償い

償い
矢口 敦子 (著)
最近出張が多く、移動時間はだいたい仕事をするか、本を読むか、眠るかしているのだけど、読書にあてられる時間と持っていく本の内容の量・質を見誤ると帰りに読む本が無くなってしまったりする。
そんな時、駅の小さい書店で手にした一冊。
素直に言うと、世界に浸りきることができなかった。
これまでそんなに小説を多く読んでいないのだけど、頭の中で無意識に比較していたのは海堂尊さんの書籍、著名なもので言えばチーム・バチスタの栄光だと思う。
なんでだろうと少し考えてみた。
どうも登場人物の像が曖昧なのだ。
元外科医師のホームレス、刑事、思慮深い青年、青年の友達、精神を病んだ青年の母、青年宅の向かいの夫婦、ホームレス数人、元外科医師のホームレスの元同僚etc…
登場人物は大体頭の中に入っているし、ストーリーも頭の中に入っているが、どうもそれぞれの性格や抱えているものを具体的に理解させるような記述、具体的に理解できずとも何かあると感じさせる、思索をめぐらせるきっかけになるような記述が不足しているように感じた(物足りなく感じた)。
小説を読みなれていない自分に想像力が欠如していたのではないだろうか。
上記を書いていて感じたのだけど、海堂さんの著作は、登場人物の像が明確で分かりやすく(キャラ立ちしていて)、記述も具体的だ。登場人物の価値観であり動機付けでありが理解でき、なぜその価値観その動機付けに至ったのかという過去にも十分に触れられ、そこにおいても今とは違う形で登場人物が絡み合っているという面白みもある。それらが興味を引き、おそらく自分はその世界にはいりこんでいく。
おそらく今の自分の中ではそれら=小説となっていたために違う定義の小説を楽しむ想像力が欠如していたのかもしれない(いや、小学校の時とか何百冊も小説含めて読んでいたような。。そららとも違ったというわけだ)。
今のところ上記のような感覚だけど、様々な小説を読んでいく中でわかるのだろう。
それぞれの楽しみ方が。

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