[書評]プロフェッショナルマネジャー – 実績こそきみの存在だ。ほかのことはどうでもいい。

驚いたのは原著の初版が発行されたのは1984年だったということだ。30年前だ。その事実を知らずに読んでいたが内容を古びているとは感じなかった。登場する時代は勿論著者が生き抜いた時代なのだが。

この本に記された言葉に厚みを感じるのは、内容のすべてが著者の実際の経験に根ざしたものだからだろう。全ての哲学の裏には彼の行動があり、それらを選択した当時の考え方があり、そして出した結果がある。自身の行動が支えていないべき論は一切書かれていない。ここには頭でっかちな理論や何かしらのフレームワークは一切登場しない。

最も力強いメッセージは、経営者は経営しなくてはならぬ!ということだ。それはいったん掲げた目標を、達成すると誓ったことを、達成しなくてはならぬということだ。著者はこう喝破する。

結果を達成することができなければ、その人は経営者ではない。そりゃまあ、経営者としての肩書を名乗ることはできようし、執務室のドアに”専務”とか”副社長”とか”販売部長”とか書きつけさせることはできよう。しかし、私の基準では、その人はマネジャーではない。よかれあしかれ、どこでも物事は起こっている。しかし、きみがそれらの物事を起こらせているのではない。きみはそれらを経営していない。といっても、なにもきみがウスノロだとか、だめなマネジャーだと言うつもりはない。良いとか悪いとかではなく、とにかくマネジャーではないということだ。

そしてこれは何も会社経営に限った話ではなく、例えば大学の受験でも同様のことが言えると例を並べる。成り行きに任せて漂流しただけではマネジャーたりえない、目標を立ててスタートし真面目に努力をしても不足の事件の波に押し流されてしまうようではマネジャーたりえないと。

自身の学生時代、これまでの自身の仕事であり今の生活でありにある甘えを考える。そしてこれからの仕事であり生活でありを考える。

まずは自身をマネージするところからだなと気を引き締める次第。気を引き締めることのみには一切の価値がないと知りつつ。

 

印象に残った言葉をいくつか以下に抜粋する。

進もうと決めたら進むのだ。ーひとつの仕事をこなすことができたからには、つぎの、もっと大きな仕事だって、きっとうまくやれるはずだという信念をもって。もちろん、成功の保証はない。しかし、その後ずっと、自分自身に対して後ろめたい思いをせずに生きたければ、進んでリスクを冒さなくてはならない。

”表面的な事実(一見事実とみえる事柄)”
”仮定的事実(事実と見なされていること)”
”報告された事実(事実として報告されたこと)”
”希望的事実(願わくば事実であたってほしい事柄)”

プロフェッショナル・マネジメントという最高の芸術は、”本当の事実”をそれ以外のものから”嗅ぎ分ける”能力と、さらには現在自分の手もとにあるものが、”揺るがすことができない事実”であることを確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法さをもそなえていることを意味する。

なすべきことをしようとする衝動の原動力となるのは、論理ではなく、深いところに内在する情緒である。

実績こそがきみの実在だ。ほかのことはどうでもいい。マネジャーとは”実績をもたらす人間”だと私が定義するのはこの理由による。

[書評] 影法師

夏に永遠のゼロを読み([書評]永遠の0)、百田氏の著作に興味を持ち全巻近く購入したものの読む時間はなく実家に置き去りにしていた中の一冊。

言葉や表立った行動で表現されない感情について考えさせられる一冊だった。これまでの仕事の経験でもMBAでの生活の中でも、自分の考えは主張し、ポジションをとって議論を重ね、より良い解でありチームワークにたどり着く、ということを当たり前のように感じ、納得し、それがより上手くできるように意思決定でありコミュニケーションの訓練を積んでいる。

それであっても、それが全てだというわけではない、人の感情でありつながりというのは、議論で言葉に表現するだけが全てではない、ということを改めて感じた。

相手の目的を達成するためにはそもそもその自分の意図さえ隠さねばならぬこともある。そしてそうするのならば、その意図に従うのもその結果も、全て責任は自分にあるという覚悟をもって臨む必要がある。

これは阿吽の呼吸を相手に期待することとも、言葉にせずとも読み取って欲しいと相手に甘えることとも全くもって異なることだ。

人間関係を、厚みを持って理解していきたいと思う次第。

[書評] 挫折力―一流になれる50の思考・行動術

洋書と並行して和書を読んでいる。結果和書を早く読み終わりこうして書評を書くに至る。冨山氏の著作は『会社は頭から腐る』や『指一本の執念が勝負を決める』から読んでいる。

と書き、自身が過去に何を感じていただろうとブログを検索してみると真っ先にヒットしたのが次のエントリーであった。

挫折力ー一流になれる思考・行動術

1年半ほど前に読んでいた。すっかり忘れていた。

これを機会に過去に感じていたことと今感じていたことを比べる。2012年の5月に読んでいるがこのタイミングは既に留学を決めており、最後のプロジェクトで単身中国に渡る前のタイミングになる。

昔と同様幾つか印象に残った部分を以下に抜粋しているが、そのいずれもが前回とは異なるものだ。

おそらくもしこれから何度同じ書籍を読んだとしても、その度に異なることを感じ、異なることを学ぶのだろう。そこに書かれていることは同じでも読む側が変化しているからだ。

