親の上京

今週の水曜日だったろうか。急遽週末に親が来ることが決まった。
週末は予定が既に入っていたので、金曜日の夕食を一緒にとることにした。そのお店やホテルの手配も何とか間に合った(夏休みだからか土日が重なるとなるとなかなかホテルは空いていない)。お店は姉が隠れ家のようなところを探してくれた(金曜日の夜の繁華街はなかなかお店が空いていない)。父親がJAZZ好きなので、JAZZが流れる和食のお店。スバラシイ。
銀座で待ち合わせることにしていた。時間ギリギリだったので急いでいると父親から電話があった。どうやらタクシーに乗ったものの運転手さんにうまく道が伝わらないようだった。
父:××の交差点でいいんだよな?
sa:そうだよ。
父:ちょっと代わるわ(運転手さんに)
sa:うん。
運:どこにいけばよろしいですか?(イライラした感じ(声が大きくて相手にぶつける感じ))
sa:××の交差点でお願いします。
運:××といっても広いんでそれじゃわからないんですよ。○○通りですか?△△通りですか?
sa:××の交差点は○○通りにしかありませんが。同じ名前の交差点があるのですか?
運:だから、○○通りですか?△△通りですか?
sa:(いや、だからじゃないよね。もう通りの名前言ってるんだし)○○通りです。△△通りは□□の交差点ですよね。××の交差点に来て欲しいと言っています。(××と□□は名前が似てる)
運:○○通りですね。わかりました。
sa:はい。それではよろしくおねがいしまーす。
道の覚え方は色々あると思うが、それにしても融通利かないなあ(自分も利かせなかったが)と思いつつも結局は時間通り、無事合流してお店へ。
料理をつつきながら、タクシーの会話になった。そのときの母の話。

今日東京についてから2-3度タクシーに乗せてもらったんだけどみんな運転手さん親切でねー、明日はどこどこで花火大会があるとか、それはどこで見るといいとか、東京のことを色々と教えてくれるのよ。
で、さっき乗ったときに少し”あれ?”っと思ってね。電話でも感じたと思うけど、なんていうの、少し冷たい感じの人だったのよね。
でもね、降りる時にチョコレートをあげたの。今日は暑いしお疲れのところありがとうございました、良かったらこれ召し上がってくださいねーって。そしたらその人すごい喜んでくれてね”私がこんな・・いただいてしまっていいんですか?ありがとうございます!”って。最後はすごい笑顔をしてくれたのよ。
今日は、○○と××とその運転手さんと、全部で3人のひとに喜んでもらうことができたわー。良かった。

普段自分が忘れていた大切なことを思い出させてくれたり、気付かせてくれたり。
学ぶことは尽きない。
食事を済ませて、ホテルへふたりを送ってから帰宅した。

言葉を支えているもの

今日は23時過ぎにミーティングを終え、軽く食事を取って先ほどホテルに戻る。相手は最近一緒にプロジェクトに入っているコンサルタントの人。もともとしゃべる人だし、それにつられてついつい自分も口数が増える。食事をしながら話し続けるため、(飲んでいるわけでもないのに)気がつけば2時間近くも経っている。
相変わらず魅力的なのだが、行動を共にしていて感じるのはその人の言葉が全てその人自らの経験、その結果、そこからの学びに支えられているということだ。
知っただけではない、自ら検証し、体で理解した内容が言葉になっているのだ。
人から伝え聞いた話をそのまま流しているわけではない。学んで知っただけの話ではない。自分の想像の世界に描かれただけの理想と現実のGAPの話ではない。
すべてがその時点までに、経験に活かされていて、その結果から学び、磨いた内容なのだ。
言葉の裏にはその人の人生の哲学であり、意志でありが詰まっている。それらに支えられた言葉なのだ。
このような会話から学ぶことは無数にある。
言葉以上に雄弁に、彼という存在が自分に多くを語りかけてくれる気がするのだ。
純粋に面白いというのもあるのだが(^^)今日読んだ本の言葉を1つ思い出した。

