IESEについて -選んだ理由、良いクラス、時間の使い方、リーダーシップ

この土曜日はIESEのインフォメーションセッションに参加した。4人でのパネルディスカッションがあり、久しぶりの再会であり、アルムナイの方との新たな出会いがあった。

そこでの質疑について、自分の考えをこちらに再度まとめておきたい。

なぜIESEを選んだのか?

3つある。カリキュラム(2年制、ケーススタディ)、多様性、バルセロナだ。

まずカリキュラム(2年制、ケーススタディ)。僕はこれまで海外で生活した経験がなかったのでそれを多く欲しかった。

次に多様性。例えば出身国という観点からみたときにIESEにはマジョリティがいない。スペイン人も20-25%程度。確か欧州で50%強程度ではなかったかと思う。そして欧州とひとくくりにいっても使う言語も文化も異なる。なので実際にそこへ身を投じてみると、それぞれが違うという前提に立ち、相手を理解し受け入れようという姿勢が備わっているように感じた。その環境が好きだった。

そしてバルセロナ。Assessment dayで初めてバルセロナへ行った。初のスペインであり初の欧州であった。確か初めて行ったのが4月頃だったと思う。とっても素晴らしい街だった。気候が良くて空が青い、建築物であり街並みがうつくしい、海(ビーチ)もある、料理もお酒も美味しい、全てがコンパクトにまとまっている。写真が好きな僕バルセロナを好きになり、そこに生活したいと感じた。

他校での経験がないため比較した上で良し悪しを語れないのだが、これらが僕がIESEを選んだ理由だ。

IESEで選んでよかったと思う選択科目は?

3つ。STARTUP(Various Entrepreneurship)、ENFI(Financing Entrepreneurial Opportunities)、VCPE(Venture Capital and Private Equity)だ。

まずSTARTUP(Various Entrepreneurship)。4th Termの選択科目。簡単にいえばスタートアップでパートタイムのインターンシップをして単位をもらえるというクラス。自分がこれまで身をおいたことのない環境で働けるというのはとても良い経験だ。多くの学生が夏休みにインターンを行うが、期間の都合で1-2つが限度であり、その機会を得られて単位もらえるというのは都合が良かった。そしてその経験から学べたことは多い。次のエントリーにまとめている。

自分の持ち味を知る

次にENFI(Financing Entrepreneurial Opportunities)。5th Termの選択科目。プライベート企業等のバリュエーション、ファイナンシングのツール、MBOについて学ぶ。内容もさることながら教授のRob Johnsonが素晴らしかった。アカデミックな方法論にとどまらず、自身が実際に経験してきた内容に裏打ちされたプラクティカルな学びが得られたと感じている。また、おもむろに毎回クラスが始まる度に黒板の端に書かれる幾つもの著名人の言葉の引用が、クラスでは一切触れられないのだが、クラスを終えた時にいつも頷ける内容になっているのも面白かった。

そしてVCPE(Venture Capital and Private Equity)。VCやPEのビジネスモデルを学んだ後に、投資家としてどのように投資先のファンドを評価し選ぶか、ファンドマネージャとしてどのように投資家にピッチするか、投資先の企業を評価・選択するか。投資を受ける企業としてどのように自分たちのビジネスを評価し、ファンドの目論見書を理解し、彼らへピッチするか。といったことを経験する。次のエントリーにまとめている。最もハードなクラスではなかっただろうかと思っている。

何があっても最後は自分がどうにかするという覚悟

IESEでの時間の使い方(割合)は?

24hrsの内訳を考えると、僕が最も苦労した1st Termでは、

学校: 7 -10 hrs(勉強会、クラス3つ、昼休み、スペイン語 )
勉強: 8 – 10 hrs(ケースの予習、その他アサインメント)
食事: 2 hrs
その他: 2 hrs
睡眠: 2 – 6 hrs

程度ではなかったかと思う。多くの人が経験すると思うが、この結果、このままでは生きていけないと気づき、物事の優先順位づけ・取捨選択を行う。僕の場合は睡眠時間の確保を第一優先し、少なくとも6時間は寝るようにした。そうでなければ予習をしてもクラスでアウトプットできないからだ。僕の場合、疲れが蓄積する程クラスの理解度が下がる、発言数が少なくなる傾向があった。

2nd yearになるといくらか自由に使える時間を増やせるようになる。クラスの取り方次第で週休5日にできる程だ。

IESEでのリーダーシップ教育は?

