アントニ・ガウディの最高傑作と名高いコロニア・グエル(Colónia Güell)は、凛として、それでいて優しかった

この金曜日は晴天に恵まれかつとても暖かくおでかけ日和であった。なのでバルセロナにありながらなかなか足を伸ばす機会のなかったコロニア・グエル(Colónia Güell)へ行ってきた。

コロニア・グエルはサグラダ・ファミリア、グエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・バトリョ等のアントニ・ガウディの代表作と並び世界遺産に登録されている。しかしそれは他のガウディ建築とは異なり、バルセロナの中心部から1時間弱程度れた人気(ひとけ)の少ない場所にひっそりと存在する。

家の近くからバスでエスパーニャ広場へ向い(20分程度)、そこから電車に乗り換えて最寄り駅となるコロニア・グエルへ(20分程度)、そこから歩くこと10分程度でたどり着く。

_aDSC6143コロニア・グエル駅は建物は新しく綺麗だが無人。駅を出るとバルセロナ市街の喧騒はもはやなく、小鳥のさえずりとたまに通る車の音だけ。一面に空と緑が広がる。市街は遠くに見える。

_aDSC6147_aDSC6153少し坂をのぼって進むと公園のように整備された緑、そしてその中には桜らしきものも。8分咲き位。

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教会に近づくにつれて松が増える。それにしても、おそらく平日の昼下がりということとも手伝って、人がおらず目には青空と溢れる緑と白い建物、耳には風に揺れる木々の音と小鳥のさえずり、という環境にとても癒やされた。

やはり田舎が好きだ。

教会に辿り着くも、別の場所で先にチケットを買う必要があるとのこと。案内に従ってチケット売り場へ。小さな博物館が併設されており、見学してきた。その建物の中に居たのはおそらくそのスタッフの方と僕だけだった。写真は全てOKとのことだった。

_aDSC6166 _aDSC6174もともとこの辺りは繊維系の工業地帯であったということで、どのようにして綿花から布ができるのかという工程の説明であったり(日本でもどこかで似たものを見た記憶がある。地元の民俗資料館だったろうか。時代は異なるのだが)がなされていた。

そしてきた道を戻り、コロニア・グエル教会堂へ。入り口にひとりいたスタッフのかたはとても気さくで良くしてくださった。写真はフラッシュもOKよ、とのことだった。立入禁止のゾーンにさえ入らなければと。

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他に人がおらず、ひとりでその世界に入ることができた。空気は外より少し冷たく、西側から差し込む暖かい光に照らされ、沈黙の中に自分の足跡とシャッター音のみが広がった。

サグラダ・ファミリア、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園でみたどの建築物とも異なる雰囲気であった。

どれよりも優しかった。

観光用の顔をしていないというのだろうか。綺麗に手入れは施されているが決して着飾っているようには感じられなかった。それが自分にとってこの地下聖堂を自然に、身近に感じさせてくれて、それが優しいと感じられたのだと思う。加えて、こじんまりとした空間、有機質に感じられる壁・天井、学校を思わせる椅子、穏やかに差し込む陽の光、暖かく光るステンドグラス。この辺りが僕に親しみを抱かせ、優しいと感じさせたのだろうと解釈している。

昨年の1月にジローナのカテドラルへ入った時も他に人はおらず、静寂の音が聞こえる程に静かであった。その時にはその荘厳さに何故か涙が滲んだことを覚えている。その時との感覚の違い – その荘厳さに圧倒され涙するのか、そうではなく包み込まれるような優しさを感じるのか – は上記の違いによるのかなとふと思った。勿論外的・物理的な違いにとどまらず、自分の内面であり、なにかそういった考えを超えるものも作用しているのかもしれないのだが。

気が済むまでその雰囲気の中に身を置き、写真を撮っていた。ちょうどそろそろかなと思った頃にちょうど数人他の方々が来られた。

そのタイミングで地下聖堂を後にした。

帰り道、家の近くを歩いていると、ディアゴナル通り(バルセロナを東西にはしる大きい道路)の遠くが鮮やかな金色になっていた。

_aDSC6302とても綺麗な夕暮れになると思い、家路を急いだ。自分の家か屋上からならもっと綺麗に見られると思ったので。

_aDSC6309結果、夕暮れのタイミングに間に合わず、かつ角度的に夕日が山際に沈むの様は見られないことに気づかされた。

ディアゴナル通りが綺麗だったので、写真に収めて帰った。

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