テニスとヨコハマ

今日は朝から友達に誘ってもらっていたテニスへ。スポーツはサッカー系以外はプレイするのが好きなので前々からバスケと同様続けたいと思っていたのだけど、気がつけば以前テニスをしたのは昨年の8月18日
5ヶ月ぶりになる。からだが温まるのに時間がかかるし、やはりブランクがあるしなかなかうまく体は動かなかったのだけどやはり楽しい。
ラケットを購入しようか考え中(どれが良いのかまったくわかっていませんが)。
その後、早くもじんわりと痛み始めている足で横浜へ。これまで横浜といえば中華街近辺へしか遊びに行ったことが無かったので赤レンガ倉庫あたりは初めて。夜景を見たかったので早めの夕食をその赤レンガ倉庫の中のChano-maで。
テニスと昼からのぶらぶらで疲れていた足をゆっくり癒す。時間が早くてまだそこまでおなかが空いていなかったので食事は軽めでひたすらのんびり。人間観察をしつつ時間を過ごす。
お店を出たのは19時過ぎ頃だったのだけど辺りはすっかり夜。楽しみにしていた夜の横浜を眺めながらゆっくりと帰った。帰りの電車では座ってすぐに眠りに落ちてしまった。
朝からスケジュールを組んで動く休日の良さを味わった一日だった[#IMAGE|S1#]

スペースを

今日は一日をゆっくりすごす。
昼頃からは部屋の掃除に取り掛かる。部屋の中に山積した本の整理と机周りの整理だ。
気がつくと読書が趣味になっていた。
私は興味を持った本は片っ端から購入するのでなかなかの勢いで部屋の中に本が溢れていく。過去に紆余曲折を経て購入した本棚はとうの昔にほぼ満杯になっている。
この家の中にはいったい何冊の本があるのだろうか…。
なんとなくで始めた掃除だったが甘く見ていた。そうそう簡単に部屋が見違えるようにキレイになることはない。
掃除には”計画”と”思い切り”が必要だ[#IMAGE|S71#]

謙虚

去年の業績が評価される。
改めて謙虚になる。評価された業績の裏にある自分の至らなさを十分に知っているからだ。ただ、評価はありがたく受け止める。それは他人に映った事実なのだし、ある意味自分を客観的に評価する材料になるからだ。
ここで私は2つのことを感じる。
1つは今の自分は過去の努力の結果であるということ。
1つは人からいただいている”恩”を全て自覚できるものではないということ。

先日読んだ”「1日30分」を続けなさい!”に改めて気づかされた。”今の自分は過去の投資によってできあがっている。今投資しなければ将来の自分は無い”ということ。
過去の業績はその時よりも更に過去の自身の努力がつくりあげたものである。そして今の努力がこれからの業績をつくる。勿論全てが業績のための努力ではない。過去に満足しても将来に満足することなく、先を見据えて今を全力で生きたい。
私はバガボンドが好きで愛読している。
武蔵は宝蔵院2代目 胤舜との勝負に勝つために、創始者である胤栄の下で修行をし、半年後に勝つことを成し遂げる。その後の胤栄との別れ際のやりとりの中で、めったに礼を言わない武蔵がかしこまってお礼を言おうとする。
武蔵:「受けたご恩はいつか必ず・・・(お返しします)」
胤栄:「カユッ(むずがゆい)、親の恩、人の恩、神仏の恩。お前が今までに受けた恩を全て返そうと思えば残りの人生の全てをかけても足りるかのう・・・?」
このやりとりから感じるのは、1つは自分が周りから受けた恩の大きさを自覚する、それらを返すというのは容易にできることではないということ。それができると言いきる(その前提でお返ししますと言う)のはあまりに未熟であり尊大であるということ。1つは、それが自覚できない、返しきれないということを自覚し、謙虚さ、周りへの敬意を忘れることなく生きていくことこそが、結果として返しきれないとしても受けた恩に報いる行為になるということ。
自分が評価に値する業績を残せた裏には、至らない点もあれば、それを埋める以上に周りの方々の力がある。自覚している範囲への感謝の意にとどまることなく、いっそう自分を謙虚に見つめ、周りへの貢献をより大きくする努力を重ねていきたいと思うのだ。
#バガボンドの名言をいくつか思い出した。また折を見て触れていきたいと思う。

過去を味わう時間

昨年の経験を整理・再構築してアウトプットを紡ぎだすことをしている。
過去の自分の行動を体系だてる。その時は意図が及ばなかったところについても振り返るとどのような意図を持って解釈することができるのかじっくりと味わう。その結果が仮説として持っていたアプローチをどのように良くするものなのか改めて考える。それを新たなアプローチとしてまとめる。
他の方々の人生経験や考えから学ぶことは無数にある。それと同様にこうしてみると自分の人生経験や過去の考えから学べることも無数にあるのではないかと思う。自分は成功も失敗も、喜びも悔しさも実際に噛み締めてきたのだから、その過去から学ぶことは他の方々からの学びよりも深いものにできるのではないかと思う。
そんなことを考えると今であり将来でありを大切に、懸命に過ごしたくなる。
そうしてつくられていく過去についても、ないがしろにせずちゃんと振り返ってその意味を納得のいくかたちで整理したくなる。
それをしないことがどうしようもなくもったいなく思えるのだ。

新しい経験

新年に入って、仕事・プライベート双方に渡って初めての経験をしている。いずれもチャレンジングで楽しいし、その機会を与えてくださった方には感謝している。
初めての経験は常に自分に新しい何かを与えてくれる。それは過去の自分よりももう一歩深い事象の解釈であったり、過去の自分が持っていなかった視点からの物事を眺めることであったり。
新しい経験が自分に新しいものを与えてくれると考えると、日々の経験の中にいかに新しい側面を見出していくかという視点が大切になってくる。ぱっと見過去と同じようなworkであったとしても、その中で新しい側面を見つけることで新しい経験となり、その結果自分に新しい何かがもたらされる。
慣れたと認識している動作も改めて見直して、より良いものにしていきたいと思う。