リフレクティブ・マネジャー

リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する
中原 淳 (著), 金井 壽宏 (著)
なぜだったか。手にしたきっかけを忘れてしまった。ただ、読んでいると、”内省”というのは最初と最後に登場して、中身は”大人”にとって学習とは何か?成長とは何か?それらを促すために組織は、人事は何をするべきかというところに最もページを割いていたように感じる。金井さんと中原さんの論考のやりとりのような形式で綴られている。
内省。自分は自分の言動をよく振り返っていると思っていたのだけど、ただ振り返っているだけでは不十分だと感じた。いつまでも学び方からして学び、変われる人間でありたい。
印象に残った部分を如何に抜粋する。

P.115
逆にもし、プレイングでないマネジャーに何かを言われたとしても、部下は素直にその教えの意味を理解できるのだろうか。言われたことにうなずきつつも、こころの中では「うーん、あの人に、ああだこうだ言われてもなあ」と思わないだろうか。

P.128
内省は多くの人が誤解しがちな行為でもある。シェークスピアが描いたハムレットのように、内省すればするほど行動できなくなると言うのは、良い内省の仕方ではなく、将来を展望するのに役立つような内省の仕方、そのおかげでより自信を持って行動できるような内省の仕方が望ましい。

P.196
さらに重要なことは、上司が実践共同体の「一部」として、上司自らも「学び続ける存在」として「成長」をめざすことにある。

P.210
経営理念は、「成員統合機能」と「社会的適応機能」の二つの機能を果たすと言われている。

P.211
「会社は、社員一人ひとりに理念を浸透させたいと言うが、社員は誰も、理念を浸透させて欲しいなんて思っていない」。(中略)会社の理念が本当に「浸透した」と言えるのは、社員が自分の仕事のやり方と組織のあり方に適合を見出し、自分の仕事のやり方を「変えた」ときである。そのためには、自分の仕事と会社の理念の関係を「自分で発見」しなければならない。理念を強制されたり、唱和させられたからといって、人は価値観を変えたり、行動を変えたりはしない。それどころか、「浸透させる」と言われると、何かを仕掛けて、じわじわと理念をしんすいみ込ませていこうといった魂胆が感じられて、どうにも気持ちが悪い。

P.265
朝から晩まで息をつく暇もない。そんな中、最も犠牲になるのは「自分の頭で考える時間」、それも、「根源的な問にまで立ち戻って考える時間だ」。

P.268
年をとるにつれて、私たちにとっては、身体を動かすことではなく、頭を動かすことが学びになっていく。(中略)「時間」が学びを支配し始めると、学びから身体が失われる。限られた時間の中で、小さな机を前に椅子に座って勉強することが学びになる。
一方、この時期に役割を大きくしていくものもある。それは「言葉」だ。(中略)私たちの知らないうちに、「書くこと」が重視されるようになるからだ。子どもたちの声は失われ、教室には沈黙とけだるい雰囲気が漂い始める。そうすると、学びは「板書をノートに書くこと」とみなされ、テストという「書き物」によって評価されるようになる。「書くこと」が学びを支配し始める。

P.284
なぜ「ゆるコミュ」がよいのかというと、出入も活動内容も自由なコミュニティでは、参加者は、自分はなぜここにいるのか、何を目指してここに来ているのかを考えざるをえないからだそうだ。

P.340
きびしい時代にこそ、いっそう希望や夢が大事と思える人が、リジリアンス(しなやかさ、弾力性)やリデンプション(挽回力)の高い人だ。

「リフレクティブ・マネジャー」への2件のフィードバック

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    あたしも買ったよー。マネジメント研修のネタにしましたーー。
    お目が高いなり☆

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    お、やはりそうでしたか(^^)内容のテーマをみて、いくきちさん読まれているだろうなあ、なんて思っておりました。とても良い本ですね。

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