[書評] 嫌われる勇気 -人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと

自分の人生を歩むために人に嫌われることを厭わない勇気を持つというのは大切なことだな、と思って手にした。

僕は人に好かれるために自己犠牲を払うとか他人の人生を生きるといった類のことはもともとしない。一方で堂々と人に嫌われることもあまりしない。

留学を通じて自己主張すること、軋轢を乗り越えてチームで動きアウトプットすることの経験を積んできたがまだ足りないように感じている。

アドラー心理学は『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーや、『7つの習慣』のスティーブン・コヴィーの思想に近いものがあると説明されていたがその通りだと感じた。そう考えて読むと理解が早い。

本は青年と哲人の対話形式で進む。この青年のキャラクターに違和感を覚えるのだが、アドラーの考え方をメリハリをつけて伝えるために必要なのだろう。帯のコメントを見ると伊坂幸太郎氏は、最後にはなぜか泣いていた、と言われているが、僕はそうはならなかった。むしろ青年の変化に対する違和感を強めた。ここは内容の本筋ではないのだが。


自身の理解のもとにこの本にある内容をまとめると次の3つになる。僕のチャレンジは3つ目にあると思っている。

1. 責任の範囲を見極め自責・目的論で生きる

物事には自分が変えられるものと変えられないものの2つがある。まずここの見極めが大切だ。自分が変えられないものを変えようとする、思い通りでない結果を悔やむことは無価値だからだ。

変えられるものに関しては自身の望む結果を出す責任は自分にあるのでその責任を全うする。そうでないものに関しては、結果のいかんに関わらずそれをどう解釈しどうその後に活かすかは自分の自由だ。そしてその自由を活用するために必要なのは、その結果の被害者ぶることなく自分のその先の目的に焦点をあわせ、それに対して有益な解釈を選択することだ。

こうして生きることは自分と他人を比較する必要性をなくす。比較するべきは自分の理想と現実であるという思考にたどり着く。

自分がそうやって生きるということは、他人が同様に考えて生きることを尊重することにもつながる。それはこの本でいう課題の分離に通じるものであり、また縦の関係から横の関係へシフトするということにつながるだろう。

2. 今の一点に集中する

ただ過去の延長線を生きているに過ぎないとせず、未来のゴールに向かう通過点であるとせず、今を真剣に丁寧に生きる。

程度問題はあると思う。過去が未来を規定する側面もあるのだと思う。それでも自身の今であり将来を考えるとき、全ての過去はサンクコストだ。

また将来のゴールを見据え、今は数あるステップの1つであるという考えも注意が必要だろう。その考え方自体は問題ではないが、この考え方は、容易に現状理解・改善の思考を停止させるからだ。

それをする労力を払う前に、これは数あるステップの1つなのだ、いずれ終わるものなのだとフレーミングし、そいうことだからとやり過ごそうとするケースが多いように感じる。

往々にしてそれでは物事は思うように行かない。やり過ごせたとしてもそれは理想ではないはずだ。

過去に何があろうとも、将来に何を描こうとも、人はいましか生きられない。であればその今には真剣に丁寧に向き合い続けなければなるまい。

3. 仲間意識を忘れず他者貢献に焦点をあてる

自立し社会と調和して暮らすことをアドラーは行動面の目標とする。そのために必要なもの(この行動を支える心理面の目標)は、自分には能力があるという意識と、人々は自分の仲間であるという意識だとする。

周囲の人々を自分の敵だとみなせばそこに争いが生まれる。それは容易に縦の関係を築く。それでは社会と調和して生きることはできない、また他者との争い勝つことによって自身の優位性を強め自身の存在意義を感じようという行動様式が悪循環を招くことは容易に理解できる。

周囲の人々は自身の仲間であるという意識を忘れず、一方でそんな周囲の人々の期待を生きることをせずに自身の信じる他者貢献に焦点をあてて生きる。

この他者貢献をアドラーは導きの星であるとしている。旅人が北極星を頼りに旅をするように、自分たちの人生にも導きの星が必要であり、それが他者貢献であると。人がどんな刹那を送っていようと、たとえ人に嫌われようとも、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいいと。


幾つか印象に残った言葉を次に抜粋して結びとしたい。

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだ

「もし自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからにすぎない」

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる

わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」という思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーーによって引き起こされます。

他人の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。

自由とは、他者から嫌われることである

人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ

 

[書評] 非学歴エリート

生活のセットアップを進めている。落ち着いたら自身がIESE MBAを通じて得たものをまとめようと思いながら、落ち着く前であっても隙があればを読む。これまで満足に触れられていなかった和書で興味を抱いていたものを手にする。

タイトルはさておき、内容はoverachieveし続けるために筆者が何を考えどう行動してきたのかをまとめたものだ。書かれているtipsに、これまでにない何かが散りばめられているということはない(そもそもtipsの新しい古いは価値の大小とは無関係であり、実践し得られた結果がその人にとってのtipsの価値なのだが)。

ただ、単にtipsを紹介している書籍と一線を画するのは、ここに書かれている全ては筆者が実行し結果を出してきたものであり、選択の結果どのような経験をしてきたのかが本人の言葉で具体的に書かれていることだ。

個人的に改めて強く頷いたのは次の点だった。

P. 23 「個」としての目標。これが大切なのです。

P. 37 これが「浮遊層」です。彼らは、自分自身の目標と信念がなく、いつもふわふわ漂っています。他人の言葉や流行に左右され、端から見てよさそうなものには、考えなしに飛びつきます。そして、自分の信念がないので批判されるとすぐに落ち込みます。

自分とはまったく関係のない流行のビジネス書を読んだり、セミナーに顔を出して知識のつまみ食いをしたり、人脈交流会に顔を出してムダに知り合いを増やしたり、一見すると積極的なのですが、目的地がどこにもないのです。

P.71 本当に個性とは格好ではなく、行き方であり志です。仕事においてそれが持てない人生ほどつまらないものはありません。

P. 236 成功とは「個性が開花すること」です。