迫るのはどこか、そのロジックは何か。最初のオファーは何にするか。と言ったあたりを話して交渉のテーブルについた。

結果は合意に至らず。また交渉の質も非常に低いものにとどまった。

テーブルに着いて早々に始まったのが互いの立場の主張のしあい。自分たちは優位であなた方は劣位での交渉なんですよという主張のしあい。

その後互いのオファーを確認しようとするも、1つ条件を話す度にそれは受け入れられる/られないというリアクションが即座に入り、それはなぜだ?どうだこうだというなし崩し的な議論に入りオファーはうやむやに。

結局互いのオファーの全容がテーブルの上に載ったのが交渉開始30分後であった。なぜか仲間のひとりがオファーの一部を現実的でない程強気な数字を主張し議論は紛糾。なんでその値なんだ?と突っ込まれると満足にこたえられず、それでも曲げずただこれが自分たちのオファーなんだと突っぱねるにとどまる。

相手は半ば呆れ、互いに合意点を見いだせず、散らかった状態でタイムオーバー。驚いた。

自分の反省は仲間を否定してでも遮ってでも交渉を進めるよう強引に話をしなくてはならないという点。限られた時間で交渉条件(ケース)を読み込んで準備するので自分の詳細の理解に不安があり結果堂々と主張できないことがあるが、そこは開き直って言うべきだなと。

それに加えて反省したのが次の5つの点だった。自分もできていないものもある。意識的に練習を続けたい。

  1. 人の話を聴いて、聴いて、そして聴け
  2. 会話の構造を崩すな
  3. 沈黙を怖れるな
  4. 自分の感情と非言語コミュニケーションを制御しろ
  5. 常に論理的、合理的であれ

1. 人の話を聴いて、聴いて、そして聴け

上記の通り、この交渉においては両チームとも相手の話を聴き切れなかった。口を開く時間のシェアが交渉の優劣を決めると言わんばかりにお互いに主張し続け、両者の最初のオファーを言い終わるのに30分を要した。この時間の使い方ではまとまるものもまとまらない。

交渉中に際して、できるだけたくさん量を話そうという心構えは要らない。一方できるだけたくさん量を聴こうという心構えは大切だ。そうして得られた情報が交渉を前に進める材料になるのだから。

交渉の時間は有限だ。だからこちらが話す時間が短くなるほど相手が話す時間、こちらが聴く時間が長くなる。逆に、自分たちが長く話し続けることは相手の話に聞く耳を持っていないというシグナルになる。その結果、相手も負けじと長く話そうとする。往々にしてそういう場合は無意味な主張の応酬になりがちで、価値ある情報は表に出てこない。そうして交渉の場は混沌を極める。

聴け。目的に照らして意味を持たない言葉は口に出すな。そんな暇があったら相手の話を聴け。

2. 会話の構造を崩すな

この交渉においては、互いが互いの質問に答えずに自身の主張を繰り返すシーンが散見された。積み上がることのないただの言葉の投げ合いで時間を浪費した。交渉がまとまる理由が見当たらない。

もし質問を投げかけられたら直接答えるべきだ。嘘をついたり、質問に関係ないことを話して質問をうやむやにしたりすべきではない。そしてもし質問を投げかけたのならば、相手が答えるまで動じずに質問を繰り返すべきだ。もしそれらの質問が、その交渉をより良くするものであるならば。

もし投げかけられた質問がその類のものだと感じられない場合は、そう思うこととその理由を明確に伝え、質問の意図を問いただせば良い。その答えに納得がいかなければ、率直にそう伝え議論を前に進めれば良い。

質問を宙ぶらりんにするな、両者の口から発せられた言葉をほったらかしにするな、全てを交渉の目的に照らして整理・解釈し、不要なものはテーブルから降ろせ。会話の構造を崩すな。

3. 沈黙を恐れるな

この交渉においては両者の言葉がかぶさる事こそあれ、沈黙はなかった。チームでの交渉であるので誰かが話しているうちに他者が考えるという役割分担は勿論ある。しかし双方ともそれが機能しているようには見えなかった。むしろ沈黙が生まれようとするとその部屋にいる人間の間に、誰かが話さなくては、という空気が生まれていたように感じている。

複雑な交渉であれば、多少の沈黙はあってしかるべきだ。そして沈黙は、交渉に直接関係のない、意味をもたらさない、交渉の構造を崩すような言葉を発するよりずっと価値のあることだ。

必要があれば堂々と沈黙するべきだ。そして相手の沈黙も許容するべきだ。もしそれが長すぎたり、相手が何か迷っているように感じられたならばその時はそれを解消し話を前に進められる助け舟になるような質問であり確認でありの言葉を投げかけるべきだ。

