手の届く貢献を無視するな

プロジェクトの中でクライアントに僕達のチームの柔軟性を評価されることがある。臨機応変だということと理解している。振り返ってみると自分達がやってきたことは手の届く貢献はする、ということだろうか。勿論本来の目的やゴール・本質的な打ち手は忘れることなく、と書いてふと思った。本質とは何か。そもそも何の本質を突くことがプロジェクトの本質なのだろうかと。
たまに、こたえるべきIssueは何かということを考えているうちに、カウンターパートのではなくクライアント企業のIssueが何かというところをひたすら考えているケースがある。カウンターパートが企業としてどうしたらよいのかと言うことについてIssueを持っているのであればそれでいいのだけど、そうでなかったらそこだけ考えていても話が宙に浮くだけ。当事者意識の届かないところに話がいってしまうだけ。
相手がそれを考えるべき人で考えられていないなら、なぜそれを考えるべきなのか、考えないとどうなってしまうのか(考える価値は何か)、考えるとしてどういったやり方があるのか、今時点で自分達コンサルタントは同考えるべきだというオプション(仮説)を持っているのかを徹底的に議論する。
そうじゃないなら、上位のIssueを踏まえて、カウンターパートは彼/彼女のポジションとしてどんなIssueにこたえるべきなのかを議論する。
話がそれた。
何はともあれ、プロジェクトの目的がこうだから、やるべきことはこうだから、といって手が届く貢献をせずに最短距離をひたすらに走ろうとするのはちょっと違うなと思ったわけだ。クライアントはプロジェクトの期間中、そのプロジェクトでこたえるIssueだけが頭の中にあるわけじゃない。それにこたえる(プロジェクトのアウトプットをだす)だけが、(大規模な)組織の中に所属して活動している彼らのミッションではない。勿論そんなことをしてる余裕がない、というくらいにクリティカルな問題を解決しようとしているなら話は別だけども。

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