[書評]イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

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イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
安宅和人 (著)

日本にいるうちにこれは読んでおきたいなと思い手にした一冊。本の構成も各コンテンツも非常に平易な表現で書かれておりわかりやすい。この本に記されている内容は誰しも使えるようになっていて損はないものだと思う。過去にMBAとコンサルティングの違いについて書いた。その中で”頭の使い方、ものの伝え方の違い”について触れた。

MBAに集まる学生の多くがこの頭の使い方を知らない。その中で、バックグラウンドも価値観も多様なメンバーで日々チームワークと格闘する。これはこれで貴重な経験であると思う。実世界でも、コンサルティングファーム等を除けば、日常で乗り越えていかなくてはならないものだから。

しかし、この考え方を知っていたらもっと時間をうまく使える。結果、アウトプットの価値を高めることに直結するタスクに時間を投入できる。原理主義的に信じ、他の考え方を排除しようとするような動きはいただけないが、不確実性やチームのゆらぎというものを受け入れながらこの考え方をベースに動くことの価値は高いだろう。

僕もこの本を通じて反省した点、改めて学んだ点は多い。多様な経験、自分のキャパシティを大きく超える経験の中で自分を甘やかしていた部分、忙しさに流されて雑になっていた部分があった。

だからこのタイミングでこの本を手にすることができて良かったと思っている。

P.27 絶対にやってはならないのが、「一心不乱に大量の仕事をして右上にいこうとする」ことだ。」労働量によって上にいき、左回りで右上に到達しよう」というこのアプローチを僕は「犬の道」と読んでいる。

これは本当に避けなくてはならない。往々にして残り時間わずかにして自分がこなしてきた膨大な仕事のSo whatを見失い、結局自分は何が言いたかったのか混乱し、アウトプットとしてまとめる時間を確保していないためにまとまりのないものとなり、”沢山調べたようだが意味がわからない”、”そもそもかたちになってない。コンプリートしてない”という印象を与えて終わるだろう。何かしらのこたえを出すこともできるかもしれない。ただそのこたえから逆算した時に意味のある仕事はどれだかあっただろうか。そういった膨大な仕事の積み上げがあったからこそそのこたえに辿りつけたと言うことはできるだろう。ただ考えるべきは、それらがなければ、もっと良いこたえにたどりつけたのではないか、こたえをもっと深堀りすることができたのではないかということだ。

P.39 論理だけに寄りかかり、短絡的・表層的な思考をする人間は危険だ。世の中には「ロジカル・シンキング」「フレームワーク思考」などの問題解決のツールが出回っているが、問題というものは、残念ながらこれらだけでは決して解決しない。問題に立ち向かう際には、それぞれの情報について、複合的な意味合いを考えぬく必要がある。それらをしっかりつかむためには、他人からの話だけではなく、自ら現場に出向くなりして一次情報をつかむ必要がある。そして、さらに難しいのは、そうしてつかんだ情報を「自分なりに感じる」ことなのだが、この重要性について多くの本ではほとんど触れられていない。

表面的にフレームワークで物事を整理しても、フレームワークを埋めるための情報を集めてみても、それだけは何も生まれない。何か言いたいことがあってそれをサポートするための情報収集であり分析でありだ。何か言いたいこと、イシューに対する仮のこたえ、即ち仮説、がなければ、もしくは検証する価値のあるそれらをもっていなければ、情報をいじる意味は大きく限定される。

P.50 「これがイシューかな?」「ここが見極めどころかな?」と思ったら、すぐにそれを言葉にして表現することが大切だ。なぜか?それはイシューを言葉で表現することではじめて「自分がそのイシューをどのようにとらえているのか」「何と何についての分岐点をはっきりさせようとしているのか」ということが明確になるからだ。言葉で表現しないと、自分だけでなくチームのなかでも誤解が生まれ、それが結果として大きなズレやムダを生む。

頭のなかでロジックツリーと思しきものがあり、データがあり、分析結果をわかりやすく表現するチャートイメージがある、と思っていても、いざそれらを全て文字で書き起こしてみるとうまく書けないことは往々にしてある。それがシンプルに明確に書ききれないということは、どこか、自分が自分のチャートイメージの印象であり表層的なロジックツリーのみために騙されている可能性がある。

