基本に立ち返ってみる

進化させながら、進めている勉強会の第一回目のテーマは「ロジカル・シンキング」。
振り返ってみると、僕の「ロジカル・シンキング」デビューは社会人になって間もないころだった。きっかけはThink!という東洋経済の雑誌の創刊号の最初のバーバラ・ミントの寄稿を読んでだったと思う。程なく僕は「考える技術・書く技術」に手を伸ばした。ピラミッド・プリンシプル。そのシンプルながら本質を突いた考え方に当時の僕は憧れ、積極的に実践した。最初は非常にぎこちなくて、われながら日本語が不自然だなと思いながらメールにしても普段の文書にしても時間をかけて頭をひねりながら書いていたことを覚えている。
そして2004年の春、今から3年とちょっと前からGMSに通い始める。最初に履修した科目はクリティカルシンキング、即ちロジカルシンキングのクラスだ(おそらく厳密には単に自分の頭の中で論理的に考えるだけでなく、Issueが何であるのか混沌とした現状に問いかけ、そこからロジックを組み立てていくということでクリティカルシンキングという名前にしているのだと理解しているが)。
ここでは単に自分の頭の中をロジカルに整理するだけでなく、聞き手が納得する、聞き手の反論に備える、そして優しく伝える、ということまで意識をするということを実践して学びを得ることができた。何より、IssueとFactの前に歳もポジションも経験も何も関係ない、というのを体で感じることができた。
それまで自分で勉強していた内容であったし、楽しかったし、何よりすばらしい仲間に恵まれたし、結果としてMVPをとることができた。
そんなロジカル・シンキングも今となっては特別意識することも無く、実践できて当たり前だろという環境に身をおいている。
日々のworkの中で意識することが少なくなっているロジカル・シンキング。このタイミングで基本に立ち返って復習して再び磨いていける機会をとても貴重に感じる。自分の思考プロセスを今一度ブラッシュアップしてこれからの学習であり仕事でありにつなげるために、しっかりとこの機会をものにしていきたいと思う。
ちなみに今回の参考図書は「ロジカル・ライティング」、Think!の創刊号をふと開いてみると、すでにこのとき照屋華子さんがロジカル・ライティングについて寄稿されている。びっしりとメモがしてあるし線も引いている。
過去の自分が何を考えていたのかがわかるし、復習することがいよいよ楽しくなってくる。
目の前の仕事がいくらタフになったとしても(今日も大きなタスクが1つ追加された)、自分への中長期的な投資は惜しまず定期的に実施していきたい。
そうやって過去継続してきたことが、今の自分を支えているのだと感じているから。

Hakone

この週末は(半ば無理やり)箱根の温泉へ。久しぶりに自分のPCを手放しての週末だった(現在その分のリカバリー中なのだけど(^^;))。
とても良い旅館だった。全体の雰囲気・外の世界との壁のつくり方が特に良かったが、細やかなサービスもうれしいものが多かった。
旅館に足を踏み入れると外とは一線を隔して、その旅館の世界がつくられており、外はあまりみえないようになっている。旅館の棟がL字がたっぽくなっていて、そのLの内側に露天風呂や庭等が配置されている。なんとなくディズニーランドっぽい。
また、チェックインを待っている時間は食事どころがカフェとしてあいていてコーヒーを自由に飲むことができる。夜は22時からなくなるまで中華そばが無料で食べられる。露天風呂を出るとそこには氷に刺さったヤクルトが。そしていろいろな柄の浴衣を自由に選べる所に至るまで。細かいながらもうれしいサービスが多い。
部屋の雰囲気も、食事も、温泉もよく、挙句には岩盤浴も初めてやってみた。横になって早々に眠りにつき、20-30分後に目が覚めたら全身汗だく。横になれるぬるめのサウナという感じで気持ちがよかった。
こうした場所にきて普段の生活を振り返るとどうも肩に力が入っているというか、ほっと心から落ち着く場所・時間を確保できずにいるというかを感じる。おそらく思うのは、箱根に来てみると何も意識をせずとも目に緑が飛び込んでくるが東京ではそれがなかなか無い。むしろ飛び込んでくるのはビルやアスファルトの色。
そして普段生活している空間がだいたい家とオフィスなのだけどどちらもくつろげるスペースがない(特に問題は家。会社はどうにもならないので)。
これからは意識して自分をリラックスさせていきたいと感じた。
旅館近くの公園にふらりと近づいてみると、そこにはまだ桜が残っていた。

