チームワークに関する気づきとチームに所属する意味

先日のMarketing Planning and Implementationのクラスのアサインメントを終えて得られたものをまとめておきたい。その後チームに所属する意味について普段思っていることを簡単に書きたい。

自分のポジション
このタスクを通じて、チームの中でのポジションが明確になった。ものごとをStructureするのが上手い、資料をつくるのが上手いと。自分の仕事に鑑みれば決してほめられた話ではないが、それでも良いことだ。前々から会話の中でどうしたほうがいいという話をしたり、ホワイトボードに書いたりはしていたが、実際にアウトプットし、加えてそれが教授から良いフィードバックを受けられると、皆自然とフォローしてくれるようになる。

チームの議論を通じてより良いものにできる
時間がなかったので、ほぼ全て自分でつくっていた。区切りのいいところで(Horizontal Logicを通した時点、Strategyまでの説明をつくりあげた時点)チームにシェアしていたが、やはり議論・アプローチの仕方が異なるので仲間の意見をうまく引き出せなかったと感じている。
結果議論がよくできたのは、submitした翌日、月曜の朝のチームミーティングだった。完成した資料をみながら数字の前提の確認等がメインにはなったが、話していると自分の頭もより整理されるしより良くするためのアイデアがもらえたり気づくきっかけをもらえたりする。
限られた時間の中での話だから、全体としてどれだけの時間を投入できるのか、どこまでつくりこんだタイミングであれば上手い議論ができるのか、という点考える必要はあるが、一人でつくりきるよりチームの力でつくったもののほうが良いものになるなと感じた。

行動・結果を通じて伝えるメッセージは強い
英語力にも起因しているかもしれないが、言葉を尽くすより自分の行動で見せる方がよほど強くメッセージできる、相手に伝わると感じた経験でもあった。仲間がみな感謝してくれたし、プレゼンできを褒め称えてくれた。一緒に担当していた仲間もキャッチアップして一緒にプレゼンに臨んだ。限られた時間の中で最善を尽くしてくれたと思う。
言葉だけでなく行動で、そして結果で自分のコミットメントを伝えることで、周りも一緒に盛り上がることができたかなと思う。
チームに所属する意味は、チームに所属しているときとしていないときのふるまいの差分だ。
例えば信頼関係。誠実な人や優秀な人を信頼する。誠実でない人、力のない人を信頼しない。恐らく当たり前だ。しかしそれをチームメイトに対しても同様に適用するのなら信頼関係に関してチームに所属する意味はない。チームメイトだから誠実にみえずとも信頼する、優秀でないかもしれないけど信頼する。程度問題こそあれ、このふるまいの差分がチームに所属する意味だ。
例えばチームワーク。自分のスケジュールに余裕があるからサポートする。余裕がないからサポートしない。恐らく当たり前だ。しかしこれをチームメイトに対しても同様に適用するのならチームワークに関してチームに所属する意味はない。チームメイトだからこそ自分に余裕がなくともサポートする。このふるまいの差分がチームに所属する意味だ。
勿論ここに書いた逆の話もある。チームだから甘えられる、許されることというのもあるだろう。何にしろ、チームに所属する意味、そのチームでいる意味を高めたいのなら、難しいシチュエーションでこそ相手を信じ、自分のリソース(含む時間)を相手に割くことだ。いつもうまくできるわけではない。少なくともどうしたいかというスタンスは貫くべきであると思う。それによって相手をうまく支えられない場合、信頼出来ない場合における自分のふるまいは大きく異なってくる。
相手と過去は変えられないが自分と未来は変えられる。相手ではなく自分に、過去にではなくこれからにフォーカスして行動していくことが大切だ。

コメントを残す