P.61 「これがイシューだ」と思ったら、そのイシューの主語を確認してみよう。「誰にとって」という主語を変えても成り立つものは、まだイシューとしての見極めが甘い可能性が高い。

これはイシューに限らず言える。例えばWhy A社?に答える理由を並べて、AをBにしても成り立ってしまうような理由であったらそれらは不十分だ。

P.74 イシュー見極めにおける理想は、若き日の利根川のように、誰もが「答えを出すべきだ」と感じていても「手がつけようがない」と思っている問題に対し、「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することだ。世の中の人が何と言おうと、自分だけが持つ視点で答えを出せる可能性がないか、そういう気持ちを常にもっておくべきだ。学術的アプローチや事業分野を超えた経験がないものをいうのは、多くがこの「自分だけの視点」をもてるためなのだ。

筆者がいうように、「ロジカル・シンキング」「フレームワーク思考」などは巷にあふれている。ロジックを構築する部分、もれなくダブりなく情報を集め整理する部分で付加できる価値は小さくなっているだろう。だからこそ、いやそうでなかったとしても、根本的に価値の大小を左右するのは、それらを使って挑むイシューの価値の大小だ。

P.86 つまり「知り過ぎたバカ」にならない範囲で情報収集を止めることが、イシュー出しに向けた情報集めの極意のひとつだ。

その通りだ。情報を蓄積する過程で、自分の思考が、その業界識者のマジョリティと重なる部分がでてきたら注意したほうが良い。識者と似たような考え方しかできないのなら彼らでよい。あなたは不要だ。

P.144 絵コンテづくりで大切な心構えは「大胆に思い切って描く」ということだ。「どんなデータが取れそうか」ではなく、「どんな分析結果がほしいのか」を起点に分析イメージをつくる。ここでも「イシューからはじめる」思想で分析の設計を行うことが大切だ。「これなら取れそうだ」と思われるデータから分析を設計するのは本末転倒であり、これをやってしまうと、ここまでやってきたイシューの見極めもストーリーラインづくりもムダになってしまう。

(中略)

イシューの視点からデータの取り方や分析手法にストレッチ(背伸び)が生まれるのはよいサインだ。正しくイシューをベースに絵コンテづくりをしている証拠でもある。

程度問題こそあるが、ここで、できるかどうかもわからないのに餅を書くことにこんなに時間をかけてどうするんだ?無価値だ、と考えることは危険だ。最初から妥協した、取れるデータのみでなりたつロジックで主張しても、それだけでは弱い。理想的なロジックとサポーティングファクトがあり、それがなかった場合の代替ファクトとして何が、なぜ有効なのかが示されており、その上で代替して初めて説得力を持つと言える。なので、逆に、データ収集を計画する時点で、取れるかどうかわからないものに関しては代替ファクトとして何があるかを考えておく必要があるだろう。

P.184 僕たち1人ひとりの仕事の信用のベースは「フェアな姿勢」にある。都合のよいものだけを見る「答えありき」と「イシューからはじめる」考え方は全く違うことを強く認識しておきたい。

その通りだ。限られた時間の中で、大きいプレッシャーのもとで、それらに負けて都合のよい情報収集だけに走る人間は信頼を著しく損なう。そのような行動は、当人が必死で頑張っている時ほど、彼はフェアな姿勢を失うのではないかという見方を招き、必死になるほど疑われるという悪循環を招く。

P.193 自分の手がける問題について、「聞きまくれる相手」がいる、というのはスキルの一部だ。自分独自のネットワークをもっていることは素晴らしいことだし、直接的には知らない人からもストーリーぐらいは聞けることが多い。

1人で考えなくてはならない、というルールはない。仕事に責任を負うのであれば、自分の頭が整理できていなくとも、どんな状態であれ、自分一人で乗り越えられない壁があるのなら、積極的に周りに頼るべきだ。礼は欠いてはならない。

P.197 正しくアウトプットを理解し、注力し、トラブルを回避すれば、最後は「軽快に答えを出す」だけだ。どんなイシューもサブイシューも、答えを出してはじめてそれに関する仕事が終わった、と言える。ここで大切なことは「停滞しない」ことだ。

