ドレミにて

4日(火)はたまたま東京に出張に来ていた大学からの親友と人形町のドレミへ飲みに向かった。知らなかったのだけど有名な鉄板焼きのお店らしい。おいしかった(^^)
文字で書くと微妙だけど、ざっくりかくと、マヨネーズが遠くから細い滝のように飛んでくる。玉ねぎでドームがつくられてその中に油かお湯かを注ぐことで火山に見立てるような”見せる”焼き方を披露してくれる。そして味はおいしい。お好み焼きはふわっふわ。
で、話題に上ってきたのは2つ。
1つは仕事、1つは結婚。
今年前半に、今の会社を辞めて次のキャリアへ進む。そして結婚する。当然ながらその2つに話題は集中した。
最近仲の良い友達が何人か結婚に至っているが、その過程はやはり一筋縄では行かないようだ。そして、その一筋縄ではいかない過程を二人で乗越えていくその過程にて、二人でそれから先末永くともに生きていく、物理的な準備であり精神的な準備がなされていくように思える。また、お互いが自身の親から、本当の意味で自立するタイミングも、結婚というタイミングなのかな、という気もする。
特にお互い実家住まいで、俗に言う半同棲等、お互いの日常生活に関しては触れてこなかったという二人であればなお更その準備にかかる負荷は大きく、その負荷から得られるものも大きいだろうと思う。生活のサイクル、その中での優先順位のつけ方、種々の振る舞い等、付き合うという経験だけでは見ることができないものが見えてくるのだから。その結果として、自分の価値観だけじゃない、彼・彼女だけの価値観じゃない、二人の価値観というものをつくりあげていくんだろう。
で、この結婚というタイミングで親から本当の意味で自立しているような気がする。なんでそんな気がするのか考えてみた。端的に言うと”帰る家が変わる”からだろう。自分たち二人で、親にはできない自分たちの家庭というものを築いていくからだろう。そして、この結婚というものを機に、自分個人として背負うものが、自分自身の人生以外にも発生するからだろう。
なんだかんだいいつつも、彼らの幸せを心から祈っているし、それを実現する上で自分にできることがあれば、で、それを自分がやるべきならば、ちゃんとやってあげたいと思う。
結婚する友達みんなに、”なんで結婚することを決めたの?”と聞くと、大体はっきりした答えは返ってこない。勿論自分のうちに秘めておきたい、って人もいたのかもしれない。ただ、よくよく考えてみると、その質問に対して、”うん、理由は3つあるよ。1つは…”と明確に答えられてもおそらく自分は納得しないんじゃないかと思う。
結婚する理由を知りたい、と思いつつも、それが言葉で100%説明できてしまうことを望んではいない、というところだろうか。言葉で言い表せないものであって欲しい、もしくは言葉でキレイにまとめてしまうことがもったいなく思えるような自分たちとして特別なものであって欲しい、みたいな。
まあ、自分がするときになったら結果として身を持ってわかるのだろう。