素直に学ぶ

土曜日は勉強会。テーマはファシリテーションの実践と戦略策定のケーススタディ。
全員が好きで集まっているし、(おそらく)性格が素直なこともあって、極めて高い密度で実践的に学ぶことができたと感じている。仲の良さも馴れ合いではなく率直なディスカッションを助けている。
ひとつは自分が講師になったのだが、学ぶ姿勢の大切さを改めて感じた。
本当に学びたいなら、
本当に成長したいなら、
そのための投資した時間を最大限活用したいなら、
自分で選択・投資した学ぶ機会についてその場で文句は言わないものだ。
文句を言う前にそこからいかにして何を学ぶかに集中するものだ。
自分が文句を言われた経験は特に無いし(反省経験多数)、自分の講師としてのクオリティの低さを棚に上げるつもりは無いのだが(講師として学ぶのも上記と同様。何につけても学ぶべきことはある。学べることはある)、素直に学ぶ姿勢を少し客観的に見られる経験ができて、改めて感じた。
素晴らしい仲間に感謝して、自分の弱さを自覚して、成長を続けられたらと思う。

答えを求める前に

最近学ぶ機会に恵まれている。新しいことを知る、既に知っていることを再度理解する。相手の方もその道のプロであるし、まさに現実を知っている・経験されている方だし、一般論にとどまらない深い学びを得ることができる。
そんなときに大切なのが自分の中で学びたいポイントを明確にしておくこと、それに対して自分なりの答えを持っておくこと、そしてその答えに固執せず柔軟に相手からの気づきを受け容れることだと思っている。
自分が学ぶほとんどのテーマにおいて唯一解というものはない。そして最終的にはそこからの学びを自分でありチームでありのアウトプットの価値に貢献できるものにしていく必要がある。
そのためには学んだ内容を正解だとはできないし、相手に正解を求めるような姿勢も違う。ひとつの解として理解しながら自分の仮説を検証していくことでアウトプットへの貢献を高めることができる。かといって(特に自分があまり明るくない分野であればなおさら)そもそもの仮説が浅い・方向が違うということもある。そうであれば仮説検証という活動は横において、素直に謙虚に相手の知見を受け容れ咀嚼していく必要がある。
答えを求める前に、自分の中でやるべきことがある。後、そうした時間を相手の方にいただく中で、自分が相手に貢献させていただけるところがあるんじゃないか、というのも考えていきたいところ。

フレームワークの先

何かをするとき、その目的・ゴールから入る。目的を達成するのに必要と考えられるフレームワークを考える。一通り内容を埋める。縦と横のロジックを確認する。一連のキレイ?な構造ができあがる。
大体それだけだと物足りないものになっていることが多い。
なんていうんだろう。プレゼン資料なりその分析内容なりが”生きている”感じがいまいちしない。ライブ感がない。よくできた剥製のような感じ。見ている分にはキレイなんだけど、何か心を打つものがない。
目的に立ち返る。
それが達成されたシーンを想像してみる。
今の状況を再度思い描いてみる、情報を見直してみる。
フレームワークを見直す。
今の目的、フレームワークがベストなのだと自分が本当に魂を込めて、胸を張っていえるのか問いかけてみる。違和感を感じたらその根元を探る。
資料をひっくり返すこともあれば、何も修正を加えないこともある。
いずれにしても、こうした過程を経て、少なくとも自分の中では”生きている”と感じられるものができあがる。
おそらく本当に必要なもの、大切なものは最初のフレームワークを考えた、その先にある。最初からそこにたどり着ければなおいいのだけど、まあ修行だ。

東京タワー

この連休は姉が遊びで、父親が仕事で東京に来ていて、月曜、3人で夕食後父親のひとことから東京タワーへ。3人で行動すること自体新鮮だったし、父親が東京タワーに行こうかと口火を切ったことも新鮮だった。そんなこんなが嬉しくて若干テンションを上げながら一路夜の東京タワーへ。おそらく初めて。
歳を重ねるごとに家族の大切さに気づく。

だからこその学び

過去に手がけたプロジェクトでケーススタディをやる。
与えられたケースでの勉強は過去に何度となくやっているが、自分でケースをつくってファシリテートするのは初めて。やはりその場にいる人全員がやってよかったと思えるものにしたい。自分がケーススタディをしていたときの楽しさや価値の大きさというものは体に染み込んでいるし、やるならそれを超えるものにしたいと思う。
それが楽しくも難しい。特にディスカッションの前の準備の段階で気づきが多い。
自分の意図が及ぶ範囲内にスタディの場をおさめてしまうのは避けたい。
学びのポイントは与えられるのではなく参加者が自ら見出せるようにしたい。
N:1のやりとりではなくN:Nのやり取りを盛り上げたい。
ケーススタディなんだから細かいところでスタックせずにオープンにディスカッションしたい。
参加者の成熟度に関する話もあるがそれはそれ。
スタディのアウトプットの質ではなく、その学びの過程の質にこそこだわりたい。
学ぶだけが目的ではないが、こうして学ぶ/学びの場をつくるというのは本当に楽しいし嬉しいのだ。
そのチーム、その参加者だからこそ学べるものがある、参加する誰ひとりをなくしてもこの学びは得られなかった、そう思える場にしたい。それぞれが違う色をもった人間である以上、できるはずだ。(ひとりではできないけども)