ウェブ時代をゆく

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか
振り返ってみるともう1年半以上前になる。ウェブ進化論を読んで非常に刺激を受けたのだがその完結篇として書かれたこの本を手にとってみた。久しぶりにそのときのエントリーを振り返ってみると視点がWeb2.0というよりはその世界に入っていく筆者の意志・考え方、そしてその世界でありベンチャーでありに反応している自分を面白く思う。あれから1年半とちょっと。僕の心と体はまだ”ベンチャー”として活動することができているだろうか。改めて気が引き締まる。
ここでもまた、まずは心に残った言葉をざっと列挙しておきたい(文末へ)。
こうしてみると自分の関心がWeb2.0という概念やテクノロジーではなく、Web2.0がもたらす新たな世界の広がり、その世界に臨むスタンス、その世界持つべき価値観といったところにフォーカスしていることがわかる。
確かに考えてみれば中学校時代に始めてパソコンに触れたときはインターネットという言葉は知らなかった。大学に入って初めてパソコンをインターネットにつないだ、大学のパソコンでインターネットで世界とつながった。その頃はまだ通信は有料でありメールを書くときは回線を切っていた。送信時だけインターネットにつなげていた。社会人になる前あたりからADSL、光回線といったものがちらほらでてきたような気がする。仕事柄ITに近いところにいたので社会人になってからは自覚無くインターネットに近いところにいた。そこを介して世界とつながり情報を得ることは当たり前のことだった。
そして2004年だったろうか、mixiやgreeをはじめブログを書くようになった。世界に情報を発信する立場にまわったのだ(blogの内容が世界に向けられているかはさておき)。
僕がいつの間にかいたこの世界では、抜粋したとおり”未知を楽しむエネルギーが心に宿り、「志」を立て、「はじめの一歩」を踏み出す力が出さえすれば”無限に近い可能性を与えてくれる。
そんなことを自覚して今を生きていきたいと思う。それがこの世界に生まれた人間に与えられた権利であり、また義務であるように感じるのだ。
余裕がないとついやってしまいがちだが、この気持ちを一過性のものにせず丁寧に自分の心に刻んでおきたい。
–以下抜粋–

p.026
人は誰しも「好きなこと」「やりたいこと」に熱中、没頭しているときは時が経つのを忘れるほどの充実感が得られ、自分に「向いたこと」だからこそ長く一つのことを続けられる。継続が力となり、競争力になる

p.097
アントレプレナーシップの真髄とは、「自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない」ということに尽きるのだ。「勝った者」とは「勝つまでやった者」なのである

p.118
大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。<中略>良くないのは、見つける努力をしないでフワフワ生きていること

p.135
ロールモデル思考法とは、ただ「誰かみたいになりたい」「こんな職業につきたい」という単純な願望から一歩進み、自分の志向性をより細かく定義していくプロセスである。

p.138
問題は、そういう思考を続けていると、自然と批判対象を自分に向け「自分の悪いところ」ばかり探す能力が長けていき、ひいては自己評価が低くなり、何事につけ新しいことに踏み出す第一歩の勇気が出てこなくなることである。

p.161
特に「けものみち」においては、自分が興味を持って考えているもやもやしたことを、相手に合わせてわかりやすい形に構造化してコミュニケーションする能力が重要になる。

p.186
米国では既に十五年近く前から、大企業が飛び地の新規事業をやたらに起こしても成功確率が低いので、本業と本業周辺の新技術や新製品の開発に注力し、新規事業の創造はベンチャーの多産多死の市場メカニズムに任せ、そこを勝ち抜いたベンチャーを必要なら買収するという経営手法が定着した。

p.205
新しい世界は、そこに新しく入ってくる人たちをとても大切にしてくれる。そして何より新しい世界は面白く楽しかった。新しい世界を歩いてきたことに全く後悔は無いよ。

p.208
心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある、そういう言葉をほんとうの助言というのである。

p.243
未知を楽しむエネルギーが心に宿り、「志」を立て、「はじめの一歩」を踏み出す力が出さえすれば、私たちの前にはさまざまな可能性が次々と訪れる。一生懸命何かをやりたいと思う人たちを、これまでの日本社会は、レールの上を走らせよう走らせようとしてきたが、そうではな道もあるのだ。

レバレッジ・リーディング

レバレッジ・リーディング
僕は本を読むのが好きだし、仕事上でもさまざまな本やレポートに目を通すので一度自分のやり方を確認するためにも読んでおきたいなと手にした一冊。

簡単に言うと、
・読むことが目的ではない。その本に求めることを明確にして答えを探すために読む(能動的に読む)
・一冊の本に全てが書いてあるわけではない。一冊を深く理解する<複数の本をざっと読む(本をまたいで存在する原理原則を掴む) ・読んだら即実践(目的に従う/アウトプットが大事)

