成長欲・学習欲

成長したい。学習したい。
そういう思いが久しぶりにかなり強くなっている。本を読むのが楽しいし、そこから考えをめぐらせて自分の頭で遊ぶことが面白い。
今の仕事の状況を見たときに、偶然自分の頭に浮かんだことををまさに表現しているBlogの記事を発見した(^^)
以下、一部抜粋
忙しい時ほど、異なるテーマの本に関心が向く。それはそれで自然な欲求だと思う。煮詰まり感の排除(気分転換)、逃げたい気持ちを真っ直ぐに受け入れて、「仕事が忙しくなって逃避したくなったらこれを勉強する」という素材を決めておくとよい。おそろしく短時間で吸収できる。それは、集中力癖が付いているからに他ならない。
このとおりで、忙しい?辛い?時ほど異なるテーマの本に関心が行くし、普段できないような集中ができるのである。立ち止まる時間、座る時間が少しでもあれば本とペンを取り出して読みふける。昼を食べてちょっと一息つくときも本とペンを取り出して読み進める。家でも同じだ。
ここまで言うといいのか悪いのかわからなくなるが、こうして現実から離れて本を読む、自分の考えを自由に巡らせることで、頭のバランスが保てるような気さえしている。
で、面白そうな本を見つけたので買った(まだ手元には無い)。最近は目の前の仕事に必要なスキルの本、人として必要なことを書いた本をメインに読んでいたが、やっぱり僕にとって一番楽しいのは問題を自分で分解して、構造立てて、その原因を探して、ここをたたけばこの問題は崩れる!(解ける!)っていうポイントを探すところだと思う(しかもできれば経営に直結する問題)。その為の力を改めてもう一度見つめなおしたい。で、頭の中だけじゃなくコミュニケーションも、心地良く伝わるロジックを組めるようになりたい(ロジックの問題じゃないかもね(^^;))
おそらくいい意味で僕は昨日のフィードバックを気にできているのだと思う(^^)本当にありがたいことだと思う。僕のやりたい仕事を考えたときにMBAの知識しかり、さまざまなITの知識しかり、で、もしかしたらソフトスキルといわれているスキルも然り、これらは結局自分へのPluginでしかないのだと思う。だとしたら僕はそのPlugの数を増やし、適切なものを選んでさしこみ、瞬時に使いこなせるような頭と、それをつかったOutputを相手の心にまで届けるコミュニケーションの力と、それらの基盤となり、それらを統べる人格を磨き続けたい。
抽象的ではあるがそんなことを思うのだ。
…で、現実のProjectはどうしようか…。

インサイド・アウト

帰宅(^^)明日の朝はちょっとゆっくりできるのでビールでも飲みながら今日感じたことを書く。今日は貴重なフィードバックをもらうことができた。端的に言うと、「ロジカルなコミュニケーションが下手だ。」というもの(^^;)
正直に書こう。僕は2つの感情を抱いた。
1. こういう率直な(そしてどちらかというとネガティブな)フィードバックは本当にありがたいことだし貴重な財産になる。
2. お前(相手)が下手だっただろ。そもそも何を目的にして、それを言ってるのかも不明だし。使いたいであろうフレームワークもばらばらだったじゃん。
というものである。1 : 2 = 7 : 3 程度の割合である。
1はいいと思う。素直にこう感じられ、自分の成長意欲へつなげられることは喜ばしいことである。2は甘い。最近つくづく思う(できてないからかな(^^;))コミュニケーションで大切なことは相手が言いたいことをいかにうまく汲み取ることができるかではないだろうかと。それは妥協するとか、相手の言いなりになるとか、そういったこととは関係なく、まず相手が伝えたいメッセージが何であるのかを見つけ出して、前提や思い込みをどけて受容れることである。
だから僕が2のように感じたときは、ちゃんと言うべきだったのだ。”(間違っていたら教えて下さいという前提で)自分は●●という目的で今コミュニケーションをとっていると思っている。そのときに今のあなたの主張は○○ということを言っているように自分は受け止めてしまい、本来必要と思われる△△と▲▲についての考えが抜けていると感じてしまう。そこを教えていただきたい。そうすれば自分もあなたの期待を満たす回答ができるはずだ”と。
それを”あんた言ってること意味わからないしロジック通ってないよ”で済ませてしまっては建設的なコミュニケーションはできないだろう。(…何様なんだろ…(^^;))
でと。何で上記のようなコミュニケーションの終わり方をしてしまうのか。仮説として考えられるのは”相手をわかろうとすることで自分が組み立てたロジックを崩されてしまうことを恐れている”からというもの。そう。結局自分が否定されるよりも人を否定したほうが楽だし自分は傷つかないという価値観からきているのではないだろうか。そしてこれは周りによって自分が変えられてしまう、という前提のもとの考えではないだろうか。
そして上記のような価値観であり考え方がなぜ生まれるのか。それはおそらくそのときの自分のロジックというのが心に従ってないからではないだろうか。もしくは、一度つくったロジックを柔軟に崩して変化させる瞬発力の不足を自覚しているからではないだろうか(もしくは不足していると思い込んでいるからではないだろうか)。
当たり前のことであるがロジック云々の前に、自分の心を伝え、相手の心を伝えてもらう(感じ取る)ことがコミュニケーションの重要な機能であるということを忘れてしまっていたのではないだろうか。
これでは誠実なやり取りはできないだろうな(^^;)反省。そしてやはりこうして考えるきっかけとなったフィードバックをもらえたことはありがたいのである。
自分の心を覆い隠すためのロジックではなく、自分の心を真っ直ぐ、素直に相手の心に届けるためのロジックを組み立てていきたい。そこにロジックが必要であるという前提がある場合には。

