嬉しい刺激

今日、7-9月で受講したGMSの経営戦略のDay6レポートの評価コメントがHPに掲載された。自分は最後のレポートに自信を持つことができない状態で提出した。最後のAction Planを論理的に展開できず、手を打つべきポイントを収束させた時点で記述を終えていたからだ。その後の展開は貧弱なロジックによって支えられており、また、Day6のクラスにおいて、その収束させた手を打つべきポイントも本質的に論点を外していることを自覚したのだった(^^;)
評価コメントを読む前にそもそものレポートの点数を見る。…自分の予想よりも高い点数であった。ほっとした感と共に”Why?”という気持ちが出てくる。喜びと安心だけは終われない。勿論よそうより高い評価は嬉しい。でも自分は高い評価をもらうためにレポートを書いたわけではないはずだ。また、ただ単に高い数字をもらって終わりではないはずだ。今となればそれも1つの通過点。大切なのはその評価を受けて、これから何を学ぶか、どう成長するかだろう。

嬉しい刺激を得ることができた。
10月期はGMSへ通わず(というか、GMSは一旦卒業して、自分での学習と仕事での成長に集中しようという判断)本業に徹しようとやっていた中で、最近の日記にあるように、なかなかモチベーションをあげることができずにいたり、理想と現実のGAPを埋めきることができずにいたりした中で、このタイミングで過去の自分のレポートを振り返ることができている。そこには過去、経営戦略と格闘してきた自分に対する講師の方のメッセージが添えられている。
思い出す。マクロ環境を見て、業界構造を分析し、顧客の特性、競合に比べた自社の優位性を見つけ出し、今後、継続的に競合に対して優位性を築きながら成長し続けるためにどうすればいいのかをひたすら考え、ディスカッションし、(悔しいながらほぼ毎回)講師のロジックを崩せずに悔しい思いを共有しながら切磋琢磨していた3ヶ月。
自分のやりたいことであり、自分が楽しいと感じる頭の使い方であり時間の使い方でありが思い出される(勿論今目の前にあることを楽しむことは大切!)。
簡単に妥協はしたくない。
理想と現実のGAPをあきらめたくない。
現状に甘んじていたくない。いるとしたらその自覚を絶対に失いたくない。
”仕方がない”なんて言葉は口にしたくない。
他人のせいにして自分をごまかすなんてしたくない。
愚痴で自分の成長欲を発散させるなんてことはしたくない。
だからって目の前のClientに対して不誠実なことはしたくない。
さてと。このタイミングで嬉しい刺激を胸に、また頑張っていこう(^^)

回りだした歯車

Taskをようやく回し始めることができた。後はもう一度目指すべきGoalとそこへたどり着くべき時期を明確にした上で手段を定義していく。なぜそれがGoalなのか?なぜその手段を選択するのか?その1つ1つに全員で納得しながら進んでいきたい。

当たり前のことながら感じること。本を何冊読んでみても、どれだけ勉強してみても、ケーススタディを繰り返してみても、現実で実践できることとは異なる。

書く技術、考える技術等自分ひとりの中でCloseするようなものであれば一人で繰り返し練習もできるし、本で読んだ内容を比較的簡単に実践の練習ができる。それが、コーチング/リーダーシップ/モチベーション等一人でCloseするものではなく、TeamをリードするPositionで実践することがメインであるようなものは、その立場に立つと改めてそれを実践する難しさを知る。己の未熟さを知る。

で、どうするのか?

自分が安心して動ける範囲だけで生きていくのか?頭でわかっているけど、”そうすべきだけど…”で頭の中にある様々な理想を流して中途半端な現実を生きていくのか?これは自分のやりたいことじゃない、これは自分のフィールドじゃない、と本気を出す土俵を区切ってその外にあるものは適当に流していくのか?

違う。

Client First。お客様から見たらすべきだ、とだけ言ってやらないことも、自分のやりたいフィールドか否かも、何も関係ない。ただ、求める価値を提供してほしいだけなのだ。

そういう期待を超えて行きたい(^^)

***Taskが動き出したのはいいけど、自分たちのTeamのMissionはそのTaskだけを成功させることではない。それを忘れず、本当のGoalを見据えて判断し、動いていきたい(^^)

考える力/伝える力/動かす力

昼間は客観的に自分を見つめて、その上で考えて、自分の成長を感じる、なんていう時間的余裕は結構無かったりする(^^;)その日やるべきことを終え、家に帰り、こうしてBlogを書く中で客観的に今日という日を振り返り、自分の行動と結果を眺めて、どうしたほうが良かったのか等を考えて明日につなげることができる。楽しい時間である(^^)