恵まれた環境

明日はプロジェクトの最終報告。
あさっては次のプロジェクトのキックオフ。
しあさってはもう1つアサインリクエストがあったプロジェクトのミーティング。
その合間にボランタリの活動が入り、例の勉強会の準備が入り、個人の学習の時間も入れる。
たまにプレッシャーを感じたり、時間の無さに焦りを感じたり、今こうして動いている自分が正しいのかなんてことを考えてしまったりすることもある。正しいかどうかは自分の意志と結果が決めることであるはずなのに。
だけど、
どの機会も新たな刺激や出会いと成長のチャンスに溢れていて楽しい。
理想の自分をどこを探しても見つかるものではない。見つからないことに気をもんでも何も変わらない。
今、この現実の一瞬一瞬の中で理想の自分として振舞い続ける、理想の自分に少しでも重ろうとし続けた結果、そこに理想の自分はいる。
長期的な視野、計画的なキャリア、戦略的な経験。
どれも大事だけど最も大事なことは、
今このときに理想の自分に重なる最大限の努力をし続けること、そしてその過程を思い切り楽しむことだ。

継続継続

今日は午後は例の勉強会をやり、その後は大学時代の友達が東京に来ているということで久しぶりに食事に行った。場所は六本木ヒルズ近くの中華料理やさん
勉強会は他のメンバーは初のケーススタディということでひとしきりディスカッションし、試行錯誤し、だんだんと成長するためにどうするべきか具体的に考え始められていたので、この経験を踏まえてこれから先どうして行くかのディスカッションを行った。
ディスカッションした結果だけを見ると往々にして当たり前のことがアウトプットされていたりする。ただ大切なのは、最初から実感の無いままロジックで固めてしまわずに、メンバー全員が実感を持って自発的にディスカッションし納得していること、そして次以降継続するモチベーションを持っていることだと思うが。

・学習のステップを整理しよう
・各ステップの時間を明確に切ろう
・サイクル毎に振り返って、そのテーマに関する学びの共有、学び方に関する学びの共有をして次につなげていこう

という感じ。
・学習のステップは3つにした。
最初にまずディスカッションできる基盤となる知識をインプットする(書籍を選んで各自理解して学びのプレゼンパッケージを作成。当日ランダムでパッケージをシャッフルしてプレゼン(こうすると資料作成時に、下手なものはつくれないというインセンティブが働く。そしてプレゼン時にはその資料の良し悪しが身をもってわかるし、それでもプレゼンして突っ込まれるので頭の回転もゆるまない(仮説))
次にその知識を基盤としたテーマについてケーススタディ実施。ケースはB-schoolから購入するか身の回りにあるものを採用する。最初はできるだけ知識カテゴリをまたがない程度の簡単なケースがいいかなと考えているが、このあたりの選択、進め方はチャレンジ(カテゴリが切り分けられたケースだけやっても現実にそんな場面はほぼないので(往々にして最初の切り分けこそが重要であったりする))。
最後に上記の2ステップを総括。テーマ自体の学びと学習ステップについての学びをシェアして各人、そしてチームの良いところ/悪いところをフィードバックして次の回のテーマと計画を決める。
・時間は明確にきることにした
納得がいくまで議論することは大事だ、という一方で後ろを切っていなかったらそんなものいつまででもやれてしまうし、そもそも正解が無い中でディスカッションしていくのでムダにモチベーションを落としてしまいがち。なので”ここまでに納得しろ(させろ)”という時間を明確にきることにした。人間同じことでも1日あれば1日かけてやってしまうし、2時間しかなければ2時間でできたりするものだ。
・継続的に成長できるフィードバックステップを明確につけた
時間を明確に切って進めていくとしても、それが正しいのかどうかや学習した内容、その中での各人のパフォーマンスがどうだったか、今後うまくやっていくためにはどうすればいいかは考えるようにしていきたい。なのでそれをステップとしていれた。おそらく各ディスカッション後でもやっていると思うのだけど、1回1回を明確に区切って、学びを整理して次につなげていく意識が最初は大切。継続していれば成長機会・改善機会は探せるし手も打てるが、継続できなかったらそれでおわりなので。もちろん目的に対して手段が合わないという話なら勉強会も変えるなりやめるなりすればいいと考えているけど。
最初は時間がかかるかもしれないけど、ケーススタディに慣れたらステップ1ははしょれるだろうし、ケースもより複合的な問題として捉えて学習できるだろうし、継続するモチベーションさえあれば成長の加速度は上がっていくものと信じている。
自分が持っている力で成長をより大きいものにして早く進めていければいいと思う。(個人的にメンバーには”圧倒的に”勝ち続けていたいので)。後は現実に学習した成果を使うインセンティブを働かせる仕組みをいれておきたい。それができなければただのお勉強(そもそも現実における何らかの欲求が勉強会を動かす元になっているはずだしそれを忘れたらいけない)。
そして勉強会後は解散して六本木へ移動。友達と合流してぶらぶらしながらお店に入る。友達2人とも疲れているようだったけど楽しかった(^^)やはり持つべきものは友達。らくちん♪
仕事はたくさんあるのだけど、今日は一日それを忘れて、学び・遊ぶことができた。

