臨場感のあるゴールと余白のあるアプローチを

そう。たまにあるブログを書くのが難しい時期。それは仕事にどっぷりはいっているとき(ブログを書いているときは仕事に集中していないわけではない)。書く時間がない、余裕もちょっとない、そしてなにより書くネタがない(時間の大半を仕事へ投入しているので仕事以外でこれといったことがないし、仕事のことはあまりかけないし)。
といいながらこうして書いていると書きたいことが浮かんでくるものですね。何事もアウトプットしてみるものです。
その書きたいことというのは、臨場感のあるゴールを描けということと、何でもかんでも最短距離で走ろうとするなということ。
まず第1に臨場感のあるゴールについて。ゴールを考えるのは重要、じゃあ現状とゴールを見たときにどこにGAPがあるんだろう、それはなんでだろうと考えるのも大事、網羅的にみておく必要はあるけど要をつかむことの方が大切。たどり着きたいゴールがある時期がある、それに対して現在はどこで持ち物(リソース(割ける時間含めて))はこれだけ。さて、どこのどんな障害を取り除けばたどり着けるだろう(つけないにしてもどこまで近づけるだろう)と。論点を明確にと。
このときにゴールを臨場感のないものにしてしまうと、一見とてもシンプルなプロジェクトになる一方でその道で想定しない問題にぶつかる可能性がある。例えば3ヶ月で戦略を策定するときに、その戦略の構成要素とそこにおける仮説と検証アプローチだけをもって走り続けると、極端な話、3ヶ月後には戦略だけ策定されている。で?と。それでどうするんだっけと。企業であれば経営管理のサイクルってものがあるだろうし、この戦略を実行に移して結果を出し切るためのリーダーだってチームだって必要だ、サイクルはなんだっけ、どうやって企業活動のトラックにのせるのだっけ?で、リーダー候補はだれだっけ?
さて、3ヶ月後には戦略策定されているだけがゴールでよかったのだっけとなる。
勿論目的を盛りだくさんにしてしまってはピントがあわないし、実現不可能なプランになりがち。明確な優先順位づけが必要。ゴールは上記のような時間軸の広がりと企業体としての周辺領域への広がりを踏まえて(頭の中だけであっても)描いておくのがいいと思う。
1つめの話に付随して、何でもかんでも最短距離で走るなとなる。ゴールが臨場感をもって完璧に描けて全てプロジェクトプランに織り込み済みだ、実行も100%描いた通りにできる、だったらok、迷わずそのルートを全力で走ればいい。でも現実はそう単純にはいかない。仮説ベースで始まるものだし、検証の結果ででも、そのプロセスでのクライアントの認識の変化ででも対応するべきことは変化する。
そんな時最短距離のルートで脇目もふらずに走っていると他のルートを見つけるのに時間がかかる。特にまだ個人の知識・経験に厚みのない、限られた領域での知識・経験と地頭と体力で闘う必要のあるレベルのコンサルタントはそう。
なので、目の前の仮説などにダイレクトに関係ない情報であっても、例えばクライアントがアタマを使う上で前提としておいているであろう知識や組織内の仕組みや人間関係というものを収集できるようにと調査設計しておいたほうが良いと思うし、日ごろのコミュニケーションでもある程度の意図をめぐらせておく必要があると思う。少々の回り道になっても(往々にして大した回り道にならないのだけど)。
整理もついていないし具体的な話はできないのだけど、こんなこと↑が頭の中にあった。

家パーティ

週末は会社の知り合いつながりでパーティ。いまどきの高層マンションに備えられているパーティルームを借りて。とてもいいものですね。広くて雰囲気の良いLDKでのパーティ。時間の流れもゆっくりに感じられるし何かとくつろげます。こうして家というかプライベートな空間というかでパーティをすると、お店でのパーティやら飲み会やらというのは、どこか気がはっているんだなというのを感じます。
その後はオーナーの部屋にあがって2次会。夜景も楽しむことができました。
今週からは新たにプロジェクトをはじめたのでしばらくゆっくりする時間がとれないのですが、チャレンジあふれる日々は面白いので(リラックスとかゆっくりとかという言葉とは疎遠になりますが)、緩急つけていきたいと思います。