そして、もし相手がこの考え方に則って動くく場合、こちらからの助け舟になるような質問や情報を待つために沈黙することがある、ということを考慮に入れておくべきだ。相手の沈黙の意味や目的に思考を巡らせるべきだ。

何はともあれ、必要な場合は堂々と沈黙するべきだ(チームであれば休憩をとって話し合うというのも1つの方法だ)

4. 自分の感情と非言語コミュニケーションを制御しろ

この交渉においては、どちらが先かは忘れたが、どちらかが優位に立とうと事実を自分たちに優位なように解釈し相手を下げる発言をした結果、それに反射的に他方が応じ、同じ手法を用いて相手を下げようとするという動きとなった。このやりとりは不毛だ。

最悪なのは心の平静を保てず、自身の感情のコントロールもできずむしろ感情にコントロールされることだ。それであれば自身の感情を殺すか、生じる感情と自分のとる行動を切り離した方がまだ良い(簡単ではないのだが)。良いのは、交渉の状況に応じて自分の感情をコントロールし、活用できることだ。そしてその時には非言語コミュニケーションが力を発揮する。

自分がどの段階にいるのかを測るのは簡単だ。例えば交渉やコミュニケーションにおいて、自分が怒っていると感じた時に、”自分はなぜ今怒っているのか?”と問いかけてみれば良い。

もしその答えが交渉やそのコミュニケーションの目的達成に明確に関連付けられていたら問題ない。感情を活用できている。(何のために怒ったほうがいいかを考えてその通り動けていれば、それは感情をコントロールできているということだ)

もしその答えが、相手が自分を怒らせるようなことをしたから、という類のものであったら感情の活用もコントロールもできていない。

もし答えに窮する、もしくは問いかけることもできない(怒っていることの客観視もできない)のであれば、自身の感情の認識さえできていない。

人間は少なからず感情に左右される。その感情を活用しない手はない。

5. 常に論理的、合理的であれ

この交渉においては、冒頭に書いたように、説明責任を果たせない非現実的な要求をしたことで信頼関係を崩し、交渉の成立を阻害した。自分が出す要求には常に十分な論理、合理性を備えていなくてはならない。それができなければただの”だだ”だ。

もし感情をコントロールし活用できたとしても、その感情を活用して相手にメッセージしている内容が論理的でも合理的でもなければほぼ無価値だ。感情的なふるまいに影響を受けなびく人もいるとは思うが、ビジネスの交渉の場では極めて限られるだろう。そうできない力学が働いているから。

感情はメッセージを届けるチャネルのひとつの属性に過ぎない。感情自体があなたの論理であり合理性でありを補足することは決してない(上記の通り相手に見えなくさせる、無視をさせることはあるのかもしれないが)。

これは同時に、交渉相手がどれだけ感情的になっても、感情を上手く活用したコミュニケーションをとっていても、あなたはその感情が付属している論理そのもの、合理性そのものに対する焦点をぼかすべきではないということを意味している。従って、例えば、論理性、合理性を十分に備えた内容を、相手への共感を添えて返すべきだ。もし相手が論理、合理を欠いているのであれば、感情を汲みとりながらその旨を明確に伝えるべきだ。

 

実践とその振り返りを毎回できとてもためになるクラスだ。研鑽を続けたい。

アントニ・ガウディの最高傑作と名高いコロニア・グエル(Colónia Güell)は、凛として、それでいて優しかった

この金曜日は晴天に恵まれかつとても暖かくおでかけ日和であった。なのでバルセロナにありながらなかなか足を伸ばす機会のなかったコロニア・グエル(Colónia Güell)へ行ってきた。

コロニア・グエルはサグラダ・ファミリア、グエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・バトリョ等のアントニ・ガウディの代表作と並び世界遺産に登録されている。しかしそれは他のガウディ建築とは異なり、バルセロナの中心部から1時間弱程度れた人気(ひとけ)の少ない場所にひっそりと存在する。

家の近くからバスでエスパーニャ広場へ向い(20分程度)、そこから電車に乗り換えて最寄り駅となるコロニア・グエルへ(20分程度)、そこから歩くこと10分程度でたどり着く。

_aDSC6143コロニア・グエル駅は建物は新しく綺麗だが無人。駅を出るとバルセロナ市街の喧騒はもはやなく、小鳥のさえずりとたまに通る車の音だけ。一面に空と緑が広がる。市街は遠くに見える。