明日やるべきことを考えるとあまり振り返る時間が無かったりするのだが。

ただこの時間の大切さを僕は知っているつもりだ。それはProjectにおいても同様だ。僕は冒頭で、昼間は自分を見つめて考えて成長を感じる時間はないと書いた。それは無くてもいいのだと思う。大切なのは自分の本当のMissionというのを忘れずに掴み、それに照らして物事を判断するバッファを自分の頭であり心でありに持っておくことだ。

往々にして人は、スケジュールがタイトになってくると、時間軸でしか物事を見なくなることがある。その結果、その時間にクオリティをあわせるようになり、目の前のタスクに対して当初割り当てた時間を前提としてその制約の中で”できる範囲で”品質を保持しようとする。その結果、だましだましで時間内でこなされたタスクのアウトプットをインプットとして開始するタスクにしわ寄せがいき、その分”できる範囲”で品質を保持するその”できる範囲”がどんどん狭くなっていく…その繰り返しで品質は悪くなり、それを引き継ぐTaskにかかる時間も増えていく(+品質を高めるための(余計な)Taskも生まれ結果として積み上げると当初けちった時間の何倍、何十倍もの時間を要することとなる)。

後になってパンクしResourceとCostを上積みする。Scheduleを伸ばす。要件を削る、リリースを段階的にする。Trouble Projectの出来上がりである。(こうなったとき(でなくても)大切なのはお客様に対して、社内に対して透明であることだと思っている。)

これを人に置き換えると、PとPCの関係ということになるだろう。

PerformanceとPerformance Capabilityの関係であり、金の卵とそれを生む鶏の関係である。金の卵を短期間にたくさんほしいと考え、鶏を育てることをせずに卵だけ産ませ続けると鶏は死んでしまう。結果として金の卵は手に入らなくなる。もし最終的に手にする金の卵の数を最大化したいのなら、その短期的なペースだけに着目するのではなく、鶏を卵を産める状態に保つことにも着目する必要があるのだ。別の言い方をすると、収穫だけしていてもだめだよと。収穫するためには土壌を豊かにし、種を蒔き、水をやり、栄養をやり、というプロセスを怠ってはならないのだ。

ということでタイトルへ戻る。考える力/伝える力/動かす力。

何が言いたいかというと、人を動かすときには、何のためにそれをするのかという目的の定義、その為にやるべきことの定義、そしてそれを誰がやるのかというRoleの定義、必要に応じたHow toの定義が必要(考える力)、そしてそれを相手の頭にだけ伝える(いってることはわかるけど…の状態)だけではなく、必要性と自主性をもって動いてもらうために心に伝える力が必要。で、必要に応じてHow toの具体的な使い方の例を示し、チームでのTaskであれば、そのチームのKickoffをコーディネートする等をし、歯車を回し始める最初の力点になることが必要で、その後は定期的に油を差してその歯車を円滑に回していくことが必要(動かす力)だと。

…今日の自分、今までの自分はどこまで上記ができていただろうか。直接的に変えられるのは、そしてコントロールできるのは自分だけである。もっと効果的に影響力をだしていこう(^^)効果的な影響力とは??今思いつくのは、より具体的に考え(目的、手段、Role)、相手の心に伝え(行動することの目的、相手にとっての価値)、動いてもらうことだろう(歯車の最初の一押し、その後のメンテナンス)。

そして、あくまで周りへ依存する前提ではなく、それができないときには自分でドライブするという前提で臨む事だろう。

…昔自分が書いた、Projectを共にしたマネージャ、コンサルタントを改めて思い出し、その偉大さを知ると共にそこに近づく舞台に(隅っこでも)立てている自分を嬉しく思い、そこでの自分のPerformanceを情けなく思う(^^;)