携帯の写真を見ていたら撮ったことを忘れていた写真がでてきた。インパクトが強かったので見るとすぐに何か思い出した。そう、大甲冑展だ。いつだったか丸ビルにいったら1Fの吹き抜けに所狭しと鎧が並んでいた頃ががあった。それが大甲冑展だ。
いくつかの鎧を見ながら当時の戦というものに思いを馳せるも、どうもうまくこれらをつけて戦っていることがイメージできなかった。おそらくここにある鎧を纏っていたような武将は、その存在自体、この鎧をつけてそこに鎮座している事に価値があったんだろうと想像する。
それともこういった鎧を身につけて騎馬にまたがり戦場を駆けていたのだろうか。
あまりに目立ちすぎはしないだろうか。
それとも目立ことも意図の範囲内で、だからこそ兵士の群れの中で影武者が効力を発揮したのだろうか。

Afuri

今日は夜ごはんを恵比寿のAfuri(阿夫利)で済ませる。以前飲んだ後に一度いったことがあるこのお店、今日は飲まずにいったが良かった。ゆず塩麺(淡)。スープがさっぱりしていて、麺も細麺なのだけど薄味という感じはなくてとても奥行きがある。チャーシューもとろとろ過ぎず、かといって油が少ないわけではない。麺に添える直前に炙っているので香ばしくて美味しい。メンマも細くて食べやすい。
21時半頃にお店についたと思う。その時は列もなく店内もいくつか席があいていたのだけど、食べている間に軽めの行列ができあがっていた。きっとみんな飲んだ帰りなんだろうなー、なんて列を眺めながら帰った。

自分を育てる瞬間

先日読了した『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』で特に印象に残っているのは次の企業における教育的瞬間についての部分だ。

P.80
企業における教育的瞬間としては、以下のようなものが挙げられます。
○内定から入社3年目程度までの新入社員期間
○新しいメンバーで新規プロジェクトが立ち上がるとき
○出世や異動の直後
○人材が仕事に行き詰まり、途方にくれているとき
○人材同士のぶつかり合いが度を越えてしまったとき
○中途入社の入社前から入社後3ヶ月程度の期間
○退職の前後

なぜこれが残っているかというと、自分の日常を振り返ってこの瞬間が思った以上に多いと気づいたからだ。そして、それを自分を育成する瞬間と捉えることはとても価値があると感じたからだ。
さすがに内定から入社3年目程度までの新入社員期間は過ぎているのだが、プロジェクトは毎年いくつも経験するし、チームが小規模で多く存在する分異動(というのかな)もある。仕事に行き詰まって途方にくれるなんていうのは考えようによってはいくらでもある(解が見えている仕事ではないし、筋のいい仮説がたたなければタフなシチュエーションになる。途方にくれている暇もないくらいに)。人材同士がぶつかり合うというのもまあディスカッションの上では日常茶飯事、”度を越す”というのがどこまでいくのかはわからないがきっとないはなしでもない。(中途入社と退職はまだ経験していない)
これらをただのイベントというか通過儀礼として過ごしてしまう、変化のネガティブな側面に囚われてしまうというのと、”これが自分を育成する瞬間だ”と捉えて前向きに過ごすので、少なくとも自分の場合は変わってくると思うのだ。
実際に自分が今年からチームを移ったのだが、不安以上に新鮮さであり面白さでありに溢れている。求められるものが変わる中で自分に足りないものを見つけることができる、新しい仲間に出会える、新しい貢献・成長機会に出会える。そうした過程で自分が変わる、そうすると自分の過去からも改めて学ぶことがある。
日常に散りばめられている瞬間においても十分に自分の舵を大きくきって走り出せると、自分の経験もあわさって改めて気づかせてくれた内容だったのだ。