刺激を与える

●自分の将来を考える。やりたいことを考える。それができている自分を想像してみる。そんな自分が今だったらどうするかを考える。できるだけ具体的に考える。

●好きな本に手を伸ばす。ぱらぱらとページをめくってみる。そこにある、過去に自分が感銘を受けた言葉を今の自分に重ねてみる。

●好きなサイトを見る。そこに書いてある内容をざっと読んでみる。自分が考えていることと彼らが考えていることを比べてみる。そこに書いてあるようなことを実践してるであろう彼らを想像してみる。今の自分と比べてみる。

●同期やその他友達と話をしてみる。仕事に留まらず色々な話をしてみる。自分が話している内容を考えてみる。自分の理想と比べてみる。内容・構造・語り口・表情・身振り手振り。

他人と比べて焦る事は無い。焦っても仕方ないし、焦る必要がない。
AsisとTobeのGapに焦ることは無い。焦っても仕方ないし、焦る必要が無い。

焦りはしない。ただ僕は3つのことが気にかかる。

1つはGapを埋めるプロセスを進む速度であり、

1つはそのプロセスを楽しむ力の欠如であり、

1つはその力の源泉を刺激できずに遅い速度で進む自分の弱さである。

僕は人生には大きく2つの進み方があると考えている。

1つはトップダウンで人生設計をして進むやり方。

1つはボトムアップで人生を進むやり方。

どちらがいいとは言わない。ただ、大切なのは、”過程を楽しむこと”だと考えている。

と書いてみてもしっくりこない。要するに何か。

やるからには楽しみなさい。

ということだ。

最初に書いたようなことをやって刺激を与えてみると、楽しめるきっかけが得られる。

楽しめるかどうか。それは何をしてるかという問題ではなく、どうやっているかの問題なのだと思えてくるのだ。

ふぅ。まだまだいけるだろっ(^^)!!

あ、週末くらいにSTRのお礼のメールを送ろう(^^;)遅くなってしまうけども。

写真はこの三連休に撮ったもの。最近はめっきり涼しくなってきているけどまだまだ昼間は夏を感じさせていた(この一週間で大きく変わったかな)。

うーん

最近Blogの更新が出来ていない。STRもあっという間に終り、戦略の夏と銘打って臨んだ夏も終り(戦略を体得するのにドライブをかけるきっかけにはなったかな(^^;))、三連休には色々とあり、書きたいことがたまって来ているのに(^^;)

どこかで頭を緩めて日々を振り返る時間をとろう。そういう時間は必要だ(^^)

大きく羽ばたけ

帰宅。マンションの隣のコンビニで恒例のアイテムを購入して部屋に戻る。

・強めの栄養ドリンク

・大豆ペプチド入りドリンク or ゼリー

・アミノ系ドリンク

・コーヒー

ちょっとぼーっとして頭を切り替える。頭の使い方が下手なのか、前日記に書いたとおりプレッシャーで左脳ばかりを使ってしまっているのか、ぎゅっと脳みそを締められているような感覚がある。それをほぐすためだ。(リラックスして頭を使っているときは、こういう感覚ではなくて頭全体がふわっとした感覚であることが多いと思う。)

適当に音楽をかけながら、ぼーっとケースのことを考える。どーアプローチしようかなーと。

評価せよ。どんな軸で評価したら適切な意思決定につながるだろうか。

業界・市場の変化とその中でとってきた自社(っていうのかな)のアクションのギャップはあったのか?あったとしたらどの辺りにあったのかなーっと。

そのGAPを問題と呼ぶとき、その問題を起こしている本質的な問題でありその原因でありはどこにあるのかなーっと。

じゃあその問題をどうやって解決しようかなっと。それって継続的な優位性に結びつきますか?身の丈にあった戦略ですか?それやったときの競合の動き読めてますか?そもそも自社の戦略との間にねじれはないですか?

うーん。もうちょっとぼーっとしてみるか。

あー、ちょっとずつ頭全体が回り始めるような、そんな感覚がしてきた(^^)気持ちいい。

プレッシャー

プロジェクトで徐々にプレッシャーが大きくなってきている。プロジェクトのフェーズが進み、プロジェクト全体として自分が担当しているチーム中心に動く必要が出てきているためだ。そして、そのプレッシャーに対して自分が若干余裕を失い、自分のキャパが小さくなってきているためだ(^^;)
このプレッシャーを楽しみに変換する力を出し切れずにいる自分がいる。”…お前いけるのか?”と執拗に自分に問いかけてくる自分がいる。そうやってリスクを教えてくれる自分を受容し切れていない自分がいる。意思決定のハードルが必要以上に高くなる。1つ1つの決断が必要以上に重く感じる。
いや。違うと思う。プロジェクトに対するインパクトからしても、動かすリソースの大きさにしても、意思決定のハードルが高くなるのは当たり前。1つ1つの決断が重く感じられるのも当たり前。
So what?
そのハードルの高さは何のために?その決断の重さは何のために?
そう。その高さにたじろぐ必要は無い。その重さに潰されてしまう必要は無い。上に書いたように感じる自分は、ハードルの高さや決断の重さを適正に理解する、もしくは過大に受け止めてリスクを詳細に洗い出す目を持っている。だから過小に受け止めることなく適正、ないしは過大に受け止めることができているのだ。
問題はその後の行動だろう。何をもって適正なのか、何を持って過大なのか。自分の心がそう評価する根拠はどこにあるのか。で、その自分の中の仮説の根拠に対して現実はどうなっているのか。それを知るために前に進まなくてはならない。
不安になるだけで立ち止まる時間が有るならそれもいい。時間が解決してくれる問題ならそれもまた1つの解決策だろう。今の状況で立ち止まったらどうなるのか。時間は解決してくれるものなのか。答えはNoだ。
で、まずは目的を再度考えるべきだ。誤った目的の下にぶら下がる手段は価値を生まない。Goalは何か?そこを目指すにあたってStartはどこか?それを明確にして初めて道をつくれる/選べる、歩き方もしくはその他進む手段を考えられる。で、進める。
落ち着いて、ゆとりをもって基本に帰ろう(^^)
…まだまだだな…まったく…
あ、STRのレポートがあったな。
思いきりBig Pictureを描こう(^^)明日は徹夜かな☆