で、どうするかといえばやるしかないのである。

一日の周期

一日の周期って言うものがありそうだと思う。
ここのところ、実は結構寄る家に帰ってきてからBlogでも書こうかと、Blogの管理用ページを開き、投稿欄に書きたいことを書いてみている。うそは書きたくない(周りから見たら嘘?と思われるようなことがあっても少なくとも自分には正直に書きたい)と思ってるためか、そもそもかけない性格だからなのか、とりあえず頭の中のことを文字に落としていく。
するとどうだろう。大体深夜帰ってきてから書くと内容が疲れたものになっていることが多い。もっと前向きに、爽やかに、且つ熱さをもった内容にしたいんだけどなぁ、と思いつつも、静かで、どちらかというと冷たくて、ちょっとじめっとした感じがしたりする。
平日休日の朝~夕方だとそんなことも無く、書きたいことを書いてUpしているのだけど、平日の深夜はどうも違うらしい。少なくとも今はそういう周期のようだ。
だからといって日々得たものを(自分がちょっとネガティブで、何も得ていないと思おうが、成長してないと思おうが、そんなことはありえない。朝と夕方で自分に変化が起こっていないなんて、生きている限りはありえないだろう。という前提です(^^;))ちょっと無理にでもひねりだしてみようか。ネガティブな自分の意見を並べてみて、ポジティブな角度からコメントしてみようか。
せっかくだし、夜のちょっとした時間には自分の気付き、変化、成長を無理やりでも探してみよう。そして、昼間(時折深夜、明け方まで)の仕事の時間は自分のMissionを完遂すること、その上で気付きを得て、変化を感じ、成長を味わえるようにやってみよう(勿論がむしゃらに頑張っていたら気付きも変化も成長も、そのときは意識なんてできないけど)(^^;)
コンサルティングを一年ほどやっていて、今は思い切り現場にいる。ToBeを描き、変革を促す仕事と、その描かれたToBe、変革の中の施策の1つとして展開される実体を生む、実際に価値を生む変革のProjectの中で現実にToBeを目指していく仕事の両方に携わることができているわけだ(昔も一時期実業には携わっていたけどそれはOJTであったり、Taskの一部を任される程度。今は実際に1つのTeamを率いて(そんなにかっこ良くないし、率いるつもりも無いけど)参画している。)
…現場を知る・感じる・体験することは本当に大切な経験であると身に沁みて思う。
ただ、どこで何をしていても変わらないものがある。それは、
共有している理念であり、
その理念を投影したVisionであり、
そのVisionをもって成長するための戦略である。
現場にいれば手段なんていうのはいくらだって変化する。最後は人間。ロジックで割り切れないことなんていくらでもある。割り切れることのほうが少ない(最終的に動く力になるのは人の心であるという前提)。
そんな変化の基軸になるもの、ロジックで割り切れなくても人間の心のベクトルを同じ方向にひきつけて導くもの。
それが理念であり、Visionであり、それを持って成長するための戦略であると僕は思うのだ(戦略は少し色が違うかもしれないけど)。
現場がどれだけタフな状況でも、チーム間にねじれが生じていても、コミュニケーションパスが不明確になり情報が分散し、集めてまとめるだけのタスクが増えてきても、今になって言葉の定義が異なっていることが発覚しても、局所的に突っ走る人がでてきたとしても…
前提としてあるのは、そこにいるすべての人は同じ方向を向いているということ。そこに集った、おそらく全部数えると200人を超えるであろうすべての人間は、同じ理念の下、同じVisionの下、同じ戦略を実行するために存在するのだということ。
ねじれたりなんだかんだが生じるのは、上記のように同じ方向を向いていても、もしかしたら目線がちょっとずれていたり、もしくはたどり着くために歩く道について違うものを考えていたり、もしくは進む手段について違うものを考えていたり、というところからであるということ。
…電話がかかってきた(現在午前3時)
仕事をしながら書きたいことを足そうと思っていたのだけど忘れてしまった(^^;)また今度。
***深夜は暗い内容になる周期だという仮説を立てたが誤っているような気がする…(^^;)

開花屋

10/22(土)この日は大学からの友達で、今鹿児島で生活している子が友達の結婚式で東京に来るということで、そして前日に東京入りするということで、東京にいる大学メンバーと4人で集まって飲みに行った。行った先がタイトル。開花屋
友達の一人が手配してくれたので何も知らずにただ行ったのだけど、入ってみるとこじんまりとしていつつも活気があるし雰囲気が良い。料理も高くないし、そして何より美味しい(特に魚介類)(^^)!!良いお店と出会えたと思う(予約しないと多分入れない(^^;))。
で、どんな話をするかというと、友達の話であり自分の話であり、とにかく”仕事以外”の話。就職した頃から変わらず、大学時代のメンバーで集まるとなぜか仕事の話が殆ど出ない。ほぼみんな異なる業界にいるからだろうか?でもだとしたら業界をまたいだ刺激的な話ができるに違いない(^^)今度ふってみようかな、なんて思う。
結局お腹一杯食べた後に渋谷まで歩き、カフェでコーヒーを飲んで解散した。
料理の写真、撮っておけば良かったなーと今更ながらに思う(^^;)