3つある。1つはリーダーシップに関する基本的なクラス。1つは自身のキャラクターを理解するクラス。1つはそれらの学びからリーダーシップを発現させる多くの機会。

まずクラス。人の動機がどこからくるか、リーダーシップを発現するトリガーには何があるか。それらを学び、ケーススタディを通じてどのようなシチュエーションでどうするべきかを議論する。組織を動かすというレベルと、個人のおかれたコンフリクトを解消するためにどうするべきかというようなレベルと。

次に自身のキャラクターを理解するクラス。PERSOI(Personality and Leadership)という選択クラスにおいて、人が変えられる特徴と変えられない特徴に関して学び、それぞれの特徴がどのようなケースでうまくはたらくのか/はたらかないのかを学ぶ。そこで自分の特徴を診断し、教授からのカウンセリングを通じて自分の扱い方を学ぶ。

そしてそれらの学びからリーダーシップを発現させる多くの機会。結局のところリーダーシップは机上の議論では身につかない。自身がその現象を起こす立場に立って初めて学べるものであると思う。IESEではその機会が多くある。タフなカリキュラムであり各人が各人の優先順位付け、取捨選択をしながらの、日々のチームワークがその最たるものだろう。そしてクラブ活動においても文化祭においても、卒業前のJAPAN TREKの準備・実行であっても、2人以上でのあらゆる活動にリーダーシップでありフォロワーシップは存在することに気づき、その中で各人がリーダーとしての経験を積み上げていく。

 

また気づいた点、質問をうけた点あれば書き足していきたい。

勝負は既についている -人が立ち返る場所

不測の事態に見舞われ混沌とした状態に陥った時に企業運営の成否を分かつのは、そうなる前に何をしてきたか、何を価値観として行動規範として自分たちの心に刻んできたかである、という話。

以前所属していた組織ではプロトコルが明示的にも暗黙的にもあったように思う。それがあるからコミュンケーションのロスが少なく効率的に物事を進められた。

それを持たない経験はMBAでのチームワークが大きい。こちらにまとめている(プロトコルという言葉を使っていないが)。

2nd TermのクラスとMBAとコンサルティングのチームワークの違い3つ

英語だったということもあったが慣れるまでむつかしかった。プロトコルがあるという中に、それを具体的にどういうシーンでどう使うのか、共にしてきた経験があるということも含んでいるのだと思う。

ただ、物事を進めるのをむつかしくするインパクトは、プロトコルの有無は小さく、それよりに大きいのが価値観が共有されているか、という点にあると感じている。例えば上記のリンク先で言えば、何を最も重要視するか、優先順位の置き方は価値観の1つに当たるだろう。

 

多様なバックグラウンドを持つプロフェッショナルが運営する、プロトコルを持たない組織が不測の事態に見舞われ、情報の連携がとれず事実関係が不確かな中で行動することが求められた。

結果として、後から振り返れば組織としてうまくまとまった行動がとられていた。当時を振り返る会話の中で共通してでてきたのが、意思決定をするとき、それに従い行動している時、振り返ったのは自分の行動が共有している価値観にそぐうものであったか否かであったということだった。

共通の価値観というものは、ある時決めたらその日から根づくようなものではない。文字に起こして配ればそれがそのまま価値観なるものでもない。仲間の日々の言動と一致してはじめて組織の価値観となる。

なので、勝負は不測の事態を迎える前にすでについていたのだと。

 

自分であり自分たちでありの日々の言動がどのような価値観に根ざすものなのか、そしてそれがふさわしいものなのか。そこに齟齬なく生きていきたい。

[書評] なぜローカル経済から日本は甦るのか

この書籍の中で筆者はグローバル経済とローカル経済を明確に分類する。そして近年注目されているグローバル経済での成長をどれだけ求めてもそれはローカル経済へのトリクルダウンを起こさないということ、日本はローカル経済の割合が大きくグローバル経済を強化してもそもそもインパクトが小さいこと、それら両経済圏における競争ルールは全く異なるものでありそれらを強化するに際して政府に求められる役割も企業・経営者に求められる行動も異なること、ではそれぞれの経済圏においてどのような時間軸で誰が何をどうしていくべきなのか、を明快に語る。