期待

(駅から歩きながら急いでとったらぶれてた…(^^;)それはさておき、)期待を感じる。自分の周囲への影響力は自分で決めるのだとわかっているけど、単純に自分に任されたロールであり、普段のPMとの会話の中で感じることを素直に受け止めるとそれはおそらく期待なのだろう。
○○億のプロジェクトの品質管理であり、テストプランニングでありを任されている。周りには歴戦のSEでありPLでありがいる。考えると、今の体制の各ブロックを見ると自分が最年少のリーダーだということにも気付く。勿論自分のMissionは自分ひとりで出来るものではない。メンバーしかり、他チームとの連携然り、必要なものはいくらでもある。
どんな状況においても言えることがある。
経験?関係ない。
年齢?関係ない。
上下関係?関係ない。
FactとLogic。何をどうすべきか、どうあるべきかを考え、決断する上で経験も年齢も上下関係も何も関係ない。関係するのはFactとLogic。どうあるべきで、それに対して事実はどうなっていて、あるべきへ近づくのに必要なLogicは何なのか?
経験がなかろうと相手がどれだけ年上だろうとポジションが上だろうと(逆も然り)関係ないのだ。ただ僕は僕のMissionがあり、それを達成するための現状があり、(無いのがベストだけど)そこにはGAPがあり、どうすべきかLogicを考える頭がある。
それを組み立てた上で、”具体的に”、”現場として”どうすべきかの話しに入るのだ。そのときに僕は間違えないつもりでいる。僕らは決して現場の負荷を上げて管理のための作業を増やすなんてことをしているんじゃない。長期的に見たときに、そもそもの目的に照らしたときに、どうすればいいのかを考えるきっかけとなるのだ。そして、近視眼的になってしまいがちな現場のチームが、結果として楽に、効果的に作業を実施できるようにレールを敷くのだ。
***
やりたいことはやりたいことで、それをやるためにあの手この手でアプローチしていけば良い。ただ、その過程で、自分が自分に胸を張るためには今を全力で生きなくてはならない。自分は、自分が自分に胸を張れないうちはおそらくやりたいことはできない、輝けないと信じてしまっているからだ。そして今はそれを疑うことが出来ないからだ。
詳細には書けないが何度か面接を受ける機会をつくった。(少なくとも口頭とその場の印象では)良い印象を持ってもらえたし、高い期待ももらえた(と思う)。一度一緒に仕事をしてみようといってくれる人もいた。
でも、僕はすぐには動けなかった(勿論、すぐに○○をやってくれ!というほど強く引かれることもなかったという前提)。なぜならその今の自分に胸を張れていないからであり、そうした、自分が適応し出来ない環境では自分として満足のいくパフォーマンスが出せないという自分を見て、そのままの自分を活かすには100%自分が適応できる環境であることが必要だと感ているからだ。そして、それに従って、次の環境にCommitしきれない自分がいて、且つそういう環境依存する自分を責める自分がいるからだ(自立できていないと)。
だから僕は今のMissionに対して一度自分を傾けてみる。その上で、次の仕事を考える。
若さやポテンシャルやその場の印象から来る受身の期待ではなく、自分として自分が従うMissionと、自身の価値を明確に謳い、相手をひきつける、能動的に期待させる力を持ちたいのだ。(勿論自分を若いとは思っていないし、ポテンシャルで計られる歳は過ぎていると感じている。)
…なんか書いてることばらばらだけどまぁよしとしよう(^^;)