新たなプロジェクトに臨む前に自身が同じ本を読んで書いたエントリーに触れることで、一層、はたらきたいという気持ちを新たにする次第。

 

「組織のために、あなたには死んでもらいます。」といえるかどうか、そこが有事のリーダーには問われる。

勝負勘、自分自身の得意不得意は、軋轢の修羅場、特に自分より強い立場の人たちや集団全体を敵にまわすような体験をして初めて身につくものだ。

能動的、建設的に考える力、現実的で実行可能な提案を行う能力は、万年野党精神では絶対に身につかない。

「悩んでいる暇があったら、とにかく働け」

肝心なのは、「相手に興味を持つ」ということなのだと思う。相手に興味を持てば、当然そのクセも見えてくる。

悪徳の中に善良を見る視点、善良の中に悪徳を見る視点、この両方を身につけると、人の世は突然、立体的で、カラフルで、面白いものに見え始める。

半沢直樹シリーズ3冊を読んだ

前々から気になっていた半沢直樹シリーズの原作を読んだ。ドラマ化された2冊を含む全3冊。ちなみに現在週刊ダイヤモンドでは第4部となる『銀翼のイカロス』が連載されている模様。

わかっていても目を見張るのは、手に汗を握るのは半沢直樹が組織の文化でありその文化に染まった周りの人間に屈することなく事実を明らかにし責任の所在を明らかにしそれを負うべき人間に負わせる点であり、組織の論理ではなく市場の論理、クライアントの論理に従って彼らをあるべき道へ導くという点だ。

改めて組織の都合や周りの雰囲気ではなく、自身の信念に従い、事実と向き合って仕事をすることの大切さと難しさを感じた。前提は、自身の信念が自分の保身等ではなくクライアントであり世の中を第一義に考えているということだ。

簡単な話ではない。ではそのクライアントであり世の中のために動くために今いるポジションもしくは更に上のポジションに居る必要があり、リソースが限られていたとする。周りにそのポジションを狙っている人間がそのポジションを獲るために多くのリソースを割いていたとしたら、必然的に今そのポジションにいる人間も多くのリソースを割く必要性は高くなるだろう。結果、そのポジションにいながらクライアントであり世の中のために割けるリソースは限定的なものとなる。不本意であったとしても、そうしなくてはクライアントや世の中のために動くために必要となるポジション自体を失ってしまうからだ。

このシリーズ(特にドラマ、というかドラマ)は登場人物の多くが保身であり出世のための社内政治に腐心する人間であり、彼らの不正を半沢直樹が暴き、責任を取らせ、その被害を受けていた人々を助けるという構図であった。おそらく自分も含め視聴者が直面している現実はそんな単純な話ではないだろう。

上っ面の正義を振りかざすことに満たされ、物事の裏側であり本質を見る努力を怠るというのは違うなとも思った次第。

3冊を通じて印象に残った部分を一部以下に抜粋する。

 「夢を見続けるってのは、実は途轍もなく難しいことなんだよ。その難しさを知っている者だけが、夢を見続けることができる。そういうことなんじゃないのか」

「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る。わかるか?」

”挑戦と成功の間をつなぐ架け橋は、努力しかない。” [書評]ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく

発売されて2ヶ月近く経つ。その当初から気になっていたのだがようやく手にした。kindleだと海外にいても容易に日本の書籍にアクセスできる。

静かで丁寧な、厚みのある一冊だった。

堀江氏の著作は過去に何冊か読んでいるがどの本もどこかに”現状への憤り”を感じるものだったと記憶している。その多くが合理的でない仕組みであり人でありに向けられていたように感じる。それに対する堀江氏の行動は容易に彼の本意ではない解釈を招いた。この本の内容に照らすに、当人は限られた時間・人生の中で成し遂げたいチャレンジが無数にあり、それを全てやるためには合理的に物事を考えて進める必要がある(そうすれば当たり前のようにできるはずなのにそれができていないことに憤りを感じていたのかもしれない)、だから丁寧に人に自分の意思でありその背景にある”自分”を説明すること、理解してもらえるように努めることも省き、成すべきことに集中してきた。結果は多くの人の知るところだ。

しかしこの本にはそういった憤りが一切感じられない。そういった感情を挟まず、自分は小さいときどういうどういう親のもとに生まれ、どのように育った、どんなことがあった、だからバイトをして、勉強をして、東京大学にはいって、結果会社を興して、等々現在に至るまでが丁寧に説明されている。

この本メッセージもシンプルだ。サブタイトルにほとんどが集約されているし、後は”はたらこう。”という一言に尽きるのだろう。

これだけの結果を出してきた堀江氏が、これだけ自身をさらけ出し、丁寧に優しく背中を押すと、その力は多くの人に伝わるのではないかと思う。

失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。

経験とは、時間が与えてくれるものではない。だらだらと無駄な時間を過ごしたところで、なんの経験も得られない。なにかを待つのではなく、自らが小さな勇気を振り絞り、自らの意思で一歩前に踏み出すこと。経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである。

人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止に突入してしまうのだ。

「悩む」とは、物事を複雑にしていく行為だ。(中略)「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。

挑戦と成功の間をつなぐ架け橋は、努力しかない。

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ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく
堀江 貴文 (著)