謙虚

去年の業績が評価される。
改めて謙虚になる。評価された業績の裏にある自分の至らなさを十分に知っているからだ。ただ、評価はありがたく受け止める。それは他人に映った事実なのだし、ある意味自分を客観的に評価する材料になるからだ。
ここで私は2つのことを感じる。
1つは今の自分は過去の努力の結果であるということ。
1つは人からいただいている”恩”を全て自覚できるものではないということ。

先日読んだ”「1日30分」を続けなさい!”に改めて気づかされた。”今の自分は過去の投資によってできあがっている。今投資しなければ将来の自分は無い”ということ。
過去の業績はその時よりも更に過去の自身の努力がつくりあげたものである。そして今の努力がこれからの業績をつくる。勿論全てが業績のための努力ではない。過去に満足しても将来に満足することなく、先を見据えて今を全力で生きたい。
私はバガボンドが好きで愛読している。
武蔵は宝蔵院2代目 胤舜との勝負に勝つために、創始者である胤栄の下で修行をし、半年後に勝つことを成し遂げる。その後の胤栄との別れ際のやりとりの中で、めったに礼を言わない武蔵がかしこまってお礼を言おうとする。
武蔵:「受けたご恩はいつか必ず・・・(お返しします)」
胤栄:「カユッ(むずがゆい)、親の恩、人の恩、神仏の恩。お前が今までに受けた恩を全て返そうと思えば残りの人生の全てをかけても足りるかのう・・・?」
このやりとりから感じるのは、1つは自分が周りから受けた恩の大きさを自覚する、それらを返すというのは容易にできることではないということ。それができると言いきる(その前提でお返ししますと言う)のはあまりに未熟であり尊大であるということ。1つは、それが自覚できない、返しきれないということを自覚し、謙虚さ、周りへの敬意を忘れることなく生きていくことこそが、結果として返しきれないとしても受けた恩に報いる行為になるということ。
自分が評価に値する業績を残せた裏には、至らない点もあれば、それを埋める以上に周りの方々の力がある。自覚している範囲への感謝の意にとどまることなく、いっそう自分を謙虚に見つめ、周りへの貢献をより大きくする努力を重ねていきたいと思うのだ。
#バガボンドの名言をいくつか思い出した。また折を見て触れていきたいと思う。

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