仕事の効率が悪い方が、そこで働く人間達は豊かな人間関係を持つことが出来る

話の中にはバカな話もたぶんに含まれている。でもそうする時間が仕事だけではない、人としてのつながりを強くし、苦労さえも共にする楽しさや信頼関係を生み出す気がしている。
本当に人に恵まれていると思う。
#ホテルにチェックインしてみるとなぜかツインだった。。。1つ広いベッドがあってくれたほうが嬉しいのだが。明日のミーティングの資料を軽くつくって早めに眠りたい。

新幹線の中で

前日入りのため本日新幹線で移動。
東京から3人並びのシートの窓側に座っていると品川から横に2人(男女)が乗車。
おそらく音楽系の仕事をされている方で、一人はミュージシャン側、一人はマネジメントというか裏方というか側。
私はやっておきたいことがあったのでPCを開いてキーボードを叩いていたのですが、横の二人がまもなく口論?ディスカッション?へ突入。
頭にきているが故に過剰に冷静に振舞おうとしてしまい、自分の気持ちも相手の気持ちも汲み取れずに論理的に話す女性。
その相手の鋭さを和らげようと気を遣うあまり過剰に謙ってしまい、質問への答えではなくて自分の落ち度、その他周辺情報を仔細に話し続ける男性。
質問に答えない男性に腹を立てて女性はより冷静さを装う。言葉だけを捉えて論理的に。
それを和らげようと、男性は自分に非があることを認め、反省の弁を述べることに終始して相手の質問に答えなくなっていく。
男性は女性の質問の言葉ではなく責める雰囲気に対して答えていて、
女性はそんな男性の雰囲気をフォローすることなく言葉だけを捉えて論理的につっこむ。
相手の気持ちを汲みとる心と、
事実と責任の所在を切り分けて客観的に話をする頭、
その2つをそれぞれ持つことができれば有意義なコミュニケーションができるのになと横でしみじみ思った。
切符をぱちぱちはじくことも、ペットボトルに爪をかちかち立てることも、同じアクションでもやる人の持っている感情がかわるとこうも異なった印象を伝えられるものなのかと、改めてノンバーバルのコミュニケーションの効果を感じた。そして、やっている本人はこれほど強力なコミュニケーションの手段をこうも簡単にコントロールせずに自分の感情を流してしまうものなのだなと感じた。
自分の行動に気を巡らせていきたいと思う。
そうこう考えているうちに、自分のやりたいことも無事片付け、ブログのエントリーとしてこの文章も書き終わり、目的地に着いた。
少し寝て疲れを取ろうかとも考えて乗り込んだ新幹線だったが、ひょんなことからコミュニケーションについて改めて考えることができた。
その2人の話し合い、うまくまとまっているといいなあ。

その笑顔だけで

最近クライアント先に行くことが多く、結果出張も増えている。
クライアント先では部屋に入る時にセキュリティでロックされているのでいつも入り口で中の方にインターホン?で連絡して開けてもらう。
その時にドアを開けてくださる方が素晴らしい。
インターホン?が中の電話につながっているのだと思うが、それに出た時の第一声からとても爽やかで明るいのだ。うまい表現が浮かばないが、声がもう笑顔なのだ。
”すぐにお開け致しますねーっ”
と、そのとおりすぐに開けて挨拶をしてくださる。
意図的につくられた声の抑揚や口角の上がり方をはじめとする表情ではなく、全てが自然で輝いている。
あまり眠れていないときもあるのだが、元気がでてくる。
こういうの、大切だなと思う。
普段の自分を振り返ってみると、どうも最近ちょっとくすんでいたかなと反省。笑顔よりは小難しい顔をしている時間の方が長かったような気がするし、感情をストレートに表情に出すこともあまりしていなかったと思う。
意識して輝ける?笑顔であいさつしてみようかな。