_aDSC6147_aDSC6153少し坂をのぼって進むと公園のように整備された緑、そしてその中には桜らしきものも。8分咲き位。

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教会に近づくにつれて松が増える。それにしても、おそらく平日の昼下がりということとも手伝って、人がおらず目には青空と溢れる緑と白い建物、耳には風に揺れる木々の音と小鳥のさえずり、という環境にとても癒やされた。

やはり田舎が好きだ。

教会に辿り着くも、別の場所で先にチケットを買う必要があるとのこと。案内に従ってチケット売り場へ。小さな博物館が併設されており、見学してきた。その建物の中に居たのはおそらくそのスタッフの方と僕だけだった。写真は全てOKとのことだった。

_aDSC6166 _aDSC6174もともとこの辺りは繊維系の工業地帯であったということで、どのようにして綿花から布ができるのかという工程の説明であったり(日本でもどこかで似たものを見た記憶がある。地元の民俗資料館だったろうか。時代は異なるのだが)がなされていた。

そしてきた道を戻り、コロニア・グエル教会堂へ。入り口にひとりいたスタッフのかたはとても気さくで良くしてくださった。写真はフラッシュもOKよ、とのことだった。立入禁止のゾーンにさえ入らなければと。

_aDSC6156_aDSC6193 _aDSC6218_aDSC6210_aDSC6238 _aDSC6262 _aDSC6267 _aDSC6284

他に人がおらず、ひとりでその世界に入ることができた。空気は外より少し冷たく、西側から差し込む暖かい光に照らされ、沈黙の中に自分の足跡とシャッター音のみが広がった。

サグラダ・ファミリア、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園でみたどの建築物とも異なる雰囲気であった。

どれよりも優しかった。

観光用の顔をしていないというのだろうか。綺麗に手入れは施されているが決して着飾っているようには感じられなかった。それが自分にとってこの地下聖堂を自然に、身近に感じさせてくれて、それが優しいと感じられたのだと思う。加えて、こじんまりとした空間、有機質に感じられる壁・天井、学校を思わせる椅子、穏やかに差し込む陽の光、暖かく光るステンドグラス。この辺りが僕に親しみを抱かせ、優しいと感じさせたのだろうと解釈している。

昨年の1月にジローナのカテドラルへ入った時も他に人はおらず、静寂の音が聞こえる程に静かであった。その時にはその荘厳さに何故か涙が滲んだことを覚えている。その時との感覚の違い – その荘厳さに圧倒され涙するのか、そうではなく包み込まれるような優しさを感じるのか – は上記の違いによるのかなとふと思った。勿論外的・物理的な違いにとどまらず、自分の内面であり、なにかそういった考えを超えるものも作用しているのかもしれないのだが。

気が済むまでその雰囲気の中に身を置き、写真を撮っていた。ちょうどそろそろかなと思った頃にちょうど数人他の方々が来られた。

そのタイミングで地下聖堂を後にした。

帰り道、家の近くを歩いていると、ディアゴナル通り(バルセロナを東西にはしる大きい道路)の遠くが鮮やかな金色になっていた。

_aDSC6302とても綺麗な夕暮れになると思い、家路を急いだ。自分の家か屋上からならもっと綺麗に見られると思ったので。

_aDSC6309結果、夕暮れのタイミングに間に合わず、かつ角度的に夕日が山際に沈むの様は見られないことに気づかされた。

ディアゴナル通りが綺麗だったので、写真に収めて帰った。

交渉術だなんだ言う前に忘れてはならない3つのこと

先日書いたように交渉のクラスが面白い。

ただそれを学ぶ過程で気づくことがあったのでここに記しておきたい。交渉術だなんだを学ぶ以前に、何事に臨むにおいても忘れてはならないものだ。

1. 一切の妥協を挟まない理想のケース

最も大切にして忘れられがちなのがこれだ。交渉に臨む前に、最初のオファーを提示する前に、何が自分にとって最高の、理想のケースなのかを明確にせねばならない。そしてその実現のために交渉に臨まねばならない。手を尽くさねばならない。

交渉する前から妥協したケース(相手の都合にも鑑みた落とし所)を何となく考え、そこを目指すことには一切のメリットはない。誰も幸せにならないからだ。

相手を理解する程、自分を理解する程、交渉の難しさに気づくかもしれない。しかしその全ては交渉に臨む前に、相手に直接事実を聞く前に勝手なこちらの想像で妥協するためのものではない。自分の理想を叶えるためのものだ。

これは交渉に限った話ではない。最初から妥協した理想など目指す価値がない。達成しても満たされないからだ。一切妥協を挟まない理想を目指すからこそ、妥協なく手段にこだわり、そうして手を尽くした結果だからこそ、万が一理想に届かなかったとしても受け容れられるのだ。

