はやまって

今日、ほとんど一日を家の中で過ごす。本を読んだり、その中での気づきやケーススタディをかりかりとノートでチャレンジしてみたり、頭の体操をしながらぼーっと過ごした。
先日購入した書棚が4月中旬に届く、ということまで分かっていたので、何となくそろそろ本の整理でもするか、と思い立ち、書棚(代わりにしていた棚)の整理整頓を徐々に始めた。整理整頓だけなら良かったのだが、意味なくやる気を出し始め、本を棚から下ろし始めた。
そろそろ書棚も届くだろうと思い、また今書棚代わりに使っている棚は書棚としての役割を終えた後はキッチンにて炊飯器やコーヒーメーカ、食器等々をしまう棚として頑張ってもらおうと思っていたため、早々取り掛かったのだ。
軍手をはめて、本をひたすら取り出す。次の本棚では本をカテゴリ毎に整理して、参照しやすくしておきたいと思っているので、そのカテゴリごとにまとめながらざくざく取り出しては積み上げていく。
そして、空っぽになった棚をキッチンへ移し、キッチンの整理。おかげでこれまで雑然としていたキッチンもスッキリ(^^)。
仕事をやり終えた感覚で部屋に戻る。
部屋の1/3半分が本の山になっていた…。(本だけでなく、棚の上においていたコンポやらなんやらまでもが解体されて横たわっていた。)
どうしようか。
このまま書棚がくるまで耐えきろうかとも考えたがさすがに無理。本の上での生活になる。
とりあえず棚をどけて空いたスペースへ積み上げる。
…結局書棚が届くのは次の週末。
届いたときにはまたそこに積み上げている本をどけることになる(^^;)
まあ部屋とキッチンがスッキリしたし、気分もスッキリしたので良かった。

プロフェッショナルとは?

少し前の話になるが、先週の木曜日(4/13)研修を受けた。講師はある著名なコンサルタントの方だった。
一日、QAを挟みながらの講義。本題そのものに関する学びは勿論のこと、研修中、そしてその後、自分の中で改めて考えた印象深かった内容は”コンサルタントとは何のために存在するのか?”、”プロフェッショナルとは何か?”という2つだった。
抽象的な話にとどまるが、コンサルタント、そしてプロフェッショナルというものについて考えていることを少し書きたい。
”コンサルタントとは何のために存在するのか?”これはシンプルだと思う。簡単に言ってしまうと、”Clientの継続的な成長”のためだ。Clientの成長とは何か、それを継続的に実現するためにはどうあるべきなのか、それに対して現実とのGAPはどこにあるのか、そのGAPを生み出している本質的な問題/その原因は何か?、そこに対して最もインパクトのある打ち手は何か?それらを実行するためにはどうすればいいのか?それらをClientと共に描き、頭・心・体の全てでCommitできるものを練り上げる。そしてそれをClientが実施する過程を支援する。
以上を実施すること。そのためにコンサルタントは存在する。当たり前だけど大切なのはこれを当たり前に実行し続けること。
”プロフェッショナルとは何か?”これもシンプルだと思う。簡単に言ってしまうと、”継続的に目的を達成し続けられる力を向上させ続け、目的を達成し続けられる人間”だ。
講師の方の話で印象に残っている話がある。彼が新しい事業所の立ち上げのために半年ほどフィールドのコンサルタントを離れ、社内のライン業務に従事した後のこと。半年ぶりに彼がフィールドのコンサルタントとしてプロジェクトに入ったとき、そのときのマネージャ(彼も日本を代表するコンサルタントの方)から言われた言葉。
「お前、なまったな。」
彼はその言葉を聴いて背筋が凍ったといっていた。本当に怖いと思ったと言っていた。一瞬引退も考えたと。
野球やサッカーと同じ。目的を達成し続けられるための成長をとめてしまったら、目的を達成することができないのであれば、その場合はプロフェッショナルとして存在することはできないのだ。
今の時代、ロジカルシンキングなんてコンサルタントに限らず殆どのビジネスパーソンが一度はかじっているし意識をしていると思う。経営活動にかかわる一連の体系的な知識にしても、国内でも質の高い学習を受けられる環境も整い、MBAを持っているClientだっていくらでもいる。
そんな中でもコンサルタントというプロフェッショナルとして存在し続けるために必要なもの。結局は最初に書いた通りなのだけど、それは、
正しい問いを特定し、それに対する解を導き、その解を最もインパクトが大きくなるようにやり方を組み立て、Clientの実行を支援して目的を達成する。
愚直に、そしてClientの目的に対して徹底的にCommitしてやりぬく。そんな姿勢を貫き、結果を出し続けることではないかと思う。
結局それかよ?
と自分でも感じる。
それと同時に、結局これだよな。とも感じるのだ。
そして、自分がコンサルタントして存在し続ける限りは、こうありたい、と思うのだ。
逆に言うと、こうあれなかったら、それはコンサルタントではないと思うのだ。