で、そのためのtipsで特に印象的だったのは2つ”読書に制限時間を設ける”ということ、”大事だと思った内容メモとして持ち歩く”こと。
仕事であれば期限があるのは当たり前。そのための調査・分析のインプットとしての読書であれば期限があるのは当たり前。しかし、目の前の仕事に直結していなかったり、自分の趣味の領域とまたがっている読書となると期限を切らずについゆっくりと読んでしまう(もちろん読書の時間・その世界に浸ることが目的にある本であればそれが正しいと思う。小説やエッセイにまで制限時間を設けてシステマチックな行為として読書をすることは違う)。
読書の目的を明確にした上で制限時間を設けると、その制限時間がストレッチであればあるほど直感で自分の目的に照らして必要だと感じる情報が目に飛び込んでくる。いわゆるカラーバス効果だ。
そして読む過程で大事だと思われるところにはメモを書く・線を引く・ページを折る/ポストイットをはる等後から振り返りやすくしておくだけでなく、自分の言葉でざっとメモに残す。個人的にはExcelでカテゴリ・タグをつけてためていくのが良いと考えている。
本の抜粋である必要はない。自分の言葉・解釈で書きためていく。その行為自体が本の理解の確認・復習になるし、それを行動に移す普段に手軽に見返せるようにしておくことで行動と読書の結びつきを強められる。一覧することで本をまたいだ気づきを得やすくなる。
Blogにいくつか読んだ本についてEntryしているが、その内容もこのやり方にのっとって、少しずつでも振り返りやすい・行動に結びつきやすい書き方にかえていこうかなと思う(^^)

ノンデザイナーズ・デザインブック

ノンデザイナーズ・デザインブック
資料のデザインにこだわりを持つ若手コンサルタントからススメられて手にした一冊。タイトルどおり、デザイナーでなくとも最低限のデザインはできるようになろう、そのためにまず自分が普段何気なく目にしている、つくっているものがどういうルールにのっとっているのか/いないのかを自覚しようというレベルの本。
資料をつくるさいデザインは最後の最後に考えるものであり、そこに凝ることに僕は価値を感じていなかったが、聞き手・読み手にとってわかりやすい資料はデザインにもある程度配慮されていることも事実。優先順位が低い、少なく限られた時間の中で最大のパフォーマンスを発揮するためにも読み終えて損はなかったと感じている。

資料づくりのプロセス
1. 目的を明確にする
2. 資料によってたどり着きたいゴールを明確にする
3. ゴールに到達するために必要なメッセージを明確にする
4. メッセージを的確に表現するボディを構築する
5. ボディが効果的にメッセージを伝えるようコスメする(デザインに該当)

これからもできるだけ相手の立場に立ってアウトプットの良し悪しを考えていきたい、そのためにインプットを重ねていきたい。
誤ったメッセージを一生懸命コスメして説得力をあげてしまう/ごまかしてしまうというのはあるまじき行為だし、小手先のテクニックに過度に頼らずこれからも成長していきたい。
#にしても面白い。この本を読んでみると本や新聞・広告を見る目が変るし、写真を撮っているときも被写体の捉え方/はずし方が変ってきているような気がします(^^)

自分の偏りを自覚する

週末に体調を崩して月曜日は休養をとった。テレコンで資料のレビューや時折のメールチェックをする以外は家で安静に過ごす。体調が少し落ち着いた時間を見計らって少しずつ読書をする。
先週金曜日にベンチャーを経営されている方とディスカッションする時間をもらえたことも合わせて、目の前にあるプロジェクト以外からのインプットの大切さを感じた。
限られた時間の中でアウトプットを出していくための仮説構築・検証のためのリサーチ・結果からの示唆出し・今後のアクションプランの修正・仮説構築…を繰り返していると、その過程に必要ないと考えられるインプットはほとんどなくなる。必要/不要を判断する軸が目的に対して狭く設定してしまう。
それでうまくいけばいいのだけど結果として”面白みのある”仮説や示唆が出なくなるような気がする。自分の思考のレンジが狭くなった上そのレンジのレンズの稼動域も狭まった感じを覚える。
この違和感を見てみぬふりでやりすごすのではなく、うまく解消して自分らしい時間の使い方・頭の使い方をしていきたいと思う。
の前に体調をはやく治したい…(^^;)

すぐれないのは体調だけか

週末(土曜日の夜あたり)からどうも体調が優れなかったので月曜日は自宅作業。といってもたまにメールチェック・対応をしたり電話会議でプロジェクトの資料をレビューする程度。後は横になって昼寝をしたり本を読んだりして過ごしていた。頭が余計に働かない分純粋なインプットには向いている時間かもしれない。こういう体調が悪くて頭がふわふわしているときは。
それにしてもこの程度のことで仕事を休むとはどうも自分らしくない。自分らしくないといえば今年の後半はそんな感じでどうも自分の人生を充実させきれない時間を重ねてきた。その代わり自分ひとりでできることできないこと、周りの人に対する感謝の気持ち、自分に足りない部分、謙虚さ等々学べたことも多い。今すぐにそれらをアウトプットに結びつけるのは難しいのかもしれない。どこかで今の自分に無理をさせてはいけない気がしている。常に自分が周りから受けている恩を自覚する気持ちを忘れずに今を過ごしたい。
10月20日に彼女ができてかれこれ1ヶ月半が経つ。今日寝ぼけて電話に出たら彼女の名前を間違って呼んでしまった。悪いことをした。彼女も怒るっていうよりへこむといっていたし反省だ。
なんだけど、すき焼きご馳走して、準備もして、食べさせてたいしたお礼も言われず片付けもせずにばいばいってそりゃちょっと違うような気がする。なんだろ。まあ名前間違って呼んだんだし当然といえば当然ってことなのかもしれないけど人としてそれはないだろうと。些細なことなのだけど根本からずれているようなそんな気がした夜だった。
些細なことでも感謝の気持ちをもって”ありがとう”を言い合える関係でいたい。
もちろん自分が悪いことをしたと思ったら素直に謝れる関係でもいたい(^^;)