ローカル経済の重要性を語る中で、筆者はグローバル化が加速するにつれてグローバルとローカルの2つの世界の遊離が加速する、グローバル化が進めば進むほどかえってグローバル経済圏から切り離される人が多くなる、グローバル化のパラドックスが起こっていると言う。

そして付加価値構成に分解して考えれば、非常に大きな割合がローカルな世界で生産され消費されていることに触れる。

また、Tradable goods(貿易財)とNon-tradable goods(非貿易財)の違いにも触れ、グローバル経済圏は前者を扱う大企業が中心であるのに対して、ローカル経済圏は後者を扱う中堅・中小企業が中心となることを定量面からも示す。

そしてその各経済圏において日本の政府、企業・経営者、個人はどのようにふるまうべきなのかの持論が展開される。

その内容の濃密さから得るものも多いが、それ以上に驚くべきは筆者の広範な知識と深い洞察であると感じた。経営・経済・法律・金融会計等広範な学問領域を縦横無尽に跨ぎ、かつその全てが自身の経験に結びつき一切学問的な内容にとどまらずに肌感覚をもって論じられるというのは並大抵のことではないだろう。

じっくり、呼吸の仕方を確かめるように

今月から新しい仕事を始めて初めての週末。これまでにない幅広いインプットを蓄積してきた2年間を明けての仕事は、現役時代と比べればまだまだと感じる。頭の回転の速さ然り、手を動かす速さ然り。

今のうちに、じっくりと、呼吸の仕方を確かめるように仕事をする。

ものごとの時間軸とその時々の優先順位を見誤ることなく、
ロジックに甘え将来へ想像力を働かせることを怠ることなく、
新しい現実を自分の過去の経験で頭ごなしに否定することなく、

しなやかに取り組んでいきたいと思う次第。

道具と覚悟と勘違いと -IESE MBAを通じて得られた7つのもの

明日から次の仕事を始める。残っていた部屋の片付けを概ね済ませ、掃除機をかけ、ダンボールを処分してPCの前に座る。

今のうちに自分がIESE MBAの生活を通じて何を得たのか整理をつけておきたい。

MBAの価値とは何か?という問いはよく聞かれる。誰にとってかによってこたえが異なることは容易に想像がつく。ここに書くのは勿論僕にとっての価値であり、僕が得られたと現段階で思っているものだ。

IESE MBAを通じて今後の自分の人生に対する覚悟と勘違いを得た。そしてそれらが推し進めるMBAを経たからこその人生を歩むための5つの道具を得た(仲間を道具と言うとニュアンスが異なるのだが)。

1. 実践的な経営管理にまつわる知識
2. 多様なキャリア経験
3. 世界およそ60カ国の仲間
4. 多様な仲間とアウトプットを出す力
5. 幅のある仕事観・人生観
6. 価値を出さねばならぬという覚悟
7. 価値を出せるという勘違い

MBAの価値の有無は自分がこれからの人生をどう生きるかによって決められるものだ。もしMBAへ行っても行かずとも全く同じ人生を歩むのであれば、これだけの時間とお金を投資する価値は僕にとってはないだろう。

上記がMBAを経た人生とそうでない人生を分かつ。自身が自身に望むものを見失わずに、MBAの価値があったと思える人生を進みたい。


1. 実践的な経営管理にまつわる知識

800程度のケーススタディ、各分野での幾つものプロジェクトを通じて、経営管理にまつわる知識を”使える”かたちで身につけられたと思う。

知識だけに着目するなら本で足りる。実践的というのなら実際の仕事において責任を背負い学びと同時並行でアウトプットをしている方がはるかに上だ。

しかし、経営者の立場で経営管理の全学問領域における数々の課題を答えのない中でどうするべきかひたすら考え主張するという経験はおそらくMBAでなければ経験できなかっただろう。

コンサルタントとして事業を束ねる立場に近しい位置で複数の業界と経営管理の領域における課題解決に身を投じてきたつもりでいるが、それでもこの経験は得られなかっただろう。コンサルタントと経営の当事者との間の違いは想像以上に大きいものであったと感じている。