軽快に、というのが極めて重要だ。自分ひとりで難しかったら他人に頼ればいい。得られない情報があったら代替案に速やかに切り替える。ロジックツリーの切り口が悪かったら切り直す。限られた時間、リソースの中での行動だが、停滞する必要は一切ない。停滞しかけている、していると自覚があったら背中を押してくれる仲間と話せばいい。勿論まとまった時間考える必要がある場面は多い、ただ、考えているのか、悩んでしまっているのか、そこは丁寧に切り分けておきたいところだ。

最後に、安宅氏も触れており、僕も昔お世話になっていたコンサルタントの方から言われて印象に残っている言葉がある。

Complete work

だ(安宅氏はComplete Staff Workと表現している)。自分が受けた仕事はいかなる時も完遂する、ということだ。自分がそうするのだいう信念を持つ、そうできるのだという確信を持つことが、自分の身を軽くしてくれる、軽快にこたえをだすエネルギーの源泉になる。なぜなら、何がどうなったとしても、自分がComplete workすることにかわりはないのだから。

 

素晴らしい一冊であった。

[書評]不格好経営

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不格好経営―チームDeNAの挑戦
南場 智子 (著)

どうしても読みたかった。そして読んでよかった。

マッキンゼーを辞してDeNAを立ち上げ今日に至るまでを、南波氏らしい軽快にして濃密な文体で綴っている。胸を熱くするシーンあり、思わず吹き出して笑ってしまうシーンあり。ただ、こうして彼女たちチームDeNAの、度重なる挑戦と毎度のように迫り来る苦難、それらを乗り越えその経験を糧に成長し、更に大きい挑戦をする、というノンフィクションにひたすらに触れていると、自分を自然と省みる。

彼女の考え方で印象に残っていることが3つある(自身の理解を書いているので実際は著者は異なる言葉遣い・表現をしているだろうと思う)。

1つは個人のキャリア、成長について。自分が成長できるかという視点で仕事をみるな、仕事にあたるなということだ。それは後からついてくることであり、目的たり得ない。目的は別にある。ということだ。

そう思う。社会人になって間もない頃、今思えば自分の成長が最大の関心事であった時代がある。でもこれまでの経験を振り返ると、自分が最も成長したと思える体験は、その渦中にいるときは自分の成長なんて微塵も意識していなかった(できる状況になかった)ものだ。だからといってそれを求めて修羅場に入るのもおそらく何かが違う。見ているものが違うのだ。

 

1つはコンサルタントと事業家の違いについて。彼女は本書の中で経営者になるために戦略コンサルタントになろうとする人を、プロゴルファーになるためにゴルフレッスンのプロになろうとしているようなものだ、と言う。そしてできるコンサルタントはその違いをわかっている。コンサルタントだからできないこと、できることをわかった上で仕事にあたっているという。

納得する。コンサルタントを離れ留学し、いろいろな経験を得ている。それらを通じて、上記に気づいた。自身がいざひとつの事業テーマに責任を負う立場になってみると、コンサルタントとしてそういう立場にあるクライアントに接していた時とは多くのことが異なる。自身がドライバーを握りフィールドに立ち、ボールを打ち、スコアに責任を負う立場と、それをいろいろな角度から眺め、情報を集めて、どっちを向いて、何で、どう打つべきですよ、と助言する立場ではあまりに違う。それにしてもこの喩えは秀逸だと思う。できること、やるべきことがプロゴルファーとプロコーチで違うことも一目瞭然であろうし、そのために必要なスキルが異なることも白明だろう。

 

そして1つはチームワークについて。彼女はマッキンゼーのマネージャ向け研修でメンバーを16種類のタイプに分けて接し方を分ける手法を米国で学び、それに嫌気がさして初日が終わってから日本に帰っている。その理由は、なぜ自分が寝食を共にするほど長時間共にいる仲間を、たかだか16種類に分類してその接し方に当てはめる必要があるのか、というものだった。そして彼女は自分たちが最初の成功体験を迎えた時の、ゴールが全く異なる個々人が重なり、最高の笑顔になる瞬間からチームワークでありリーダーシップとはこういう瞬間をいかにつくりあげるかなのだという考え方に至っている。