人生は廻る輪のように

*先に書くと以下、本の内容自体にはほとんど触れていません(^^;)
人生は廻る輪のように。2-3日前に読み終えた。
この本を通じて一番強く感じたことは何か。それは、
自分の心に従って生きろ。
ということ。(前の日記に既にcommentとして書いてたりするのだけど(^^;))そしてそこで考えるのは自分の心は何を望んでいるのかということ。
ちょっと頭の中を整理してみよう。おおざっぱでいいから思いつくことをとりあえず(車に例える)。
心: a.目的 + b1.燃料
頭・体: c.テクニック + b2. 車
心は走る目的を定義して、そこに行くためのエネルギーを生み出すのでしょうと。頭・体は、それを達成するのに必要なテクニック(ドライビング、メンテナンス)と車自体なのでしょうと。
そして、これら心・体・頭をつかって目的を達成させていくのでしょうと。ゴールや行き先でなく、目的としたのは行き先に着きたいのか、ドライブを楽しみたいのか、そもそも自動車いじりがしたいのかと考えると一概に走って行きたい先があることが全てだとは言えないと思うからです。
なので、少し細かく下ると、自分の心に従って生きろ、とは、自分の心にある”目的”に向かって生きろ、ということ。だから、その従うべき心が持っている”目的”をまず知る必要がある。
では調べよう。僕にとっての目的は何であるのか。…ここに書くのが情けない内容になるかもしんれないけど…書いてみよう(^^;)
僕は目的として”戦略コンサルとして自分の価値を出したい”ということを考えていた。分解してみよう。1. 戦略コンサルとして 2.自分の価値を出す。
1. 戦略コンサルとして
 これは自分の乗る車を”戦略コンサル”という車にしたいということを言っているのだろう。だから僕は様々な学習を続けている。GMSでMBAの知識と現実に近い多少の経験を積み上げた。そしてそれを使うの必要と思われるものも得ようとしてきた。それは先にMBAといった内容が知識・知恵を重点的にさしているのに対して、それらを効果的に使うための人間としての部品だ。色々な要素があるしこれはこれで非常に奥深く複雑な部品であると思うけど、リーダーシップ等周りへの影響力に関する部分であり、セルフモチベート等であったりする(厳密には書かないけど)。
2. 自分の価値を出す
 これは1.に書いた車に乗って走る前提での走り方の事を言っているのだろう。”戦略コンサル”というスペックを持った車に乗ったら、そのスペックでしかできない走りをしたいと。
じゃあ確認。戦略コンサルって?自分の価値って?分解してみよう。
そしてもう1つ確認。生きる目的が”戦略コンサルとして価値を出す”?少し乱暴に言うと僕の人生の目的は仕事しかないのか?違うな。ということで前提が1つ。
上記は自分が生きる中の仕事の側面に限った話だと。
そしてさらにもう1つ。分解したときに考えるべきこと。それは、”自分の目的って何?”ということ。上記に従って分解するとでてくるだろう問い、”車がほしいの?ドライビングを楽しみたいの?それともどこかに行きたいの?”というところ(改めて振り出しに戻る)。だってそうでしょう。
車がほしいだけならその車に乗るためのことだけを考えればいいのだけど、乗って終わり?
ドライビングを楽しみたいなら、そもそもそのドライビングをするのに今ほしがってる車のスペックって全てが絶対必要なの?
行きたい先があるのなら、その車、そのドライビングじゃないと駄目なの?
と。結局最終的に絞るとしたら何がほしいの?(1つしか目的があったら駄目なんてことは無いけど、最終的な絞りがないと優先順位を決められない、選択と集中ができないじゃない。)
と。
今日はこれくらいにしてまた整理してみよう。あ、勿論こうやって考えてる状態でも走りながら(^^)仕事でいけば、どんな車に乗って、どんな運転して、どこに行こうとしたって命を失うような事故はないんだろうし、走っていい範囲で走っておけばいいよ。
…本の内容、本当に何も書いてないな(^^;)

Sofa

家にソファーが届いた(^^)若干気にはしていたが案の定大きい。部屋の1\3近くがソファーになった気分さえする(^^;)
しかしこれで地べたに座る生活から離れていくのだと思うと嬉しい(今の家にはダイニングセット等テーブルを入れる部屋はない(^^;))。早速豆を挽いてコーヒーを入れた(^^)ほっ。
今はGMSも一区切りをつけて、仕事以外の時間は自由に使える。読みたい本もたまっているし、それらを読みながら次へ進もう。
…アウトプット…できてないなー(^^;)