人間力

最近は体で感じる。
ロジックで人の心は納得させられない。
ロジックで人の体は(自発的には)動かない。
ロジックで人の頭は…ねじ伏せることは出来るかもしれないが、納得させるとなると…なかなか難しい。
社会人として初めて入った環境を受入れる強さを持っていなかった僕は、ロジックへ逃げた。今後のキャリアを考える上でもクリティカル・シンキング系の内容は必須であると思ったし、その力があれば歳も経験も関係なくやっていけると思ったから…?いや、違うと思う。おそらく、論理的な正しさで、周りに対して、おまえら(主観的に僕が思う)正しいことをやれよ!と言いたかったのだと思う。
…そうしないと自分がだめになると… ←周りに依存しすぎ(^^;
なんてことは置いといて、とにかく今言えるのは、ロジックじゃ人は動かんのですよ。という当たり前の現実の中にいるということ。で、そんな中に立って僕は2つのことを思う。
■ロジックの大切さを忘れないこと
■目的を見据えてバランスをとること
■ロジクの大切さを忘れないこと
そう。ロジックの大切さは絶対的には変わらない。
ただ、人間関係であったり、そもそもの人格(人間力)であったりの大切さに気付いて、相対的に大切さが下がっているだけなのだ。
みんなでモチベーションを高めて、やるぞ!っとなった答えが正解なのか?それは違う。そもそも的を外していれば、高いモチベーションでもって失敗に向かってみんなで走っていくだけ。多分走ってる本人たちが求めてるものと結果は違うだろう。
(気づきながら、モチベーションも下がって、なし崩し的に失敗するよりは楽しいかもしれないけど)
周りが賛同して、モチベーションを高めて一丸となって進もう、という状況は素晴らしいと思う。ただ、そのときでも「その方向ってそもそも正しいの?」という問いには胸を張ってYES!!と応えられるものを持っていなくてはならない。(そモチベーションやチームワークは本質的な理由にはならない。)
Issueをちゃんとおさえて、もれなくダブり無く考えていくという活動、その結果のロジックは大切なのです(^^)
■目的を見据えてバランスをとること
そう。大切なのはバランスだと思うのだ。
…色々と考えて書いていたら長くなったので削除。端的に言おう。
8のロジックをつくりこんで、人を2しか巻き込めないようなら、2のロジックをつくりこんで人を8巻き込んだ方が良い場合が多い。
ということだ。
1つ注意すると、このロジック側の数字は、ロジックの確からしさを言っているのではない。方向性は正しい(であろう)という前提で、それをどれだけ詳細に落とし込むかのことを言っている。
ロジックをどれだけ精緻にしても、人がついてこなければ価値無いですよ。ということだな。要するに。…結局当たり前だな(^^;)
ふぅ…人間力か。

うわべだけの優しさ

うわべだけの優しさを持って人に接することは僕はとても失礼だと思うし、有益なことはことは無いと思う。
「自分は人に優しくしている」と自分に言い聞かせる材料ができるという意味で短期的且つ自己中心的な益はあるかもしれないが(そんなもの益じゃないよ、と最終的に思うので、有益なことは無いと)。
”うわべだけ”という言葉がつくと、その後に続く言葉の逆、即ち本心というものを残酷に伝えているような感がある。
”うわべだけの優しさ”はおそらく”うわべだけ”だなと相手に悟られた時点で、残酷にその冷たさを伝える手段になる。
”うわべだけの敬意”はおそらく”うわべだけ”だなと相手に悟られた時点で、残酷にその軽蔑(是が反対の言葉だっけか?)を伝える手段になる。
そんな感じだ。
僕はどうも物事をクリティカル(批判的)に見てしまう。
主張の穴を探すわけではないけど、そこにモレとダブりがないか、と何のためにそうしているのか、というのを見てしまう。
いや、見てしまう、というと見ることが悪いような感があるけどそうではない。
問題はその後だ。
それを指摘する。それで終わってしまうのだ。(指摘のSo what?のリードが弱い)
…建設的なコミュニケーションではない。
人の意見に依存しているからだろう。
僕は知っている。
自分の腹に落ちたロジックに従っているときの人の強さとそのリーダーシップの威力を(そして、腹に落ちてないロジックに従っている人の弱さと脆さも)。
必要なのは指摘したことに対しての答えが無いこと、答えが的外れであることを我慢しながら”うわべだけの”優しさで包み隠して自分の主張を相手に渡すことじゃない。
相手に伝わるまでコミュニケーションを続ける力と、そのコミュニケーションの結果に自分が責任を持つんだ、という責任感、そしてリーダーシップ(他への影響力)だろう。
歳なんか関係ないじゃない(^^)
それに今は人に依存して甘えてる時間は無い。

拙速の背景

ゆっくり丁寧よりは雑に素早く。
この頃、改めてその大切さ、見極めるタイミング、そして決断するタイミングについて考えていた。
孫子の言葉で”拙速”という言葉をつかった有名なものがあったと思い調べてみると、その裏にある背景が書かれていた。
----------
故兵聞拙速。未睹巧之久也。 -兵は拙速を聞く。未だ巧久を見ざるなり。-
 孫子の曰う「拙」は、政治の手段としての戦争の目的である(得るべき)勝利の達成度合いの意です。また「速」とは、その戦争を手段とする政治目的の達成の速やかさを意味しています。
 『拙速』の背景には以下のような孫子の戦争哲学が流れています。
 即ち、戦争は不祥の器であり、凶器である。たとえ止むを得ざる事情により開戦したものといえども、長引くことにより、国力を疲弊させ、国を滅亡させたのでは元も子もない。
 
 ゆえに、戦争によって得るべきものがたとえ不十分(これが拙の意味)であったとしても、本来の政治目的が達成できていれば、それ以上の欲をかかず、速やかに戦争を終結させること(これが速の意味)が賢明である。とりわけ、戦争というものは、あたかも燎原の火の如き性質を持つものゆえに勝利に酔い痴れて調子に乗り欲望の赴くままに振る舞っていると最後はみずからをも焼き尽くしてしまうものである、と。
 つまり『拙速』とは、老子の曰う「足るを知る」あるいは「止(とど)まる知れば殆うからず」と同意と解されます。
----------

信頼残高


信頼残高を増やすために。の受け売りです。
1. 相手を理解する
2. 小さなことを大切にする
3. 約束を守る
4. 期待を明確にする
5. 誠実さを示す
6. (信頼を)引き出してしまったときには、誠意を持って謝る。
大事なのは、信頼残高ということを意識するのはいいとして、それを増やすために上記を心がける、という意識は持たないことだと思う。
僕の信頼残高…いくらだろ?