その通りだと思う。僕も昨年MBAのオリエンテーションにおいてクロスカルチャーからなるチームのパフォーマンスをいかに高めるかという話の中でいくつかの思考パターンや表現のパターンを学んだ。しかし強く違和感があった。目の前にいるメンバー、毎日を共に過ごすメンバーがいるのに、なぜ彼らから学ぶ前に先入観をもたせるような情報を与えるのかと。彼らが個人的に、そして文化的にどう異なるかは、チームワークを通じて学ぶものではないかと感じたからだ。これに関しては、IESEでの1年を終えてのエントリーのチームからの1番の学びとしてまとめている。

 

全体を通じて南波氏のDeNAであり仲間であり、そしてここに至るまでにお世話になった方々へのたくさんの愛であり感謝を感じる。

僕も自分の道を全力で行かねばと気持ちを新たにする。

[書評]永遠の0

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永遠の0
百田 尚樹 (著)

久しぶりに和書を手にした。小説を読むのも久しぶりであったと思う。600ページ程ありボリュームを感じていたが結果一気に読み終えた。読んだのが夜、自分の家であったこともあり素直に世界に入ることができたのだと思う。終盤は嗚咽しながら読むこととなった。

[以下内容に触れますぼかしていますが。ネタバレ避けたい方とばしてくださいますようお願い致します]

これほど涙を誘われた理由は、宮部が一貫して守り続けていたものの守り方を、最後の最後で変えたところにある。そのシーンに至る前に彼の人物像であり、彼の身であり周囲に起きたことは、彼と関係のあった人物へのインタビューによって断片的に明らかになっている。それらを集めて描かれる宮部の人物像はそのような選択をするそれではないのだ。そのはずなのに最後の最後で彼は選択をする。

なぜそれを選ぶのだ。

という気持ち、一方でその環境にあればそれも致し方ないのかもしれないという理解、しかしそれでもなぜ、という気持ち、それらの整理をつけきれないうねりが涙を流させたのだと思う。

冷静に考えれば、なぜ宮部があれほどの強い意志をあの時代において当たり前のように持ち続けられたのか、そしてなぜ最後にそれを向ける方向を変えたのか、そこに触れる部分が記されていない。そここそ最も気になる2つの点であったのに。それでも物足りなさを感じさせない一冊であった。

宮本武蔵に憧れ、空戦において自身が最も強いと考え、それを示すためだけに戦う人物が描かれる。それはまさにバガボンドで描かれる宮本武蔵であり、若かりし頃の柳生石舟斎であり胤栄でありに重なり、彼と宮部との模擬戦において宮部は上泉伊勢守秀綱に重なる。

そして、生きることの尊さ、自身のためのみならず自身の大切なもののために生きることの尊さと強さを感じた。フィクションだが、そういった生き方の許されない時代があったこと、それを経て今自分が生きている日本があることを学ぶ必要があると感じた。

西の魔女が死んだ


西の魔女が死んだ
梨木 香歩(著)
アポイントの間に時間があったので手にした一冊。
魔女になるための訓練を通じて語られる言葉は力があり改めて自身を振り返る。魔女の生活、家や庭の様子の描写は美しく鮮明に自分の内側にイメージが湧く。その言葉を、ときににわかには受け容れられずとも、咀嚼し成長する主人公の姿、死に対する考え方の変化とその理解を助ける経験を辿る過程で胸を打たれる。
魔女の主人公に対する接し方、会話の運び方から学べることも多い。
ストーリーはこの場でなぞらないが、幾つか考えさせられる言葉が目にとまったので一部抜粋する。

P.70
悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。その力が強くなれば、悪魔もそう簡単にはとりつきませんよ。まいは、そんな簡単なことっていいますけれど、そういう簡単なことが、まいにとってはいちばん難しいことではないかしら

P.138
魔女は自分の直感を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直感は直感として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう。そして、そういう経験を幾度となくするうちに、本当の直感を受けたときの感じを体得するでしょう