おそまきながら目標を

すでに1年の1/4が終わっていたりするが、遅まきながら目標を具体的に考えてみた。面白いもので目標が具体的になってくると自分が普段の行動の中で何ができていなかったのか/何ができていたのかが見えてくる。ボクは目標とそれを達成するためだけに引いた計画に従ってCareerを選んでいく/進めていくっていう生き方はあまり好きではないけど、改めて目標の価値を実感。
後はやるだけ(^^)。
上に、目標とそれを達成するためだけに引いた計画に従ってCareerを選んでいく/進めていくのは好きじゃないと書いたけど、昔はそれに近い感じだったからそれを反省して今は変わった、とも言えない(^^;)
昔は計画さえもなかった。あったのは漠然としたあるべき姿と焦りだけ。
社会人になって最初に配属された組織に危機感を感じたからだと思う(その危機感がボクをGMSへ連れて行ってくれ、コンサルファームへ連れて行ってくれ、今もがんばっている?ことの最初のトリガーになっていると解釈すると本当に感謝する(^^))
”このビジネスってこんなんじゃだめだ!”
”このままじゃ自分がだめになる!”
”なんで周りはこんなことやってんだ!”
頭の中をぐるぐるぐるぐる回っていた。で、そう思っていても始まらない、と考えてまず大きく整理した。
(振り返ってみると浅いレベルでしか考えられてなかった。現実を拒絶する一方で、その、拒絶している現実に今いる自分を直視するのが怖かったからだと思う。焦ってる分には自分を見なくていいし、それを上昇志向だって解釈してしまえば周りのゆるい(?)人に比べて俺は違うっていえるから。でも現実をちゃんと解釈したら、ただ逃げてるだけの自分が浮き彫りになりそうで怖かったからだと思う。)
①今の環境変える
②自分の解釈を変える
③他の環境に移る
で、③だと思った。あるべき姿を考えたときに、①をやっていたらあっという間に時間が過ぎてしまうし、そもそも変えられるかどうかわからない(半ばフラストしてあきれていたので変えるモチベーションもなかったかも)。②は直感的にヤダ、曲がってたまるか!と。じゃあ③だと。
そしてボクは仕事は必要最小限のことをさくさくとこなし、時間をつくり、GMSと③の準備に傾けていった。反動も手伝ってかGMSも③も新鮮で楽しくて、特にGMSでは大切な仲間に出会うことができたと思っている。
で、ひょんなことから③の機会を得る。即決でOKし、パートナー面接もなんとかクリアしコンサルへ移る。
…って書き出すと長いのではしょって結論を。
・今つながれてない、達成できないって思うような目標なんて目標じゃない。
・目標は絶対に達成できるものだってこと。そして今自分が立っているフィールド、与えられる機会をめいっぱい目的達成の糧にする努力をすること。
・で、どんなプロセスも通るからには覚悟を決めて思いっきり楽しむこと。
・目標にあまりこだわらないこと。
過去の経験が自分をつくっているのだとしたら、どう解釈しても、何をどうやり過ごしても、その今が自分になる。だったら自分だけの、崇高な目標とそれにたどり着けない現実のGAPに絶望したり、ましてや自分に絶望するよりも、今その現実にいて、自分の目標は何なのかを考えたほうがいい。そしてそれを変えないのなら今の現実からどうやればそれに近づくことができるかそのプロセスを考えたほうがいい(現実の解釈の修正も含めて)、それでもどうにもならないなら、その場所から去るか、その場所での目的をきめてそこでの経験を思い切り楽しんだほうがいい。
そもそも目標もプロセスも自分で考えたもの。自分が完璧じゃない、100%完璧じゃない存在ならその目標もプロセスも正しいとは言えない、もしかしたらその環境を楽しんでるうちに新しい何かを見つけられるかも知れない。
手段は目的に従う一方、(新たな)手段が目的を育てることだっていくらでもある。
そして、目標に重なることに囚われすぎると気づかないうちに自己中心になる。自分の現状と目標のGAPしか目に入らなくなる。そのGAPよりも今目の前で自分を必要としてくれている人のほうが大切なはずであっても。
ということで(どういうことだ)、具体的にした目標をもって、今の環境を楽しみながらこれからも成長していきたいと思います(^^)その過程でいろいろ出てくる偶然も受け容れて楽しんで生きたいと思います。
…目標を具体的にしただけのはずだったのだけど…なんでこんな話になったんだ。