コンサルタントをしていた時に特定のフレームワークに価値を認めることはなかったし、それをそのまま使って事実を整理して何かを主張するなどということはありえなかった。今後もそれはありえないだろう。ただ、そうした一連の道具を自分の頭のなかに修めていることは、800程度とは言え複数の業界・企業の経営課題の事例を自分の頭のなかに修めていることは、思考と意思決定スピードをはやめる一助になるであろう。

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2. 多様なキャリア経験

上記ケーススタディに加え、そのケースの主人公がゲストスピーカーとして登壇しディスカッションに参加する場面もいくつもあった。クラスのデザイン自体が自身を特定の業界・立場に置いて課題に取り組むというものもあった(例えば資本家・投資家・起業家の立場で投資に関与するというもののように)。またインターンを通じて成長著しいECの新規事業開発であったり複数の海外のスタートアップの企業の戦略策定やパートナー企業選定へ参画してきた。

MBAの学生という立場が自覚せぬうちに自身のアウトプットの質を乏しい物に貶めていた可能性はある、相手企業が学生だという目線で接した結果甘やかされていた可能性も、望んでこそいないが、否定はできない。

そうであったとしても、こうした多様な経験はMBAでなければできなかっただろうと思う。

この経験は自身のキャリアの幅を拡げると共に、想像力をより広い、具体的なものにしてくれた。

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3. 世界およそ60カ国の仲間

アルムナイも含めると国の数はもっと増えるだろう。世界中に仲間ができたと思う。勿論、同学年の皆と親友になったなどということはない。ただの顔見知りだっている。それでもおそらく同じくIESEに属して共通の経験をしてきたという事実はその人の距離を縮めるのにとても役に立ってくれると思う。

これもMBAでなければなせなかったことだろうと思う。

仕事で海外にいく機会は増えていたし、MBAに行かずとも仕事を通じて海外の仲間は増えていたと思う。しかし、その仲間の数、多様性は比べられないほどだと思うし、何より学生として利害関係も上下関係も何もなく切磋琢磨してきて築かれたような関係にはなっていなかっただろう(以前仕事を共にした数か国の仲間とは、所属が異なる今でも仲良しなのだけれどもそれでも)。

この仲間も僕に多くの想像力をくれた。個性は個々人異なるとは言え、どの国と言えば、僕はその国出身の同級生を思い浮かべるし、それは何かその国を自分にとって身近なものに感じさせてくれる。その国に対する想像力を働かせる助けになってくれる。

また人間として学ばせててもらえたことも多い。自分の良い点悪い点に気づかせてもらえたことも多い。知らぬ間に当たり前としていたことがそうでないと気づけたことはありがたい経験である。

他人へ期待するものではないが、僕はそうした仲間に頼られたら、役に立てることがあるのならばなしうる限りそうしたいと思うし、仲間もそう思ってくれていたらとても幸せだ。

4. 多様な仲間とアウトプットを出す力

とはいえ仲間も他人であるし、多様であるからこそ、ぶつかり合うことや思い通りにならないことはいくらでもある。それが当たり前になった。

そんな仲間とチームを組んでケーススタディでありプロジェクトに取り組み結果を出してきた。多様であり上下関係も利害関係もないからこそ得難い仲間であり、同時そうであるからこそチームワークは難しいものになる。

この経験はきっと多様性とはどういうものかを体で学ばせてくれたと思っているし、この経験があるからこそどのようなチームで何に取り組む際にも、どこかでどうにかなるとポジティブに信じて進んでいけるのではないかと思う。

これはMBAでなければ得られなかった経験のように感じている。

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5. 幅のある仕事観・人生観

2年間のMBA生活の中で色々な意思決定をした仲間がいる。IESEの学生に閉じず。MBAを去る、起業する、結婚する、出産する等。多くの仲間が経験する転職においても然りだ。どういう基準でどこを選ぶのかは勿論、そのアプローチの仕方でありタイミングの考え方であり諸々。

例えば就職で言えば、大体のタイミングというものは決まっていて、知らぬ間にそのタイミング通りに結果を得られるかどうかを気にしている自分に気付かされるであったり。

上記のように様々な意思決定をし、自分の人生を切り拓いていく仲間と話しているうちに、そういう生き方もあるんだなというのが当たり前のように自分に浸透していたように感じている。

