一日の周期

一日の周期って言うものがありそうだと思う。
ここのところ、実は結構寄る家に帰ってきてからBlogでも書こうかと、Blogの管理用ページを開き、投稿欄に書きたいことを書いてみている。うそは書きたくない(周りから見たら嘘?と思われるようなことがあっても少なくとも自分には正直に書きたい)と思ってるためか、そもそもかけない性格だからなのか、とりあえず頭の中のことを文字に落としていく。
するとどうだろう。大体深夜帰ってきてから書くと内容が疲れたものになっていることが多い。もっと前向きに、爽やかに、且つ熱さをもった内容にしたいんだけどなぁ、と思いつつも、静かで、どちらかというと冷たくて、ちょっとじめっとした感じがしたりする。
平日休日の朝~夕方だとそんなことも無く、書きたいことを書いてUpしているのだけど、平日の深夜はどうも違うらしい。少なくとも今はそういう周期のようだ。
だからといって日々得たものを(自分がちょっとネガティブで、何も得ていないと思おうが、成長してないと思おうが、そんなことはありえない。朝と夕方で自分に変化が起こっていないなんて、生きている限りはありえないだろう。という前提です(^^;))ちょっと無理にでもひねりだしてみようか。ネガティブな自分の意見を並べてみて、ポジティブな角度からコメントしてみようか。
せっかくだし、夜のちょっとした時間には自分の気付き、変化、成長を無理やりでも探してみよう。そして、昼間(時折深夜、明け方まで)の仕事の時間は自分のMissionを完遂すること、その上で気付きを得て、変化を感じ、成長を味わえるようにやってみよう(勿論がむしゃらに頑張っていたら気付きも変化も成長も、そのときは意識なんてできないけど)(^^;)
コンサルティングを一年ほどやっていて、今は思い切り現場にいる。ToBeを描き、変革を促す仕事と、その描かれたToBe、変革の中の施策の1つとして展開される実体を生む、実際に価値を生む変革のProjectの中で現実にToBeを目指していく仕事の両方に携わることができているわけだ(昔も一時期実業には携わっていたけどそれはOJTであったり、Taskの一部を任される程度。今は実際に1つのTeamを率いて(そんなにかっこ良くないし、率いるつもりも無いけど)参画している。)
…現場を知る・感じる・体験することは本当に大切な経験であると身に沁みて思う。
ただ、どこで何をしていても変わらないものがある。それは、
共有している理念であり、
その理念を投影したVisionであり、
そのVisionをもって成長するための戦略である。
現場にいれば手段なんていうのはいくらだって変化する。最後は人間。ロジックで割り切れないことなんていくらでもある。割り切れることのほうが少ない(最終的に動く力になるのは人の心であるという前提)。
そんな変化の基軸になるもの、ロジックで割り切れなくても人間の心のベクトルを同じ方向にひきつけて導くもの。
それが理念であり、Visionであり、それを持って成長するための戦略であると僕は思うのだ(戦略は少し色が違うかもしれないけど)。
現場がどれだけタフな状況でも、チーム間にねじれが生じていても、コミュニケーションパスが不明確になり情報が分散し、集めてまとめるだけのタスクが増えてきても、今になって言葉の定義が異なっていることが発覚しても、局所的に突っ走る人がでてきたとしても…
前提としてあるのは、そこにいるすべての人は同じ方向を向いているということ。そこに集った、おそらく全部数えると200人を超えるであろうすべての人間は、同じ理念の下、同じVisionの下、同じ戦略を実行するために存在するのだということ。
ねじれたりなんだかんだが生じるのは、上記のように同じ方向を向いていても、もしかしたら目線がちょっとずれていたり、もしくはたどり着くために歩く道について違うものを考えていたり、もしくは進む手段について違うものを考えていたり、というところからであるということ。
…電話がかかってきた(現在午前3時)
仕事をしながら書きたいことを足そうと思っていたのだけど忘れてしまった(^^;)また今度。
***深夜は暗い内容になる周期だという仮説を立てたが誤っているような気がする…(^^;)

コメントを残す