人を見る目 ではなくて気持ち

一時的にか、はたまたこれからもなのか。人を見る目が変わったというか、人を見る軸が増えたというか、そのような感じがする。どんな軸かというのは最近の日記の流れのとおりで、少しビジネスを離れたところでの人の気持ちであり、感情でありについてである。
以前もどこかに書いた気がするのだが(Upせずに消したかもしれない)、時折僕は、自分にとってクリシン(論理的に頭で物事を解釈すること)は心の弱さを隠す手段になっていると感じることがあった。(明快に、漏れと重複がないように事実を並べて自分の主張を支える。)で、この力は自分の弱さを隠すと同時に、職業上、基礎の基礎として必要な力であった。だから僕はよりうまくこれができるように(心を混ぜるのではなく頭のレベルで)磨いてきたつもりだ。
で、今回のプロジェクトでチームのリーダーのロールを任されることができ、またこれまでのプロジェクトでうすうす気づいていて、”頭だけでは個人の作業のアウトプットにしか効率的に効いてこない”ということで、マインドに関する吸収を積極的に行った。それは、リーダーシップであり、モチベーションであり、コーチングであり、交渉術であり、またEQや7つの習慣にも触れた。正直全てが自分にとって非常に有益な内容であった。そりゃそうだ。だってこれまで自分が意識してこなかった、育ててこなかった分野だったのだから。僕にとってこれらは芽を育てるための水や土や、栄養ではななく、”芽”であり”苗”であり、とにかくそのものだったのだと思う。
ただ、それについても僕はどちらかというと頭で理解していた。そして頭で動いていた(おとといくらいに日記に書いた、本を頭の中で辿ってそれに従うこと)。どういう場合にどういう動き方をするのか、Senseすることも頭で考え、頭で悩んでいた。その結果が心に降りてきて、時に心を暗くするときもあった。
で、上記のような流れの中で、”なんか左脳ばっかり使ってるな”と感じてきていた。大学のときも(というか昔から)色々と自分で考えたりすることは好きだったが、IssueもFrameworkも考えたことはなかった(卒論でちょっと考えたかな。でも穴あり(^^;))。ただ、そこには常に(少なくとも自分の中での)納得感と、オリジナル感と、そしてそれらに支えられたコミットメント(というほど小難しいことは考えてない)のようなものがあった。考えることは好きだったが、それ以上に物事から色々と感じ取る自分であり、その感じ取る内容が好きだったのだ。クリシン的に考えるよりは自分の感性に従って思いのままに頭を従えることが好きだった。おそらく右脳を使っていたのだと思う。あくまで個人的な感覚だが、悩みや考えを整理するという作業では左脳を中心に使い、未来を考える、想像を膨らませるという作業では右脳を中心に使っているような気がする。
で、今。僕は自分に対して言えることがある。それは、
「本読んで自分の心を磨いたって、それだけじゃ光らない。現実を見るんだ。自分が対峙している相手の心を受け止めるんだ、頭を働かせるよりも先に受け容れるんだ。まず頭に走りこむ、それはやめたほうがいい。受け容れた上で、頭を働かせるより先に自分の心を開くんだよ。で、その心が頭を従えるんだよ。」
ということ。
相手の気持ちを受け止めず、受け容れずに頭を働かせるというコミュニケーションが(ビジネスでなくプライベートで、いや。ビジネスでもだろう。)どれだけあいてを傷つけるものなのか、乾燥した、やわらかさや遊びを失った、冷たいものなのか、ここまでで書いてきたように頭を偏重していた(今もしているのかもしれないな)僕は全く気づかなかった。気づくことができなかったんじゃなく気づかなかった。気づこうとなんてしなかったから。
相手が心のやり取りを求めたいたときに、それを頭で解釈し、頭つくった考えで返していたのだったとしたら、僕はどれほど相手を傷つけてきたのだろうか。そして相手はどれだけ辛い思いをしてきたのだろうか。どんな気持ちで時間を過ごしてきたのだろうか。
今になって考え、自分の成長に結び付けようとしている自分はどれほど利己的で、愚かしい人間なのだろうか。
…人を見る目からどんどん離れていく(^^;)(タイトル変更)
ここにきて自分が何を書きたかったのかもちょっとわからなくなってきてしまった感じだ。いや。自分が何を書きたかったのかは、頭でわからなくとも心ではわかっているはずだ。
ここまで書いてきたこと。おそらくそれが僕が書きたかったことだ。
そしてここで今の自分に言えることは、
「本読んで自分の心を磨いたって、それだけじゃ光らない。現実を見るんだ。自分が対峙している相手の心を受け止めるんだ、頭を働かせるよりも先に受け容れるんだ。まず頭に走りこむ、それはやめたほうがいい。受け容れた上で、頭を働かせるより先に自分の心を開くんだよ。で、その心が頭を従えるんだよ。」
ということ。そして、
「今はその相手とは自分なんだよ。」
ということ(相手はいないからね…イテテテテ)。
勿論自分だけを見ろということじゃない。過去であり今であり、そしてこれからを見る上で、まず自分と向かい合おうと。そしてそれからでしょうと。過去を振り返るにしても今、これからを見るのは。自分と向かい合う過程で自分が変われば(自分に見える)現実も変わってくるのだろうけど。
ちょっと浸りすぎなんじゃない(^^;)??お前甘えてんじゃねーよ!!どさくさにまぎれて都合よすぎ!!なんて気が大いにするのだけど、こういうときこそ自分に対して言えることを素直に受け止められる気もまたするのです。
ここまでこないと受け止められない弱さも認めて、自分の中の矛盾も認めて、まずは自分に言われたことに従ってみようと思うのです。