日本の未来について話そう


日本の未来について話そう
昨年の震災後手にしていた一冊。65名の方々がそれぞれ日本再生への提言を寄せられている。濃密。65の方々のバックグラウンドもビジネス、政治、アカデミア、文学、スポーツ等多岐にわたっており一冊を通じていくつもの日本の見方、解釈の仕方を学ぶことができる。
今の自分ではまだ理解の至らない部分もあるが、そういったインプットに触れることで、自分に新たなレセプターを備えることができると解釈している。内容が多岐に渡りこれまでの自分になかった視座に触れれば触れるほど、その後の自分の学びの器は大きくなる。ありがたい経験だと思う。
一方で自分の場合は、まずは言葉が自分の経験と矛盾せず、自分の主張が自分の行動・その結果に裏付けられているように生きることに集中しようと考える次第。自分の行動と矛盾する言葉は最終的には他者との信頼関係を損なうものであると考えるし、自分が影響を及ぼせない / 及ぼされない対象に関する言論に身を投じる前に自分ができること / 影響を及ぼせる範囲のことに集中したいと思うので。
日々精進。
印象に残った言葉を一部抜粋する。あまりにも多かったので、特に興味を惹いた2人の経営者からの提言のごく一部に絞って。

P.68
「日本の価値」とは、次の3つである。
 第1に、サービスの質。日本企業による消費者への対応は節度と謙虚さを旨としており、これほど信頼がおけて期待に違わないサービスは、他のどの国にもまずない。第2に、シンプルさを大事にする点。複雑な社会は混乱を招きがちだ。だが、日本では、シンプルさを大事にするがゆえに、それほど大きな混乱は起きない。日本人は自分のやるべきことをはっきり認識しているからである。第3は、プロセスを尊ぶ国民性である。日本人は、継続的な改善の達人だ。物事を実行していくのに、日本人ほど長けた国民はいない。
 集中、統制、たゆまぬ努力、そして質を体現し、加えて序列を重んじる。こうした価値は、日本企業がどこで事業を展開しようと通用すると私は考える。また、日本にはこうした価値を新しい現実に適合させていく態勢も整っている。
P.69
 日本人は変化に抗うため、日本企業の変革は不可能と見る向きも多いが、それは間違っている。日本でも幾つか条件さえ揃えば、どんな変革でもできる。日本では、変革をシンプルにし、しっかりと説明を行い、人々の気持ちを変革に向けさせる必要があるのだ。それができれば日本では何でもできる。私の経験では、日本ほど変革をやりやすい国はない。日本人は変革の内容と理由を理解するのには時間をかけるが、一度理解すれば実行は早い。
P.72
 日本が現状に固執しているのは、日本人が変わりたくないからではない。ときにリーダー層が、はっきりとした方向感を持っていないからだ。道に迷ったリーダーに誰がついていくだろうか。私が日本企業のリーダーに一つアドバイスするとすれば、それは時間をかけてビジョンを作り、それをシンプルにして説明し、人々にとって意味のあるものにすることである。リーダーにこれが出来れば、日本人は必ず変革を実現させるはずだ。
– Carlos Ghosn, ルノー取締役会長兼最高経営責任者(CEO)、日産自動車社長兼CEO

P.76
 日本のいちばんの問題は、保守的で臆病なところ、安定や安心や安全を求める傾向が強過ぎるところだ。
(中略)
 そもそも発展途上国を見下す姿勢がある。たとえ発展途上国の企業でも、自分たちより優秀ならば、相手から積極的に学ぼうとする姿勢を持つべきなのに、過去の成功が足かせになって、素直に学ぶことができない。
(中略)
 独自性が欠けている点も問題だ。全員が同じであるべきだと考える人があまりにも多い。
(中略)
 日本の企業はまるでバックミラーを見ながら運転しているような印象を受ける。内向きの傾向を強めているのだ。
(中略)
 今日の日本は、経済大国として臨んだ戦いに完全に敗北してしまったのである。それなのになぜ、いつまでも気づかないのだろう。なぜ失敗から学ばないのだろうか。
P.78
 失敗は決して心地よいものではない。しかし正しい視点を持っていれば、失敗は成功への糧になり得る。
(中略)
 日本人が排除しなければならないのは、日本ではこうあるべき、外国ではこうあるべきという思い込みである。日本人はホームでは大変な力を発揮するのに、ホームを離れると驚くほど弱い。
P.79
 私から日本の若者へのアドバイスはいたってシンプルだ。日本から出ていきなさい。
– 柳井正, ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長