言葉を支えているもの

今日は23時過ぎにミーティングを終え、軽く食事を取って先ほどホテルに戻る。相手は最近一緒にプロジェクトに入っているコンサルタントの人。もともとしゃべる人だし、それにつられてついつい自分も口数が増える。食事をしながら話し続けるため、(飲んでいるわけでもないのに)気がつけば2時間近くも経っている。
相変わらず魅力的なのだが、行動を共にしていて感じるのはその人の言葉が全てその人自らの経験、その結果、そこからの学びに支えられているということだ。
知っただけではない、自ら検証し、体で理解した内容が言葉になっているのだ。
人から伝え聞いた話をそのまま流しているわけではない。学んで知っただけの話ではない。自分の想像の世界に描かれただけの理想と現実のGAPの話ではない。
すべてがその時点までに、経験に活かされていて、その結果から学び、磨いた内容なのだ。
言葉の裏にはその人の人生の哲学であり、意志でありが詰まっている。それらに支えられた言葉なのだ。
このような会話から学ぶことは無数にある。
言葉以上に雄弁に、彼という存在が自分に多くを語りかけてくれる気がするのだ。
純粋に面白いというのもあるのだが(^^)今日読んだ本の言葉を1つ思い出した。

仕事の効率が悪い方が、そこで働く人間達は豊かな人間関係を持つことが出来る

話の中にはバカな話もたぶんに含まれている。でもそうする時間が仕事だけではない、人としてのつながりを強くし、苦労さえも共にする楽しさや信頼関係を生み出す気がしている。
本当に人に恵まれていると思う。
#ホテルにチェックインしてみるとなぜかツインだった。。。1つ広いベッドがあってくれたほうが嬉しいのだが。明日のミーティングの資料を軽くつくって早めに眠りたい。