交渉術だなんだ言う前に忘れてはならない3つのこと

先日書いたように交渉のクラスが面白い。

ただそれを学ぶ過程で気づくことがあったのでここに記しておきたい。交渉術だなんだを学ぶ以前に、何事に臨むにおいても忘れてはならないものだ。

1. 一切の妥協を挟まない理想のケース

最も大切にして忘れられがちなのがこれだ。交渉に臨む前に、最初のオファーを提示する前に、何が自分にとって最高の、理想のケースなのかを明確にせねばならない。そしてその実現のために交渉に臨まねばならない。手を尽くさねばならない。

交渉する前から妥協したケース(相手の都合にも鑑みた落とし所)を何となく考え、そこを目指すことには一切のメリットはない。誰も幸せにならないからだ。

相手を理解する程、自分を理解する程、交渉の難しさに気づくかもしれない。しかしその全ては交渉に臨む前に、相手に直接事実を聞く前に勝手なこちらの想像で妥協するためのものではない。自分の理想を叶えるためのものだ。

これは交渉に限った話ではない。最初から妥協した理想など目指す価値がない。達成しても満たされないからだ。一切妥協を挟まない理想を目指すからこそ、妥協なく手段にこだわり、そうして手を尽くした結果だからこそ、万が一理想に届かなかったとしても受け容れられるのだ。

結果的に俗に言う落とし所に話が収束することはあるだろう。しかしはいじめから互いに同程度に妥協しあい、お互い様ですね、と握手をするなどというのは間違ってもwin-winではない。交渉でさえない。

2. 受け容れられる最悪のケース

妥協せず理想を掲げ最善を尽くしても望む結果を得られる確証はない。それも現実だ。その時にどこまでの結果であれば自分は受け容れられる最悪のケースを明確にしておかねばならない。

交渉が決裂しても何ら不利益を被らないのであれば妥協せず交渉に望めばいい、理想に重なるために力を尽くせばいい。しかし交渉の多くはそうは行かない。

何がどれだけの条件で揃うならば受け容れられるのかを明確にし交渉に臨まねばならない。交渉は非常にダイナミックなものであるし、全てが一度に決まることはない、パーツパーツがバラバラに決まっていくことが常だし、その組み合わせ方も交渉の過程で変わることが多い。

交渉を降りられない時に、気がつかない間に最悪のケースを下回った内容の議論をしている、という事態は避けねばならない。

3. 1と2の合理的な理由

合理的な理由に支えられていないオファーはただの”駄々”だ。駄々をこねてそれが受け容れられる場面がいかに限られるかは想像に易い。

この理由をいかに組み立てるか、そのためにいかにどのような情報を手に入れるべきか、そのためにいつ誰にどう働きかけるべきか。そういった話は交渉術の範疇になるだろうし、セオリーでは語り尽くせないものになるだろう。

そこに踏み入る前に、理想にしても最悪のオファーにしても、少なくとも胸を張って説明できるだけの理由はなくてはならない。例えば金額であれば、○○○だからだいたいこれ位の数字になると思います、では足りない。○○○だからこの数字なのだ、と言えなくてはならない。

それがなければ建設的な歩み寄りさえできない。

ただの押し合いへし合いの言い合いによって、もしくはそれを避けるための上辺をとり繕った合意形成のために、妥協を続けることになるだろう。

 

”交渉術”に関する書籍でありの情報は気軽にアクセスできる距離に溢れている。しかし、その術を学んだとしても、一切の妥協なく自身の理想を描き、交渉のゴールがそれである理由を交渉の場で説明できなければ、テーブルにつく前から(双方にとって)理想の解に辿りつけない可能性は高まっている。

また交渉の流れとは別にして、冷静に受け容れられる最悪のケースとその理由は常に持っていなくてはならない。でなければ自分が土俵際に立っていることにさえ気づかず、気づく頃にはその外へ出ていることになるだろう。

 

安易にwin-winだとか、Collaborativeな交渉だとか考える前に、Yesと言わせるためにとかNoと言わせないためにとか考える前に、おさえておかなければならないことがある。

自分の本当の理想から出発するということを忘れてはならない。