また僕より40歳近く年上のスペイン語の先生はいつも目を輝かせて楽しそうにスペイン語を教えてくれた。事ある毎に屈託のない笑顔で、私はスペイン語を教えるのが大好きなの!と言う。プロジェクトがタフだとか、ケーススタディでスペイン語の勉強がちょっと思うように捗らないという話をしていても、それがMBAの学生の仕事だもんね、と言いながら、私は仕事が大好きでたまらないけど、と優しく話す。

自分が本当にやりたいことをみつけ、それに打ち込む人間がどれだけの輝きを放ち、どれだけの力を持っているのかというのを身をもって経験できた。こうありたいなと思った。

ひとつひとつをみればそうではないが、これだけ多くの出会いをこの期間でできるのもMBAであったからではないかと思っている。

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6. 価値を出さねばならぬという覚悟

こうした経験を2年間続けていると、自分も何かを成さねばならぬと感じるようになる。留学する前にエッセイの中で自身のキャリアビジョンを書いていたはずだがそれとはまた異なった感覚が生まれるようになる。

例えば、MBAに所属しながら新興国の経済であり社会的な問題について学んでいると、その地域出身の仲間と会話をしていると、自分がどれだけ恵まれた環境を当たり前のものとしてこれまで生きてきたかに気づかされる(理解が浅く、現実に及ばないのは承知の上だ)。

そうした過程を通じて、この世界に対して何かをなせねばならぬのではないか、価値を出さねばならぬのではないかと感じるようになる。

僕の次の一歩はダイレクトにこの気持を体現するものではない。しかし、こうした気持ちであり、覚悟とも言えるものを自分に持つことができたのはMBAで得られたものであると感じている。

 

また、こうして幾つものものを得られたと言っている一方で、そのために費やしたものがある。それは2年間という時間であり、決して小さくはない学費・生活費でありだ。他にどのような機会を得られたか、その可能性を考えればMBAがベストの選択肢だったのか考える余地はあるだろう。

しかし僕は既にその時間とお金をMBAに費やしている。そして、その選択が、今背負っているものが、これからの自分の人生を通じてこの投資が最良であったと思える価値を生まねばならぬという覚悟になっている。

もしこの2年間留学前と同じキャリアを続けていたら、その道において僕はそうしなかった自分よりも優れた存在になっていたと思う。少なくとも現役を2年間離れた僕ではかなわないだろう。

しかし、一方でこれからの人生をどのような覚悟を持って生きていくのか、その面で今の僕とは異なるだろう。費やしたもの、背負っているものが違うのだから。

良し悪しはさておき、この覚悟はMBAに行かなければ得られないものだろうと思う。

7. 価値を出せるという勘違い

価値を出さねばという覚悟と同時にそれができるという勘違いも得ている。これまで書いてきたほ知識であり経験であり仲間でありチームワークやリーダーシップそして人生観っと言った全てが僕に勘違いをさせていると言えるだろう。

なぜなら、覚悟と同様、この2年間の経験は、自分が何を成さねばならぬのかを考えさせるのと同時に、お前ができるようにならねばならぬのだ、できるのだというメッセージも発し続けるものであったからだ。

現実とは違う、他人と自分は違うと知りながら、2年間の山であり谷でありをくぐり抜ける度に、その経験が僕に勘違いをさせてきたのだと思う。自分が凡庸であるということをわかっているはずなのにだ。

この勘違いはMBAの経験がなければできないものであっただろうと思う。


もしこれらを得た後に、その前と全く同じ環境に戻り全く同じように仕事をするのであれば、MBAにこれだけの時間とお金を投資する価値は僕にとってはなかっただろう。

しかし現実はそうではない。MBAを修めた途端に魔法が使えるわけでも、世界が自分に優しくしてくれるわけでもない。一方でこうして得られたもの、道具と覚悟と勘違い、を活かしてどのような人生を歩んでいくかは自分の選択だ。思い通りの結果を得られない時も、目的に照らしてその事実をどう解釈して次の一歩を踏み出すかは自分の選択だ。

自身が自身に望むものを見失わず、そしてMBAの価値があったと思える人生を歩んでいきたい。