結果的に俗に言う落とし所に話が収束することはあるだろう。しかしはいじめから互いに同程度に妥協しあい、お互い様ですね、と握手をするなどというのは間違ってもwin-winではない。交渉でさえない。

2. 受け容れられる最悪のケース

妥協せず理想を掲げ最善を尽くしても望む結果を得られる確証はない。それも現実だ。その時にどこまでの結果であれば自分は受け容れられる最悪のケースを明確にしておかねばならない。

交渉が決裂しても何ら不利益を被らないのであれば妥協せず交渉に望めばいい、理想に重なるために力を尽くせばいい。しかし交渉の多くはそうは行かない。

何がどれだけの条件で揃うならば受け容れられるのかを明確にし交渉に臨まねばならない。交渉は非常にダイナミックなものであるし、全てが一度に決まることはない、パーツパーツがバラバラに決まっていくことが常だし、その組み合わせ方も交渉の過程で変わることが多い。

交渉を降りられない時に、気がつかない間に最悪のケースを下回った内容の議論をしている、という事態は避けねばならない。

3. 1と2の合理的な理由

合理的な理由に支えられていないオファーはただの”駄々”だ。駄々をこねてそれが受け容れられる場面がいかに限られるかは想像に易い。

この理由をいかに組み立てるか、そのためにいかにどのような情報を手に入れるべきか、そのためにいつ誰にどう働きかけるべきか。そういった話は交渉術の範疇になるだろうし、セオリーでは語り尽くせないものになるだろう。

そこに踏み入る前に、理想にしても最悪のオファーにしても、少なくとも胸を張って説明できるだけの理由はなくてはならない。例えば金額であれば、○○○だからだいたいこれ位の数字になると思います、では足りない。○○○だからこの数字なのだ、と言えなくてはならない。

それがなければ建設的な歩み寄りさえできない。

ただの押し合いへし合いの言い合いによって、もしくはそれを避けるための上辺をとり繕った合意形成のために、妥協を続けることになるだろう。

 

”交渉術”に関する書籍でありの情報は気軽にアクセスできる距離に溢れている。しかし、その術を学んだとしても、一切の妥協なく自身の理想を描き、交渉のゴールがそれである理由を交渉の場で説明できなければ、テーブルにつく前から(双方にとって)理想の解に辿りつけない可能性は高まっている。

また交渉の流れとは別にして、冷静に受け容れられる最悪のケースとその理由は常に持っていなくてはならない。でなければ自分が土俵際に立っていることにさえ気づかず、気づく頃にはその外へ出ていることになるだろう。

 

安易にwin-winだとか、Collaborativeな交渉だとか考える前に、Yesと言わせるためにとかNoと言わせないためにとか考える前に、おさえておかなければならないことがある。

自分の本当の理想から出発するということを忘れてはならない。

スペインの冬の風物詩、カルソッツ(Calçots)を食べてきた。白ネギを甘く柔らかくしたようで美味しかった

今日は同級生の有志で集まりカルソッツ(Calçots)を食べてきた。カルソッツは白ネギを柔らかく甘く短くしたようなものでスペインの冬の旬の野菜だ。炭火で焼き、焦げた表面を剥がし、とろとろになった中身を特製のソースをたっぷりつけて食べる。その様子はカニを食べるのに近い。

昨年のこのシーズンはカルソッツを食べる余裕はつくれずにいたので初になる。とても美味しかった。

_aDSC6120各自ビニルエプロンをまとい、片手にはビニル手袋を装着し、ネギをとり、表面を剥がし、ソースにつけて食べる。カニほど無言にならない間でもその過程は近い。山のように積まれて出てきた炭火焼きのカルソッツは瞬く間に減っていく。相当の量があったものの。

その後はパエリアしかりメインディッシュのお肉しかり、幾つかのオススメの料理をいただく。

パン・コン・トマテ(硬めのパンにトマトとニンニクをすり込み塩とオリーブオイルで味付けするもの)は自分たちでつくるように食材が用意されていた。

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_aDSC6136久しぶりに集った仲間ということもあったし、そこには新たに生を受けた仲間も加わり、笑顔あふれるとても良い会だったと思う。昼過ぎから夕方までカルソッツに加えて美味しい料理とお酒を楽しみ、その後は数人のメンバーで家のみ&バーのみ。

_aDSC6140仲間の家で美味しいポルトワインをいただき、その後バーへくりだしゆっくり飲む。

あっという間にここまできたMBA生活を振り返りながら、残り少ない卒業までの期間を濃いものにしたいと思うし、そのためにも4月のJapan Trekを良いものにしたいと思う次第。