相手の中に気づきを

新しい経験といえば先日の緊張の経験に加えてもう1つ。
詳細はさておき、その経験では、相手に自発的に気づいてもらう、考えてもらう、答えを出してもらう(これが答えなんだと主張できる状態になってもらう)というのが自分の中でのチャレンジだと思っている。
学ぶ内容を明確にして、それをそのままメッセージするのは難しいことではない。でもそれでは生きた学びになりにくい。学ぶにとどまらず、それによってどういうシーンがどのように変わるのか、変えないとどんなことになってしまうのか、いうところまでを体で感じることができない。
徹底的に相手の頭を使ってもらうこと、いざというときにはこんがらがった思考を引き取って軌道に乗せてあげること、そのための適切な質問、自分なりの仮説、そもそもの地力。後は最近思うのだけどどこか”逃げ道”をつくるというのが大切だ。ロジックのエラーを突き詰めていくのはそれはそれでいいのだけど、それ=相手を追い詰めていることではない、人格を否定しているわけではないというのは、特に文化の違う相手に対しては意識的に伝えていく必要がある。
例えば1つは笑い。とぼけた感じで鋭い質問を投げる。
相手に精神的にリラックスしてもらえる。その余裕は自己否定を避ける緩衝材になるし、相手を否定してるんじゃないという雰囲気をつくれる。シリアスに鋭く質問を投げていたら相手は余裕が無くなる、不安や恐れや怒りや自己否定の気持ちがぐるぐるまわりはじめる。わからないといけないんだとなって、わからない自分を否定したくなる。考える余裕を失って結果そこで思考停止 + 一連の経験は失敗としてタグがつけられる。
勿論ケースバイケースだけどチャレンジとそれがうまくいったときのシーンを思い描きながら進めていきたい。
生きた学びにしていきたい。自分にとっても。