ラブック

遅ればせながらのエントリー。
先週の日曜日はラブックに顔を出す。僕は本を読むとき端っこは折り曲げるわ線は引くわ自分の考えたこと感じたことはそこに書き込むわ(ボールペン)で、人にあげられる状態の本がほぼなかったのですが、偶然にも自分がとっても気に入っていた(深い学びを与えてくれた)本が最小限の被害?で保管されているのを見つけ、それを手に参加。(ちなみにその本はこちら・・・なるほどキレイに残っているわけだ(^^;)この頃はプロジェクトが佳境だったことを思い出す)
このイベントの魅力的なところは3つあって、まずそれぞれがオススメの本を一冊ずつ持ち寄って交換するので、その人となりや何を学んだのかとかその人の歴史の中でのその本の位置づけを感じながら手にすることができる。次に、他にも譲っていいと思う本を持ち寄っているのでその中で気に入ったものを安く購入することができる。最後に、軽食や少しのアルコール、そしてJazzの生演奏を聞きながらゆっくりと本を楽しむ・出会いを楽しむことができるのだ。
売られている本はきれいなものが多く、自分の本を持ってこなくて良かったな(^^;)なんて思ったりしながらいくつか購入。本の交換は、いつもお世話になっている方の本をいただいてきた。
本を見ていて思ったのだけど、こういう場にくると、どんな本かっていう本そのものよりも、誰が読んで、その人に何をどう感じ取らせた本なのかというところに興味がわく。なので自分が尊敬する人が読み学んだものに惹かれたのだ。
とてもいいイベントだと思うので、また折を見て参加したいなと思う。

無条件に信じろ

今回のプロジェクトはこれまで経験してきたものとは少し毛色が違って新鮮だしタフだ。一緒にプロジェクトに入っている人は他の業界や職種での経験が豊富で、素直に言えばコンサルタントとしての基礎の部分にはムラがあるがツボにはまるととても頼もしい。
当初は、以前エントリーしたとおりで、コミュニケーションが円滑にできていなかった(今も根気がいる)。それについて、自分でプロジェクトのベースを握ってしまえば許容できる、枝葉に惑わされずに自分でコントロールできると考えていた。けど自分のworkにも限界があるわけでうまくやりつづけるにはちょっと厳しい。
そんなこんなで結局辿り着いたのは、相手をまず無条件に信じろということ。
ゆっくりかく時間がちょっとないが、相手を信じると批判であってもなんであっても素直に、ネガティブな感情を添えずに話ができる。自分が信じているということ、素直にまっすぐに話をしているという姿勢が相手にのしかかっているプレッシャーや、ネガティブな感情を取り除いてくれる。相手も自分に対してまっすぐになってくれる。率直に話をしてくれる。
信頼関係が生まれる。
そりゃあギリギリの状況もあるわけで、信じてるだなんだ忘れてバッサリいってしまうこともあるけど、そのときは後から素直に謝ればいい。その事情を話せばいい。どこかで信頼しあえていれば時間はかかってもチームのつながりがばらばらになってしまうことはない。より密になれる。
その人だからできることがある。
このチームだから出せる力がある。
頑張ろうと思う。
#信頼関係の有/無とコミュニケーションのOpen / Closeでマトリクスを考えると、(おそらく特にあわないと感じられるヒトとの関係は)信頼関係無×Close → 信頼関係無×Open → 信頼関係有×Open → 信頼関係有×Close、となっていくのかなとふと思った(密に結びつく必要性が発生している場合。じゃなかったら信頼できないと感じるヒトと話すことはないだろうし)。
コンサルタントでたまに、不信感ありありというか、上から目線で突き放すように何でもいう人がいるけど(この手の人はロジックは意識できている人が多い。正しいかは別だけど)、それは信頼関係無×Open。そのやりとりしかできないうちは本物のチームにはなれないと思う(本物ってなんだ?信頼感の有無って何だ?って話だけど)。

ふと気になること

”今の自分は過去の自分の結果である”
っていう一言がふと頭をよぎる。
将来の自分は今の自分の結果なわけだ。
今日の自分の先にどんな結果があるのか。どんな結果を得るための今日の自分なのか。

変わり目

最近、ちょこちょこ仕事系の小物だったりを入れ替えています。
社会人になった頃に買った名刺入れ、思い返せば高校の頃から着ているコート、大学時代に買ったマフラー等々(物持ちの良さに定評があります)。
何につけ一目惚れしたものだけひたすら使い続けるというクセがあるので入れ替えた新しいものたちも、きっと長い付き合いになるんだと思っています。
少し寂しいのと、少しワクワクするというか気恥ずかしいというか気が引き締まるというか緊張感があるというか(なんだなんだ)の入り混じった気持ちになりますね。こういうときは。
大切に付き合っていきたいと思います。

収まりきらない位が面白い

一緒に仕事をしているパートナーが面白い。
勿論常にクライアントの期待値を超える価値を出し続けている(パートナーとしてのパフォーマンスは果たしている)のだけど、それだけにとどまらない。
なんだろう、コンサルタントとか、パートナーっていうより、”その人”っていう感じなのだ。
パートナーに必要な能力が整理されているとして、それを過不足なく満たしてるというわけではなくて、なんだかんだで満たしてる上、その整理された枠に収まりきらない部分がいっぱいある。で、それが面白い。それがその人らしい。
組織で人を評価・育成するときに、スキルセットのカテゴリやレベルを定義することはよくあるのだと思う。そうすると評価しやすいし育成しやすい(組織の意図を含めて)。ただ、それが行き過ぎるとその基準を満たすインセンティブが強くはたらいて、逆にそこに定義されていない能力を発揮するインセンティブが失われる。若いうちからその枠組みの中で育つと定義されていない(評価されない)能力を感じ、学習するレセプターさえ育たない。
枠組みを満たすために過不足なく成長しようとするよりも、自分らしさを理解して、結果として満たす、収まりきらない部分も楽しんで伸ばす。
そうしたほうがおそらく魅力的な存在になれる。上記のような枠組みが仕組みとして成熟すればするほどに。
そんな気がする。(その仕組みにこめられた意図や価値をキチンと理解せずに放り投げてしまうのは違うが)
キャリアにも同じことが言えると思う。