インサイド・アウト

帰宅(^^)明日の朝はちょっとゆっくりできるのでビールでも飲みながら今日感じたことを書く。今日は貴重なフィードバックをもらうことができた。端的に言うと、「ロジカルなコミュニケーションが下手だ。」というもの(^^;)
正直に書こう。僕は2つの感情を抱いた。
1. こういう率直な(そしてどちらかというとネガティブな)フィードバックは本当にありがたいことだし貴重な財産になる。
2. お前(相手)が下手だっただろ。そもそも何を目的にして、それを言ってるのかも不明だし。使いたいであろうフレームワークもばらばらだったじゃん。
というものである。1 : 2 = 7 : 3 程度の割合である。
1はいいと思う。素直にこう感じられ、自分の成長意欲へつなげられることは喜ばしいことである。2は甘い。最近つくづく思う(できてないからかな(^^;))コミュニケーションで大切なことは相手が言いたいことをいかにうまく汲み取ることができるかではないだろうかと。それは妥協するとか、相手の言いなりになるとか、そういったこととは関係なく、まず相手が伝えたいメッセージが何であるのかを見つけ出して、前提や思い込みをどけて受容れることである。
だから僕が2のように感じたときは、ちゃんと言うべきだったのだ。”(間違っていたら教えて下さいという前提で)自分は●●という目的で今コミュニケーションをとっていると思っている。そのときに今のあなたの主張は○○ということを言っているように自分は受け止めてしまい、本来必要と思われる△△と▲▲についての考えが抜けていると感じてしまう。そこを教えていただきたい。そうすれば自分もあなたの期待を満たす回答ができるはずだ”と。
それを”あんた言ってること意味わからないしロジック通ってないよ”で済ませてしまっては建設的なコミュニケーションはできないだろう。(…何様なんだろ…(^^;))
でと。何で上記のようなコミュニケーションの終わり方をしてしまうのか。仮説として考えられるのは”相手をわかろうとすることで自分が組み立てたロジックを崩されてしまうことを恐れている”からというもの。そう。結局自分が否定されるよりも人を否定したほうが楽だし自分は傷つかないという価値観からきているのではないだろうか。そしてこれは周りによって自分が変えられてしまう、という前提のもとの考えではないだろうか。
そして上記のような価値観であり考え方がなぜ生まれるのか。それはおそらくそのときの自分のロジックというのが心に従ってないからではないだろうか。もしくは、一度つくったロジックを柔軟に崩して変化させる瞬発力の不足を自覚しているからではないだろうか(もしくは不足していると思い込んでいるからではないだろうか)。
当たり前のことであるがロジック云々の前に、自分の心を伝え、相手の心を伝えてもらう(感じ取る)ことがコミュニケーションの重要な機能であるということを忘れてしまっていたのではないだろうか。
これでは誠実なやり取りはできないだろうな(^^;)反省。そしてやはりこうして考えるきっかけとなったフィードバックをもらえたことはありがたいのである。
自分の心を覆い隠すためのロジックではなく、自分の心を真っ直ぐ、素直に相手の心に届けるためのロジックを組み立てていきたい。そこにロジックが必要であるという前提がある場合には。

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